MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

芸術の秋

2006-09-17 | 雑記
今日は休みだったので久しぶりに上野の国立博物館に行きました。

海外にいるとよく博物館や美術館に行っていたものですが、案外日本では行った記憶が少ない気がします。
何というか

”日本のものは見なくても大体想像がつく”
”どうせたいしたこと無いだろう”

という気がしてしまうからです。

しかし久しぶりにゆっくり古い美術品を見るのも、非日常でさわやかな気持ちになりました。
特に掛け軸の絵がまた味なもの。

西洋の美術館に行くと、絵画の場合ものすごく細かいディテールまで描いてあるので、まずその描いてある空の色を見てしまいます。
特にヨーロッパの空は水色で雲がすこしぼけて遠くまで広がっているのが印象的ですね。
どんな絵でも写実的なものならたいてい遠い水色の空が描かれています。

そして次に、絵のディテールに描きこまれている物語をじっと見て理解しようとします。

フランス時代にロンドンの美術館で見た絵で、(詳細は忘れてしまったのですが)鮮やかなインパクトがあった一枚があります。
家族(子供たち)が並んでいる姿を何気なく描いてあるのですが、実はその中の一人が描いている最中に死んでしまったといういわくつきで、かすかに死がその子をとらえる兆候が描かれているのです。
(時計の上に目立たないようにどくろが乗っている、だったかな)
さらに子供たちやその後ろの猫の目線は、よく見るとみんな絵描きがいる正面を向いているわけでなく、微妙にてんでばらばらで、表情も少しずつ違っています。
じっと眺めて考えてみると、皆絵の中の人物がそれぞれの思惑を持って動いていて、その瞬間を切り取った絵になっているのです。

見れば見るほど隠された物語が出てくるようで、30分以上その絵の前でじっと眺めては興奮していた記憶があります。

それに比べると、日本画は抽象度が高く、そうした具体的な物語よりは、とてもあいまいに描かれた風景から、その季節や風の雰囲気を感じるものが多いように思います。
西洋画が

+具体的に描かれている手がかりから、物語を解きほぐす

という楽しみだとするなら、日本画は

+描かれていない部分の余白を、自分の感覚で足して幽玄なイメージを描く

という感じでしょうか。
例えば雲や海のかなたの水平線も、日本画では明確に描かれず余白で残っていたりしますが、その方が物理的な現実よりも人がどうその原子の集合を認知するか正しくあらわしているようで、右脳が使われるような気がする。

久しぶりに画を見ながらそんなことを感じました。
(正確には日本画にも西洋画にも色々な流派があるのだと思いますが、雑感として)