MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

毎日が日曜日

2008-06-16 | 雑記
掲題の本を読みました。
(城山三郎、新潮文庫)
高度成長に陰りが見え始めた、オイルショック頃の商社マンを描いた経済小説。
「官僚たちの夏」に代表される、著者得意の分野(戦後を題材にしたノンフィクション的小説)です。

城山三郎さんの小説は戦争モノが中心で経済系のモノは読んだことがなくあまり興味も無かったのですが、予想に反し最後まで一気に読んでしまいました。
一個人には抗いがたい、組織の力学や出世の論理や日本全体の大きな経済のうねりなど。
主人公たちはそういう波の中でサラリーマンとして翻弄され、一喜一憂しつつ一生懸命生きて行く。
派手でもないし格好良くはないが、一生懸命生きていることは間違いないし、そうした個人の集合が社会を構成している。
熱い気持ちは分かるし、「制約の中での一生懸命さ」には非常に共感します。

一方で、時代が違う(1970年代が舞台)ので、違和感を感じる部分も結構ありました。
勿論、大きな前提となる部分として、

-日本経済が基本は上り坂で、本当の下りに入っていない(バブル前)
-(当然)冷戦も終結していない
-そういう意味で政治も経済も「55年体制」的なものから本質的な変化はまだない
-テクノロジーがアナログ的(例:インターネットが無い…当たり前ですが)

といった大きな違いはあるのですが、それらはどちらかと言えば個人から見れば外部条件。
むしろ大きな違和感を持ったのが、内面というか、主人公たち商社マンが外地勤務やグローバル化をどう捉えているかと言う感覚。

例えば主人公の娘は駐在先のアメリカ育ちで、英語は話せるが日本語はうまく話せない。
そのため、主人公たちは人前(同僚の前)に娘を出す時に風邪をひいているかのようにマスクをさせて、黙っていてもおかしくないように糊塗します。
なぜなら、日本語をまともに話せないことは恥であるし、「まともな教育を与えていない」印象にもつながるから。
勿論日本でやっていくには日本語ができないと困るわけですが、だからといって娘が小学校低学年くらいだったら、むしろ

-英語ができてうらやましいですね
-将来も海外で活躍できるでしょうね、そういう時代ですし

位のポジティブな反応は、現在だったらでそうなものかと思います。
根底にあるのは、

-日本人なんだから日本で生きていくのが絶対条件
-外地勤務など聞こえはいいが、生活の便利さなど実態は悲惨なもの
-国の経済成長のために、個人が犠牲になっていく「企業戦士」こそ一人前の男

といった、2008年の空気の中ではかなり理解困難な哲学だと思います。
とはいえ当時はこうした空気がむしろ当たり前で異論も出しようがなかったのでしょうし、またそうした空気はそのまた一世代前からしたら理解困難なものかもしれません。
それが良い悪いの問題ではないと思いますが、こうした個人を取り巻く空気や内なる生き方の前提の違いが、世代間ギャップを生んでいくのだと感じました。


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