MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

ヒトは食べられて進化した

2008-01-29 | 雑記
掲題の本を読みました。
(ドナ・ハート、ロバート・サスマン、化学同人)

タイトルに目を奪われ、斬新な視点だな、と思い手に取ったものです。
簡単に述べると、人類学者が人類学における一大論点に対しスタンスを取って証拠を挙げていき明確に誤謬を論破していく構成です。

で、論点というのが、

-ヒトは猿としては強力な暴力衝動を持った特殊な存在であり、その特殊さこそが独自進化の最たる理由だ(ヒトは狩る側だった)

という20世紀中盤にかけて広まっていったイメージが正しいかどうか、ということです。
西洋にある「人間だけは特別」とする価値観とも連動した議論のようです。

議論としては面白いのですが、どうしても気になることが何点かありました。


1.注が本の中に書いておらず、出版社のウェブサイトに掲載されている

紙の節約と出版社のプロモーションをを兼ねた合理的な手法、なのかもしれませんが、実際問題いちいちウェブサイトにアクセスしてプリントアウトするのも結構面倒なもの。
こうした学術系の本は注が命だと思うのですが、それを読みにくい形にするというのはどうなんでしょう。
いずれにしても初めて見る形式だったのでびっくりしました。

2.タイトルで全て言い尽くされてしまう

内容的に仕方ないのかもしれませんが、基本メッセージがタイトル以上でも以下でもありません。
タイトルは面白いけど、そんだけー?みたいな感が若干否めません。

面白い本だったんですが、ちょっと変わった本だった気がしますね。

アイアムレジェンド

2008-01-06 | 雑記
掲題の映画を見ました。
年末年始のものとしては、話題性も一番だったんじゃないかと思います。

設定とストーリーが命だと思いますので、できるだけ内容を書いてしまわない前提で。
原作の小説(リチャード・マチスン)も読んだので、小説と映画の対比で思ったことを何点か。

1.映画は怖すぎる

とりあえず迫力がありすぎる上に、何となくバイオハザードみたいな世界で、娯楽で見るには個人的には怖すぎた感じがします。
後から振り返るとバイオハザードとは違ってスプラッターシーンはほとんど無いんですけどね。

2.小説の方が現実世界(政治)への皮肉が感じられる

小説と映画では、設定はほぼ同じですがストーリーが(特に後半が)だいぶ違います。
これは読んだ人によるかもしれませんが、小説のストーリーの展開の方が「え?」と思わせると共に、政治や人間の本質のようなものを感じさせた気がします。
小説が書かれたのが50年代だと考えると、当時の第二次大戦を経て、冷戦が始まり、昨日あった共通理解が今日には覆り、昨日までの敵が今日の味方になり、と。
詳しくはネタバレになるので書きませんが(小説を読んだ方は何となく分かってもらえると思います)、映画が総じて

-とりあえず怖い + やっぱりね

な話であるのに対して、小説は

-何となく悲しい + そうくるか!

という印象だと思います。
このあたりは21世紀のハリウッド映画と昔の小説と言う、メディアの差なのかもしれません。
映画でもウィル・スミスの演技自体は悲しみを匂わすものでしたが、やはりCG的なスリル・戦闘シ-ンに負けてしまいます。
映画を見たせいで、活字の醸し出すそこはかとない雰囲気に逆に気付かされた気もします。

ただいずれにしても、映画も2時間、小説も数時間、どっぷりつかれる中毒性のある内容ではあるので、両方試してみるのがおすすめです。

3.Whyが無い方が純粋

最後に、実はこの作品がその後のゾンビ系ホラー映画(死んだ人が集団で怪物化して生きている人を襲い、サバイバルになる)の元祖だそうで。
そうした意味ではバイオハザードもこの系統の支流に連なる作品かもしれません。
ただ、バイオハザードとこの作品は結構見た後の感じに違いがあるのですが、スプラッター度以外にその理由は何かと考えてみると

-Whyがあるかないか

だと思います。
Whyというのは、

「なぜこんな悲惨な状況になってしまったのか/誰が黒幕か」

という意味です。
バイオハザードはもともとゲームでもあり、映画も含めて、黒幕が解き明かされていく要素がストーリーの大事な部分を占めています。
一方でこちらの場合、Whyは基本的に最初から分かっているので、

-何でこうなったかはいいから、とりあえずどうやって生き残ろうか/どうすればよいのか

に焦点があたります。
バイオハザードのようにWhyがストーリーに入っていると、

「謎の解明が生き延びる目的だし、解明されれば何がしかの目的達成なんだろう」

という暗黙の前提が入ってしまいます。
一方アイアムレジェンドのようにそれがない方が

「そもそも何のために生き残っているんだろう、生き残ってやろうとしていることに意味があるのだろうか」

という生き延びる空しさを問う、より純粋な意味でのサバイバルになっていく気がします。
増して、映画ではウィルスミスが明確な目的を持って、それにすがって生きていこうとしますが、小説ではそんな目的意識すら明確にありません。
そのあたりもまた、全体に漂う悲しみにつながっている気がします。