MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

国内MBAの本当の問題

2016-12-09 | MBA
MBA話の続きです。

国内MBAも価値がゼロではない、と書きました。
しかし、国内MBA(というか大学経営系学部全般)には問題もあると思います。
それは、「海外トップ校なら一番中心になるタイプの教員が、そもそもいない」ということです。

国内でも海外でも、MBAの教員は大きく「実務系」と「研究系」の二種に分かれます。
(遠藤功さんの新書の通り)
「実務系」は、実務経験を素材に、実用的な知見、ビジネスの最新動向、ビジネス的な思考法などを提供する。
「研究系」は、学術研究を素材に、学術的な知見、理論の古典と最新動向、科学的な思考法などを提供する。
ざっくり言うとこんな感じです。

それ自体は良いのですが、日本の場合、「実務系」「研究系」それぞれ海外トップ校と差があると思います。

<実務系>

「実務系」の場合は、日本では有名企業の経験者が好まれる傾向が強いと思います。
誰でも知っている企業の元役員、有名コンサルティング会社の元パートナー、等。

しかし私が触れた海外トップ校の実務系教員は、「有名企業出身者」でなく具体的な専門家こそ注目を集めていました。
例えば、年齢は若いがプロの交渉人として生活している人。
コンサルタントでも、自分の事務所を作って特定分野に特化して国際的に活躍している人。
ビジネスマンを相手にした精神分析の専門家、等。

勿論、ピンポイントのスピーカーとして有名企業の経営者等も呼ばれていましたが。
単に「元マッキンゼー」のような有名コンサルティング会社の幹部だから教員です、という人は皆無でした。
まあ、参加者の相当数がそれこそマッキンゼー等から企業派遣の若手なので、
「いつもの上司と同じような人の話を聞いてもしょうがない」
というニーズ面もあったように思いますが。

いずれにせよ、海外では具体的にどういう希少価値ある視点と実績を持っているか、が強く問われていたと思います。
その点、程度の差はあれ「有名なゼネラリスト」の実務家が比較的尊ばれる点に、日本の特徴があると思います。

<研究系>

「研究系」の場合は、今の日本の大学には二重の限界が出ていると思います。
一つは、研究のガラパゴス化。
日本の経営関係の学会はとても活発で独創的なのですが、完全に国際的なグローバル統合の波から遅れています。
最近は、海外の研究成果をビジネス向けにキュレーションする本などが増えてますが、国際発信は少なく完全に輸入超過。
国際的に一定以上のレベルで研究発信している人がそもそも少なすぎる状況が、第一の問題です。

もう一つの問題は、「象牙の塔」問題。
記憶をたどると海外では、多くの「研究系」の教授がコンサルティング等で積極的に実務に参加していました。
研究が好きだとしても、同時にセルフマーケティングや自分の理論を使ったコンサルティングも大得意。
そういう教員の方が話も面白く、MBA参加者に人気が高い教員だったりします。

日本でも社外役員・監査役・研修など企業に関わって活躍される研究系の教員は少なくありません。
しかし、その呼ばれる理由は基本的に「先生だから」「当たり障りがないから」なのが実態ではないでしょうか。
自分が研究提唱する理論を反論されても売り込み納得させ実践し、研究にも役立てるような人は日本では少数派です。


そういう意味で、「実務系」も「研究系」も今一つのまま、解決の決め手を欠いているのが国内MBAの問題だと思います。

日本人にMBAはいらないか?(続き)

2016-12-07 | MBA
「MBA」に価値は無いか?
もう少し補足で考えてみたいと思います。

私が自分で行って価値があると思ったのは、海外トップ校で世界の相場観を知ることであり、多様性の幅を広げることでした。
その点、話題とした新書とやや似た見解です。

ただ、私は著者と違って「だからといって国内MBAが無意味だ」とも思いません。
理由は二つ。

一つには、授業でピンポイントに「これが知りたい」ニーズを満たせることはあるからです。
例えば、仕事で企業価値評価をしてきたが、もう一度基本から最新までおさらいしたい。
マーケティングをしてきたが、自分の経験知を定番の教科書のおさらいから、体系的に整理したい。
生産管理や管理会計の知識が無いが、一通り幅広くイロハを知っておきたい。
こういうニーズは人によってあると思います。

本を買って孤独に読むより、専門家や同じ関心がある人と集まって話すと、学びは効率的でしょう。
その意味で、アラカルトの勉強には価値があると思います。

しかし、それだけで大学二年間などフルコース行く必要があるかは別の話。

そこでもう一つMBAに価値がある理由は、やはりブレイクを取って人生のリズムを自分で作ることだと思います。
一年か二年か、仕事から少し距離を取って過去未来を振り返る。
そういう自分専用の思考時間を、「MBA」の名で正当化し可能にすることが実態としての価値ではないでしょうか。

話題の新書(遠藤功さんの本)は、そういう発想こそが怠けグセで中途半端でダメだ、という感じですが。
確かに、能力向上や効率の点で、ぬるくやればそこそこしか成果は出ません。
しかし、人生100年時代で考えると、既に「学び直し」・「キャリア軌道修正」・「複線キャリアの同時管理」は不可避と思います。
昔のように仕事と私生活を二分し、一気に駆け抜け一本道でゴールまで行ければ分かりやすいのですが。。

仕事の比重が絶大に重い時もあれば、(介護や育児も含め)そうはいかない時もある。
エッジをきかせるために、常に何らかの新しいスキルをゆるく学習し続ける。
あることを半分趣味で始め、いつの間にかそれが仕事そのものではないがちょっとした仕事のエッジになる。
無料で引き受けた人助けが、いつの間にかそれなりに引き合いの多い状態になる。

このような状況は、意外に一般的ではないかと思います。
MBAに話を戻すと、国内MBAを始めることで、自分の意思で自分の生活にこういうリズム感やゆらぎを作ることが出来る。
MBAに実利があれば尚良いが、遠藤さんが指摘するように日本ではMBAで収入が上がらないとしても、それはそれで良い。
大した成果が出なくても、最低限学位を取って、社会的に「私は努力した」とは言える。損にはならない。
こういう感じで日本人にMBAの価値があるのが実態では、と私は見ています。

要は、別にどうしても学位や知識が欲しいわけではなくて、MBAがある種の「ちょうどよい選択肢」になっている感じでしょうか。

結論を言おう、日本人にMBAはいらない

2016-12-06 | MBA
最近著名コンサルタント(遠藤功さん)が新書で出した、掲題の本を拝見しました。

本の趣旨は、「基本的にMBAには言われるほどの価値が無い。現場視点で考え続けることこそ大切」のような感じと理解しました。
アマゾンの書評は、これへの批判で盛り上がっているようです。
面白いテーマなので、MBAに価値はあるのか?少し考えてみたいと思います。

まず、この本にはいくつかの世界観の前提があると思います。
私は、著者のニュアンスを下のように理解しました。

― MBAにも色々あり、どのセグメントかによって話が全く変わる
― 海外トップ校は、グローバルエリートの特殊コミュニティであり、そこに仲間入りする時点で既に価値がある
― 海外中堅校だと、新鮮な海外経験としては価値があるが、それを超えた実務能力の飛躍的向上は無い
― とはいえ、企業派遣も減った今、個人がそれら海外校に行くのは費用も要求水準も高く、あまり現実的でない
― なので、国内大学が最近整備を進めてきた国内MBAに「とりあえず」で行く人がどんどん増えた
― しかし、そういう国内MBAに「とりあえず」で行っても、大した効果は無い
― なぜなら、今の国内MBAは参加者が同質的な日本人の集まりに過ぎず、教授陣も国際的に通用しない水準だからである

こんな感じでしょうか?
これらについて、私も大筋はその通りだと思います。

著者は早稲田大学の教員を辞めたそうで、辞め際の暴露的に見える本なので書評が炎上しているのかもしれません。
辞めて悪口を書く位なら、内部から責任もって改革しろよ、と。
一方で、話題作りのためにわざと挑発的な題で炎上商法の本を書いた感じもしますね。

中身の話に戻ると、私もMBAに価値があるのはそのコミュニティに入ることと、多様性を理解し体現することが主だと思います。
海外トップ校を出ましたが、授業の中身に特別な価値があるとしても、正直それはほんの一部の科目だと思います。
(たとえば交渉術とか…)
読みたければ教科書は誰でもアマゾンで買えるし、講義も今時動画で見られるわけですし。
MBAで「戦略」の授業を取ったから、現実の戦略立案に何かが役立ったと思ったことは、一度もありません。

そうではなくて、
― こういう世界トップレベルの学校に来るのは、どういう水準の人たちなのか
― 彼らと伍して対等に競争し仲良くなるには、どういう前提をおさえないといけないのか
― そういう中で、(国籍や仕事経験を踏まえた)自分の強み弱みはどこにあるのか
― そういう中で、自分が勝てること(好きなことやありたい姿)は何なのか

といったことを、本当に自分ごととして、短期間で濃密に煮詰める。
あるいは他の参加者の悩みを見ることで、同じ時代に全然違う人たちがたくさんいるあり方を知る。
そういうことに、自分にとっては価値があったと思います。