MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

キングコング

2005-12-31 | 雑記
映画のキングコングを見てきました。
娯楽大作のリメイクということで、何も考えずに楽しい、というイメージで行ったのですが…
まあ面白かったんですが、意外だったことが2点ほど。

まず、予想外にグロテスク。

映画ではキングコングのいる島で恐竜とかわけのわからない大型生物がいっぱい出てきます。
ティラノサウルスとかは別にいいんですが、巨大化したリアルな虫が大量に出てくるのがかなり強烈です。
でっかいゲジゲジとかは夢に出てきそうな感じで、子供が見たらトラウマになりそうでした。
SF映画の、「スターシップトゥルーパーズ」に近いものがあると思います。
(どちらも主人公グループが巨大な虫の圧倒的な大群にばんばん食われていくという意味で)

おそらく昔の映画だったらそこまでリアルじゃなかったので許されていた表現だと思うのですが、最近はCGも発達してとにかくリアルなのでちょっと考え物ですね。

同じような印象は、「チャーリーとチョコレート工場」でも持ちました。
こちらの映画は有名な絵本の映画化ということで、夢のあるちょっと不思議なお話だという設定です。
が、チョコレート工場で働く皆同じ顔の踊る小人の集団や、体がふくらんでしまう子供たちなど、絵本の中なら笑ってすまされる場面がリアルすぎて気持ち悪くなりました。
その辺の許容度は日本人と感覚が違うんでしょうね。

またもうひとつ予想外だったのが、かなり暗い話なこと。

結局、全体を通じてハッピーになった人が誰もいない感じ。
(死人も多いですし)
アメリカンで脳天気な感じを期待していたので、意外な感じです。
もともとのキングコング旧作も、「未開の世界」を飲み込んでいく20世紀の文明への批判を含んでいたのかもしれませんが。
映像の派手さや異様なまでのリアルさを考えると、トーンが暗いのはちょっと変わった感じがします。
徹底的に派手な描写で人が傷つき、死んでいく様を描くのに、メッセージ性も明確でなく、脳天気なスーパーヒーロー感覚もない。
世紀末的というか、虚無的というのでしょうか。

ただ、全編手に汗握る展開になっていることだけは確かで、そのあたりはさすがハリウッドと言わざるを得ないですね。

<25-1>感情をきちんと伝えるには?(1)

2005-12-27 | 第三部:実戦で交渉に勝つコツは?
前回は、話し合いで互いのすれ違いがどうして生まれるのか、を考えてみました。
現実には、こちらがいくらそうしたポイントに注意していても、相手がそれを無視して挑発的な態度をひたすら続けてくることがあります。
こちらの感情が全然理解されない。
相手は全然聞く耳を持たない。
そんな時はどう対処したらいいんでしょうか?
今回は、頑固で相手の感情など全然考えもしないヒトにどう対処するか、より具体的な視点から考えてみましょう。

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-こっちは公平に接しているのに、あいつは自分のことしか考えてない。
-仕方ないから、あいつとは無駄な言い争いせずに、言うとおりにしてやっている。

こんなことは身の回りにないでしょうか?
会社の上司や奥さん・旦那さん、友人など、人との付き合いの中でこうした場面に出くわすことは少なくないと思います。

多くの場合、人はあきらめてこうした場をやり過ごすことでしょう。
いちいち言い争いしてもどうせ相手は聞かないし、時間の無駄だ。
それなら、とにかく言う通りにしてやればとりあえずこの場は収まるんだろう。
一般的にはこうした計算が「大人の配慮」と呼ばれるのも事実かも知れません。
しかしながら、心の中の不満や不快な感情は簡単に消えるものではありません。
たとえその場をやり過ごせたとしても、我慢をした本人としては損をした感覚は否めないでしょうし、こうした不全感は積もり積もれば大きなストレスになります。

交渉においても、議論が白熱してくると、相手の感情などお構いなしに強硬な押し付けに出てくる場合がよくあります。
ヒトによっては、あえて「聞く耳を持たない頑固者」という役を演じきることで、相手から妥協を引き出そうと、意図的にそのように振舞う場合もあるのです。
そうした場面で、「仕方ないから相手の言うとおりにしよう」となっては、まさに相手の思うツボです。

では、どうしたらこちらが感じていることを相手にも理解させ、互いの言い分をきちんと俎上にのせた話し合いができるのでしょうか。

まず、例を挙げて考えてみましょう。


<例>

AさんとBさんはビジネススクールの同級生です。
毎日宿題に終われ、一生懸命勉強しています。
二人は親しい友人でもあるので、ノートの貸し借りや勉強の相談など、いつも互いに助け合っています。

あるときAさんが授業を欠席することになり、Bさんに代わりにノートを取ってくれるよう頼んできました。
忙しい中、わざわざ綺麗にノートをとって他人に渡すのも負担になります。
とはいえ友人からの頼みでもあり、BさんはAさんのためにノートの代書を引き受けました。

週末になり、BさんはAさんと約束して会うことにし、頼まれていた授業のノートを渡します。
ところがAさんの反応はBさんの予想を裏切るものでした。

A「折角のノートだけど、この最後の10枚は速記し過ぎて読めない部分があるね。」
B「ちょっと待ってよ。確かに完璧なノートじゃないかもしれないけど、大筋の部分は読めるだろう?教授が話すことを書き留めるのでやっとなんだから」
A「いつもならそれでも問題ないよ。だけど、今回はレポートを書いて出さなきゃいけないじゃないか。しかも期限は明後日の月曜日。この10枚がレポートを書くのに一番重要な部分だろう?」
B「まあ、それはそうだよ。だけど…」
A「だったら悪いけど、この10枚をタイプして読めるようにして送ってよ。今日中に。それから僕が急いでレポートを書いて、まあギリギリだな」
B「そんなこと言ったって…」
A「ノートは読めなきゃノートじゃないよ。僕はタイピストじゃないし、第一このノートは僕には細かい所が読めないから清書しようがない。じゃあ、僕は用があるからこれで。ノートは今日中に必ず、ね」

そう言ってAさんは席を立ちます。
Bさんは引きとめて文句を言おうかと思いますが、Aさんはどうせ聞く耳を持たず、一方的に自分の都合を並べるだけだろうとあきらめてしまいます。
Aさんはいつもこんな風だからです。
あきらめて自分がノートをタイプしてしまえばそれで済む。
とはいえ、今日は別の友人と飲みに行く約束があったのですが、約束はどうもお流れになってしまいそうです…

さて、BさんはどうすればAさんともっと上手にコミュニケーションができるのでしょうか?

(第25回続く)

漂流記

2005-12-21 | 雑記
読書にも色々ジャンルがありますが、以前から「漂流モノ」に興味があります。
主人公の船が遭難したりして、海を漂うサバイバルの記録モノです。
椎名誠さんなども本を紹介する時に漂流モノを一ジャンルとして大きく取り上げたりしますね。

ノンフィクションの面白さというか、現実に起こるぎりぎりの人間模様が心を打ち面白く思います。
中でもお薦めというか、気に入ったものを二つほど挙げると:

一つは、「無人島に生きる16人」(新潮?文庫)。

椎名誠さんもお薦めの一品。
明治時代のハワイ近くの島への漂流記ですが、とにかく明るいのが特徴です。
生活力のたくましさや、船員の団結をくずさない心、かわいいアザラシなど、極限状況と思えないほどポジティブな気持ちになれるのがとても印象的でした。

もう一つが、「漂流」(吉村昭、新潮文庫)。

こちらは何というか、人よりも「島」が主人公です。
鳥島という、小笠原諸島北方の孤島が舞台で、江戸時代にそこに流れ着く人々を描写しています。
史実からも、この島にはとにかく次から次へと漂流があったようで、江戸時代の代表的な漂流劇の舞台のようです。
こちらの小説では大勢が漂着して大半が病気(壊血病など)で死んでしまうのですが、10年以上生き延びてひたすら助けを待ち、最後は新しい漂着者と共に流木で小船を組み立てて八丈島へ脱出。
人が死んでしまう意味では暗い話なのですが、最後まであきらめない不屈の根性や努力が、不思議と前向きな気持ちにさせてくれる本です。
「どんな苦労でもあきらめちゃおしまいだ」みたいな感じでしょうか。

漂流モノだともっとエグイ本(ホラー小説以上に陰惨なノンフィクション)もありますが、どちらかというと前向きな気持ちになれる系統の方が好きですね。

クリスマス

2005-12-19 | フランス暮らし
今週末がクリスマスですね。
日本でもすっかり町のライトアップが定着したみたいで、どこも綺麗です。

さてクリスマスといえば、日本だと「恋人たちの…」とか「クリスマスデート」という感じが強いように思います。
高校生くらいの頃までは、そんなイメージに振り回され、「ああクリスマスなのに自分は一人だ…」と暗い気持ちになったような気もします。

しかしフランスに行って気付いたんですが、向こうの常識でははっきりと「クリスマスは家族のイベント」になっています。
日本のような感覚で、
「クリスマスはボーイフレンドと過ごすんでしょ?」
などと女友達に聞いてみると、「何言ってんの?」みたいな反応がかえってきたりします。
要は、一年に一度家族が全員はるばる集まって一緒にケーキやツリーを楽しむ、童心に返る、日本で言うとお盆か新年のようなイベントなわけです。

逆に向こうでは新年があんまり特別なことではないので、年末年始の休暇はごく短いものだったりします。
日本だと大晦日のカウントダウンも家族でこたつでみかん食べながら皆で、みたいな感じですが。
向こうでは逆に恋人や友達同士でうわっと楽しむ方が普通なようです。

昔より薄れたとはいえ本来は宗教的な荘厳さも必要、ということを考えても、日本のクリスマスフィーバーは面白い現象だと思います。

「何で日本のクリスマスはそんなに過熱するの?」
とフランス人に聞かれ、いったい何と答えたものか考えてしまったことがあります。

「偉大なヨーロッパ文明に憧れを持っているから」

と言えばフランス人が喜ぶことは知りつつも、たどりついた自分なりの答えは、

「楽しいから」

というものでした。
(実感として、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝ってる理由はこれだけじゃないですか?)
真面目な意味で、「メリットさえあれば他人の宗教行事でも無邪気にパクッてしまえる」こだわりのなさが、日本の強みだと思いますね。

北斗の人

2005-12-17 | 雑記
掲題の本を読みました。
司馬遼太郎の小説です。

主人公は千葉周作。
江戸後期の剣術家で、竹刀を使った練習を広め剣道の近代化に大きな足跡を残した人です。
小説自体は最後が尻切れトンボで少し物足りない感じでしたが、千葉周作のような人物については面白く思います。

それまでの剣道といえば「剣の道」と称されるように、合理的な理論よりも精神論や経験万能主義が全て。
そんな中で技の体系化や、危険のない模擬実戦法(竹刀の試合)を深め、「誰でもある程度までのレベルに素早く向上できる」方法論を確立したわけです。

前に「誰でもできるハウツー」はとてもアメリカ的だと書きましたが、日本にもこんな人がいたわけですね。
ちょっと意外でした。

ベストセラー小説の書き方

2005-12-13 | 雑記
前回、本のタイトル間違えてましたね。
すいませんでした。

さて、「ベストセラー小説の書き方」で面白いのがもう一つ。
徹底した目的志向です。

何を言っているかというと、とにかく「売れるためなら何でもやれ」と徹底しているのです。
本に限らず、誰でも自分の思い入れがあることを仕事にしようとすれば、「自分のやりたいこと」と「世間で売れること」のギャップに悩むことはあると思います。
例えばミュージシャンだって、自分の目指す音楽が商業ベースに乗らない、といった苦労はよく聞きます。
このブログだってそうかもしれません。
(そんなことはないか…?)

ともかく、著者のクーンツは

-本当にいいものはいつか必ず売れる
-しかし売れるためにはきっかけや後押しが必要
-そのきっかけや後押しを作ってくれるのが、「売れるためなら何でもする」という姿勢や努力だ

と主張しています。
自己実現全般に通じるものがある気がしますね。
他にも面白かったのが、より具体的な戦術とでもいうか、

-出版業界の市場構造をしっかり理解しろ
-自分のジャンルやタイプを売れる前から定義するな

といった点です。
誰がキーパーソンなのか相手を知り、相手の望みに合わせて戦うことで売りを広げていくわけですね。
自分が推理小説家になりたくても、足がかりになるならハーレクインにソフトポルノでも何でもとにかく引き受けて書け、というわけです。
作家なのに、できるセールスマンと共通するものがあります。

さらに「ああそうだなあ」と納得してしまったのが、

-俺の名作を理解できない世間が悪い

と原因を他人に押し付けたらおしまいだ、という点です。
要は、売れずに終わる作家の典型像というのは、

-自分はこういう作家だと強い信念をもって絶対に曲げない
-出版の業界構造や読者の一般大衆のニーズに関心がない
-売れないのは世の中が悪いからだと考える

といったところでしょうか。
でも、これって日本だと世間のイメージする「典型的な作家」像そのものな気がしますね…

ベストセラーを書く方法

2005-12-12 | 雑記
掲題のような本をみつけて読み始めました。
アメリカのロマンホラー作家(ベストセラーだしまくり)のディーン・クーンツが80年代に書いた本です。
日本だとスティーブン・キングの方が有名でしょうか。

クーンツの小説は結構好きでよく読むんですが、今回こんな本が出ていると初めて知って、興味をひかれました。
何より目を引かれたのが、書き出しの部分。

「ベストセラーを書く方法なんて、もって生まれた感性だから教えることなどできない。
多くの作家はそんな風に主張する。
私もそれを完全に否定する気はないが、それでも才能ある若い書き手が苦労する時間を少しでも縮めて、一刻も早くまだ生まれないベストセラーを世に出す助けはできるのではないか。
それがこの本を書こうと思った目的だ」

こんな感じのことが書かれています。
面白いと思ったのは、「ベストセラーを出す」など、非常に感性が重要だと思われがちな分野でも、とにかくハウツーを打ち立ててしまおうとする点です。
この辺りはアメリカ社会の特徴かもしれませんが、とにかくハウツーが多い。
フォード生産方式も思想的には同じかもしれませんが、とにかく

-どんな馬鹿でもこれさえ読めばそこそこできる

という標準化・明文化を徹底するのがアメリカの特徴であり、強みでもあると思います。
日本の生産現場でも「これだけは守れ」という暗黙のルールが強烈に現場を支配していることはありますが、それでもある種のルーズさというか、

-ルールはこうだが、何か気付いたことがあれば少しルールを曲げて追加するように

というフレキシブルさを同時に追求しているような気がします。
「本当に大事なことは各人の頭の中にある」というか。

こんなことが気になったのも、「交渉術」など、まさに人それぞれの感覚が問われる部分をアメリカ的にハウツーにしたものだなと思うからです。
あいまいで感覚的なことを明文化し、とにかくその通りやれば馬鹿でもそこそこできるようにする。
結果として全体の平均が上がってくれば、昔のハウツーが「常識」化してしまうので、本当にできる人間はさらに進んだハウツーを考えて世に出す。

こういうサイクルを繰り返しているのがアメリカな気がしますね。

(この話続く)

忘年会

2005-12-10 | 雑記
今週は日本各地を飛び回っていました。
新幹線で東京から長野に向かうと、既に軽井沢のあたりは雪がうっすら積もっています。
一方で東海道新幹線の方は、明るい駿河湾が車窓から見えたりします。
気候風土の全然違う所を、時速200キロですいすい移動できてしまうところが、なんとも「日本」な感じですね。

さて、日本でこの時期といえば忘年会。
ビジネスマンならとりあえず会社がらみでいくつか参加する方が多いと思いますが…

まだ12月も日にちが残っているので、まだ綺麗さっぱり「忘年」はできないんですよね。
「年末までにこれやんなきゃ、あれやんなきゃ」とあくせくした感じで参加している人もホンネでは結構いるのではないでしょうか。
全て仕事が片付いてから、年の瀬ぎりぎりに痛飲する方が楽しい気がしますね。

そういう意味では新年会の方がいいなあと思いつつ、今日も飲みに行って来ます。
(人によっては新年の方が慌しいんですかね?)