MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

ポジティブマインド

2006-11-24 | 雑記
グーグルを叩いていたら知人のブログを見つけました。
起業したそうで、読んでいるだけで前向きで頑張ろうという気持ちにさせてくれることです。
ご本人が日頃から高い使命感/成長意欲のもと、雑事にとらわれず目的志向で「今を生きている」感じがビンビン伝わってきます。
(いわゆる「フロー」状態でしょうか)

読んでいていくつかビジネススクールでの研究を思い出したのが、

1.目的は紙に書き出して、常に見返すことで達成率を上げる
2.一度に一つのことを考える
3.ネガティブな言葉を吐かず、とりあえずポジティブに捉える

という、この知人が書いていた習慣です。

1.2.を応用したのがはいわゆるimplementation intentionで、心理学研究でも効果がかなり実証されています。
目標をさらにブレイクダウンして、それを習慣化することで行動を変える技法です。

例えば競技会に出て勝つために筋力を鍛えるとしたら、

+出来る限り具体的に行動内容を定義する
(例:ヒンズースクワットを毎日100回やる)

+日時や行動の順序を具体的に決める
(例:毎日寝る前に歯を磨いてベッドに入るまえに10分でやる/終わらないと寝られないことにする)

+以上を紙に書き出す/常に見返す/ヒトに言う
(例:洗面台に大きく貼っておく、家族に誓いを立てる)

+実行する際は何も考えずただやる
(例:寝る前に「今日はやめようか」「100回は多いかも」と考えない/内容を見返すのは昼間にする)

+達成に報酬をつける
(例:一週間続けたら一本5万円のビンテージワインをあける、さらにその先のご褒美も決めておく)      

特に最後の2つあたりが重要で、人間の最も重要な資源は集中力であり、それを今一番大事なことに集中投入することで、発揮能力/成果を最大化するのがポイントとされていますね。
また3についても、行動と思考の相互作用が立証されていることを考えると、重要なポイントかもしれません。

思いがけない知人のブログを見ると結構面白いものですね。

ハイティ

2006-11-17 | 雑記
日本ではアフタヌーンティと呼ぶ方が多いのでしょうか。
午後のひと時フィンガーフードや紅茶などをゆっくり楽しむ習慣をハイティと言いますね。

以前シンガポールに住んでいたときはよくホテルのラウンジなどでハイティをしていました。
一流ホテルでも食べ放題のバイキングが付いて2000円位でした。
シンガポールなので辛いカレーや東南アジア料理が並んだバイキングで、がっつり食べられる所が多かった気がします。
飲み食べしながら、午後一杯おしゃべりしてゆっくり時間を過ごすのは贅沢な楽しみです。

ふと「そういえば日本でもいい場所があるはずだ」と気付き、東京新宿のパークハイアットへハイティに行ってきました。
ここは非常に優雅な時間が過ごせます。
41階のラウンジで、三面が窓になっているので眺めは最高。
天気の良い日は富士山に沈む夕陽が鮮やかに見られます。

一人3000円強でしたが、普通の居酒屋に飲みに行って使うよりは気分転換も兼ねて満足だったと思います。
(飲み物中心なので、普通に昼食を食べてから行った方が良いとは思いますが)

文明崩壊

2006-11-15 | 雑記
しばらく間があいてしまいました。
掲題の本を読みました。
(ジャレド・ダイアモンド、草思社)

古代からの文明の興亡を、環境と開発の観点から考察して、現代世界の行く末まで幅広い視点で論じている、非常に面白い本です。
具体的には、イースター島や太平洋の諸島、グリーンランドのバイキング入植地の滅亡などを題材に、環境資源の枯渇、他集団との交易への依存・その断絶による資源流通の停止、敵対集団の存在など様々な滅亡の要因を分析しています。
訳本の割に文章が平易で分かりやすく、読んでいて飽きないところが長所です。

特に印象的だったのが、イースター島をはじめとする太平洋諸島の社会の興亡。
「南の島」と言うと平和で豊かに暮らす楽園、と想起してしまいますが、実際にはこの2000年の間に、無人で資源が豊かだったそれらの島々にポリネシアから次々に移民が行われ、やがて彼等が環境を破壊し資源を枯渇させ、ついには共食いまでして滅びていった、とのこと。
もちろん人が生き延びた島も多くありますが、基本的にその環境や植生は人々が入植する前の本当の手付かずの自然とは似ても似つかないものになっている場合が多々ある、というのは新鮮な衝撃でした。

文中にもありますが、こうした滅亡していく社会の「最後の独り」になる、というのはどんな感じなんでしょうね。
一人静かに、他の全員が死に絶えた海岸の村跡で、静寂と共にただ飢えをしのぎ、やがて年老いて死んでいく。
未来を描いたSF小説でありがちなシチュエーションのようですが、過去の歴史の中でそういう状況は絶えず起こっていたということのようですね。

現代文明、あるいは西洋文明の登場を待つまでも無く、数千年の歴史の中で絶えず人間が生きるための環境破壊は行われてきた、というのは、ともすると

-環境破壊は現代的なライフスタイルが元凶だ
-だから、皆が昔のようなスタイルで生活すれば問題は解決するんだ

といった、浅い理解をくつがえします。
(もちろん、現代的なライフスタイルが破壊の程度を大きくしているのは事実ですが)
人間が生活圏を構築することはほぼイコール何らかの形で環境に影響を与えることで、そのために集団が死滅することはこれまでにままあったこと、
かつそれは動物でも同じこと
(例えば閉鎖された島で異常繁殖した動物は、餌資源の増加速度が自らの増加速度を超えない限り、全て食い尽くしていずれ死滅する)
ということは、環境破壊がある意味で生物の宿命であるとさえ言えそうです。

この1500年位の歴史をとっただけでも、結構世界中でいろんな社会の滅亡があるものなんですね。