MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

ウェブ進化論(2)

2006-04-24 | 雑記
昨日も書いたとおり、非常に本質を鋭くえぐった本だと思います。
二点ほど思ったことを書くと。

まず一つには、技術革新は「並行的」ではないか?ということ。
(この本の立場もそうですが)
歴史を紐解いても、新しい革命的な技術の登場は、その瞬間に全てが切り替わるものではありません。
有史以降でいうと、10年から100年の単位で最初は古いものと新しいものが並存し、やがて淘汰と切り替えが進行する。
そんな繰り返しではないでしょうか。
もちろん「火を使う」といった大昔の技術革新は世界中への伝播に数千年レベルを要したでしょうから、その変化のペースは確実に速まっているのでしょうが。

さらに同書でもかつての技術革新の例として鉄道が挙げられていますが、鉄道は自動車が登場してもいまだ並行して存在しています。
旧技術や概念が死滅するというよりも、「新しい選択肢が増え、より優位に立つが古いものも残る」という社会変化の方が、より現実味を帯びているような気もします。
(少なくとも私たちが生きている間、くらいは)

またもう一つ思ったのは、ブログの可能性。
相互リンクと評判(アクセス数やリンク数など、参照される度合い)が玉石混交の「玉」の部分を自動選別する、という論。
学会が独占している知の創造を共有空間で進めることが可能になる、という概念は非常に面白いと思います。

考えてみれば学会論文も
+査読というピア評価を経て、掲載されるポジションがきまり
+参照数が良否の評価の大きな目安となる
という点ではブログと大して変わらないのかもしれません。

まあ、このブログはかなり一方通行で、そうした意味ではダメブログなのかもしれませんね…

ウェブ進化論

2006-04-23 | 雑記
掲題の本を読んでいます。
話題の本ということで、どんなものかと半信半疑で読んでみたらこれが目から鱗。

非常に分かりやすく、鋭い視点で来るべき動きを論じています。
私もどちらかというと「リアル世界」の住人で、ネットの世界にはあまり詳しくありませんが、それでも十分楽しめる(はっとさせられる)視点がいっぱいでした。

(この話続く)

フランスの学生デモ

2006-04-13 | フランス暮らし
最近とみにフランスでの学生デモが話題になっています。
大学も授業や試験ができず、社会の機能が一部まわらなくなっているようですね。

テレビなどを見ると、根っこには「失業問題の負担を若者に押し付けるのか」という反発があるそうですが。
その意見自体はまっとうだと思いますが、構造的に考えて、実際に彼らの親の世代と同じような生活が将来にわたって持続可能なのか、は疑問を感じます。

「労働者の権利」の名の下に、
どんなに無能でもクビを切れない
バカンスはどんな人も最低1ヶ月
社会保障も日本より手厚い社会(中心の対象は移民以外)。

そしてそれらを支えてきた
植民地からの資産収奪と、それによって築いた多くの世界遺産。
世界遺産を目当てに集まる観光客からの収入。

叫ぶ若者たちをみて気持ちは分からなくはない、と思いつつも、

-あれだけ非効率でぬるま湯につかった労働社会が健全だとホントに思っているのかな?

と疑問を感じてしまいます。

学校やビジネススクールも事情は同じで、どんなに無能な事務員もクビにならない(できない)ので、オペレーションの非効率さ、こればかりはアメリカの学校に遠く及ばないポイントだと思います。
まあ、「学校」という世界自体、世間よりは競争にさらされない傾向があるので非効率はそもそもいっぱいあるのかもしれませんが…

<28>典型的なだましのテクニックとは?

2006-04-08 | 第三部:実戦で交渉に勝つコツは?
実際に交渉をするとなると、交渉の相手は必ずしもきちんとしたヒトばかりではありません。
中には、様々なだましのテクニックを駆使して交渉相手から最大限の利益をむさぼろうとする輩も多くいるのが現実です。
こうした交渉者に対抗するためには、相手の手の内を予めよく理解し予測しておくことが必要です。

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-交渉相手にするならどんなヒトが信頼できそうでしょうか?

様々な要素が考えられますが、たとえば

+態度がソフトでこちらの話を上手に聞く相手
+世間の相場に合った「適正」な要求をしてくる相手

などは、信頼できそうな印象があるでしょう。

しかしながら、信頼できそうな相手が、本当に誠実で望ましい交渉相手とは限りません。
詐欺師だって、ぱっと見にはウソなど決してつかなさそうな、優しい容貌をしていたりするものです。
交渉で特に注意すべきだましの典型的なテクニックも、上に挙げたような「一見信頼できそう」な姿をしています。

まず、あまりに態度がソフトで過度に聞き上手な姿勢を示す相手は考えものです。
勿論、そうした温和で合理的な姿勢が芯から身についている人もいますが、場合によっては演技(もしくはテクニック)でそうした姿勢を見せている可能性があります。

特に典型的なトリックなのは、ソフトな姿勢で油断させ、こちらの話をうまく引き出させることで交渉を自分に有利に進めさせるものです。
具体的には、必要以上にこちらの手の内(BATNA等、交渉上の機密情報)を話させる技。
またこちらの話を聞いた後にもう一度話をまとめ(アクティブリスニング)、その際に自分に有利なように微妙にニュアンスを変えてしまう技があります。
ソフトな語り口に引き込まれ、いったん相手を受け入れる姿勢を取ってしまうと、普通の人では「ここから先は秘密だから話せない」とか「そんなことは言っていない、訂正しろ」といった、攻撃的な対抗表現を持ち出しにくくなります。
相手の狙いはまさにそこにあり、「なんとなく強くNoと言えない」雰囲気を作り出せばしめたもの。
あとは「いいヒト」の顔で一気に畳み掛けて交渉を自分に有利にまとめようとします。

また、世間の相場に合った「適正な」要求をしてくる相手、というのも無条件に受け入れるべきではありません。
そもそも「適正な」水準とは何なのか、本質的にはどんな交渉でも絶対の基準は存在しません。
何が「適正」なのかを決めることこそが交渉そのものなのですが、だましのテクニックに長けた交渉者の場合、「あたかもこれが適正な水準だ」とこちらの頭に刷り込ませ、それをテコに攻撃を仕掛けてくる場合があります。

典型的には、そうした攻撃は三つの形を取ります。
三つというのは、
1. 罪悪感
2. 脅迫
3. 賄賂
です。

まず「罪悪感」というのは、相手が適正な水準を提示して最大限に努力しているのに、こちらが無理難題を押し付けて交渉を難航させている、という印象を持たせる技です。
実際相手が提示しているのは適正な水準どころか、相当自分に有利な条件だったりするわけです。
具体的にはこんなセリフが当てはまるでしょう。

「この価格でも合意してくれないんですか?
よそのどの業者をあたったって、これ以上にサービスした価格を出せるところなんかありませんよ。
他ならぬあなたのお願いだったから精一杯値引いて、やっとこの価格でどうにか稟議も通してきたのに。
こちらはいつもあなたの要望にお答えしてきたのに、急にそんなことを言うなんて信じられませんよ…」

次に「脅迫」も、この「適正」な水準を受け入れずにNoなどと無茶を言うなら実力行使も辞さない、その位自分の提案は「適正」だ、と「適正」の定義を押し付けるトリックを使用します。
セリフにすればこのようなものが当てはまるでしょう。

「この価格でも合意してくれないんですか?
どこの業者でもこの水準が精一杯のサービスですよ。
そんな無茶を言っていたら、この業界で今後やっていけなくなるかもしれませんよ。
業者の横のネットワークはあなたが思っているより強いんですよ…」

最後に「賄賂」というのは、文字通り袖の下を送り、こちらを篭絡しようとする技です。
この際は、相手の提案が「適正」だというよりも、こちらにも利益を食わせることで「適正」な合意案を一緒に作った、という印象を与えることが主眼となります。
セリフにすればこのようなものが当てはまるでしょう。

「この価格でも合意してくれないんですか?
じゃあこうしましょう。
あなたに個人的にX%のマージンを渡すことにしましょう。
こうすればあなたにとっても損のない話になりますからね…」

今回は典型的なだましのテクニックを考えてみました。
日本人同士ならこうしただましのテクニックも「ああこれだな」とその場ですぐに分りやすい部分がありますが、これが異なる文化圏の交渉者となると、難しさが格段に上がります。
行動や発言のニュアンスを理解する前提が大きく違うため、同じ交渉内容でも多くの誤解が発生するからです。
そこで次回は、海外の交渉相手と信頼関係を作る際に注意すべきこと見ていきたいと思います。

かんかん虫は唄う

2006-04-07 | 雑記
掲題の本を読んでいます。
(講談社、吉川英治文庫)
最近堅い話が続いたのでちょっと気休めに。

舞台は20世紀初頭の横浜。
ドックで働く不良少年(かなづちでかんかん叩くから『かんかん虫』だそうです)たちを主人公に、当時の港町横浜の情景が描かれた小説です。

読んでいて驚くのが、今ではありえない描写というか、社会背景。
まず貧富の差がこれでもかと言うくらい明確に分かれていて、それが当たり前になっています。
乞食や貧乏長屋があり、成金のお大尽がいて、という社会構成は確かに、明治や大正を舞台にした小説には良く出てきます。
とはいえ、かたや食うや食わずやの肉体労働者、かたや別荘やお妾が沢山いる事業家、が同じ町に混在している。
最近「階層社会」「勝ち組負け組」などといわれてきていますが、ついこの前まで日本だってもっと絶望的なまでの階層社会だったわけですね。
当時は中学校にも行けない子供が普通に沢山いたわけで(この小説の主人公もそうです)、それを考えると「最近教育格差が広がっている」等とテレビでいっているのもどんなものかと思わされます。

また、横浜中華街が阿片窟のように描かれてたり(本当にそうだったのかどうかは知りませんが)、居留外人が特権階級として練り歩いていたり、今から見るとつい100年前とは思えない変わった情景が描かれています。
時代が変われば常識が変わるもので、そうしたギャップが非常に面白く感じました。

吉川英治の全集は中学時代にほとんど読んだのですが、今文庫になって出ているのを見るといくつか取りこぼしがあることに気付いたりして、その辺りも本屋に行くと発見があって楽しいですね。

人材育成

2006-04-06 | 雑記
近年経営者の関心としてとみに熱いのが、古くて新しい「いかにしてヒトを育てるか」という問題だと思います。

失われた10年も終わりを向かえ、「さあいざ未来へ」と上を向くと、現実にできる力とやるべきことのギャップに悩む。
インターネットや株主資本主義や何やかやと時代の変化が激しい。
そんな時こそ、一時的な戦略の当否よりも環境に適応できる力を持っていることが問われる。
そうは言っても新しい時代の要求に対応したヒトを育てることはどうしたらいいものか。

今はそんな踊り場のような時代ではないでしょうか。

企業から見て、人材育成/研修/トレーニングに対するWillingness to pay(購買意欲)はかつてないほどに高まっているように感じます。
身の回りで見る個人が裸一貫から立ち上げる起業ネタとしても、かつては「インターネットを使ったXX屋」もしくは「ITコンサルティング」みたいなのが主流だった気がしますが、今実は「研修屋」がホットなのではないでしょうか。
もちろん研修も内容はそれこそ「ビジネス英会話」から「経営者道場」みたいなものまでピンキリですが。

特に近年は出版やブログで一発当てれば一気に著名になってプレミアムが取れるようになるので(例えば『さおだけ屋は…』等でしょうか)、そういう一発屋を狙えば出版/研修であとは食べていけそうな気がしますね。

これからの社会のあり方を考えた時に、そうした「一人一芸」というか、それぞれが自分なりの専門性を軸にネットワークを張って生きていくモデルが提唱されています。
そういう意味では研修も「カネを払う所に自分の専門性を売っている」と捉え直せそうです。
普通に雇用されていても部下や周囲に何かを教える機会は沢山あるわけで、究極的には雇用でも研修請負でも変わらない。
そんな社会が来つつあるということでしょうか。