MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

学位を取って10年以上残るものは

2017-01-04 | MBA
あけましておめでとうございます。
今年も、皆様にとって最高に楽しい一年になりますように。

MBAを取って十数年になりますが、今日まで残っているものは何か?
ふと考えてみました。

「知識」は、うろ覚えで細かい点は忘れたことも多数。
「ワクワク感」も、だいぶ年齢を重ね、「若いころの思い出」に。
「仕事に使えるネットワーク」も、そこまでは使っていない。
学位ブランドは、ドアオープナーとして一定の効果はあるが、結局は本人次第。

やはり、残ったのは「友人」ではないかと思います。

毎年冬になると、日本に旅行に来る友人がいます。
最初は夫婦で来ていたのが、子供が一緒に来る、子供が増える、さらに子供が少しずつ大きくなる。
こちらも毎年確実に少しずつステージが変わっていく。
そのような変化が風物詩になっています。

SNSで薄くつながった同窓生多数も含め、結局これが一番はっきり残ったものかと思います。
高いお金を出して行ったのなら、もう少し人脈も仕事に活用すべきなのかも知れませんが。。

国内MBAの本当の問題

2016-12-09 | MBA
MBA話の続きです。

国内MBAも価値がゼロではない、と書きました。
しかし、国内MBA(というか大学経営系学部全般)には問題もあると思います。
それは、「海外トップ校なら一番中心になるタイプの教員が、そもそもいない」ということです。

国内でも海外でも、MBAの教員は大きく「実務系」と「研究系」の二種に分かれます。
(遠藤功さんの新書の通り)
「実務系」は、実務経験を素材に、実用的な知見、ビジネスの最新動向、ビジネス的な思考法などを提供する。
「研究系」は、学術研究を素材に、学術的な知見、理論の古典と最新動向、科学的な思考法などを提供する。
ざっくり言うとこんな感じです。

それ自体は良いのですが、日本の場合、「実務系」「研究系」それぞれ海外トップ校と差があると思います。

<実務系>

「実務系」の場合は、日本では有名企業の経験者が好まれる傾向が強いと思います。
誰でも知っている企業の元役員、有名コンサルティング会社の元パートナー、等。

しかし私が触れた海外トップ校の実務系教員は、「有名企業出身者」でなく具体的な専門家こそ注目を集めていました。
例えば、年齢は若いがプロの交渉人として生活している人。
コンサルタントでも、自分の事務所を作って特定分野に特化して国際的に活躍している人。
ビジネスマンを相手にした精神分析の専門家、等。

勿論、ピンポイントのスピーカーとして有名企業の経営者等も呼ばれていましたが。
単に「元マッキンゼー」のような有名コンサルティング会社の幹部だから教員です、という人は皆無でした。
まあ、参加者の相当数がそれこそマッキンゼー等から企業派遣の若手なので、
「いつもの上司と同じような人の話を聞いてもしょうがない」
というニーズ面もあったように思いますが。

いずれにせよ、海外では具体的にどういう希少価値ある視点と実績を持っているか、が強く問われていたと思います。
その点、程度の差はあれ「有名なゼネラリスト」の実務家が比較的尊ばれる点に、日本の特徴があると思います。

<研究系>

「研究系」の場合は、今の日本の大学には二重の限界が出ていると思います。
一つは、研究のガラパゴス化。
日本の経営関係の学会はとても活発で独創的なのですが、完全に国際的なグローバル統合の波から遅れています。
最近は、海外の研究成果をビジネス向けにキュレーションする本などが増えてますが、国際発信は少なく完全に輸入超過。
国際的に一定以上のレベルで研究発信している人がそもそも少なすぎる状況が、第一の問題です。

もう一つの問題は、「象牙の塔」問題。
記憶をたどると海外では、多くの「研究系」の教授がコンサルティング等で積極的に実務に参加していました。
研究が好きだとしても、同時にセルフマーケティングや自分の理論を使ったコンサルティングも大得意。
そういう教員の方が話も面白く、MBA参加者に人気が高い教員だったりします。

日本でも社外役員・監査役・研修など企業に関わって活躍される研究系の教員は少なくありません。
しかし、その呼ばれる理由は基本的に「先生だから」「当たり障りがないから」なのが実態ではないでしょうか。
自分が研究提唱する理論を反論されても売り込み納得させ実践し、研究にも役立てるような人は日本では少数派です。


そういう意味で、「実務系」も「研究系」も今一つのまま、解決の決め手を欠いているのが国内MBAの問題だと思います。

日本人にMBAはいらないか?(続き)

2016-12-07 | MBA
「MBA」に価値は無いか?
もう少し補足で考えてみたいと思います。

私が自分で行って価値があると思ったのは、海外トップ校で世界の相場観を知ることであり、多様性の幅を広げることでした。
その点、話題とした新書とやや似た見解です。

ただ、私は著者と違って「だからといって国内MBAが無意味だ」とも思いません。
理由は二つ。

一つには、授業でピンポイントに「これが知りたい」ニーズを満たせることはあるからです。
例えば、仕事で企業価値評価をしてきたが、もう一度基本から最新までおさらいしたい。
マーケティングをしてきたが、自分の経験知を定番の教科書のおさらいから、体系的に整理したい。
生産管理や管理会計の知識が無いが、一通り幅広くイロハを知っておきたい。
こういうニーズは人によってあると思います。

本を買って孤独に読むより、専門家や同じ関心がある人と集まって話すと、学びは効率的でしょう。
その意味で、アラカルトの勉強には価値があると思います。

しかし、それだけで大学二年間などフルコース行く必要があるかは別の話。

そこでもう一つMBAに価値がある理由は、やはりブレイクを取って人生のリズムを自分で作ることだと思います。
一年か二年か、仕事から少し距離を取って過去未来を振り返る。
そういう自分専用の思考時間を、「MBA」の名で正当化し可能にすることが実態としての価値ではないでしょうか。

話題の新書(遠藤功さんの本)は、そういう発想こそが怠けグセで中途半端でダメだ、という感じですが。
確かに、能力向上や効率の点で、ぬるくやればそこそこしか成果は出ません。
しかし、人生100年時代で考えると、既に「学び直し」・「キャリア軌道修正」・「複線キャリアの同時管理」は不可避と思います。
昔のように仕事と私生活を二分し、一気に駆け抜け一本道でゴールまで行ければ分かりやすいのですが。。

仕事の比重が絶大に重い時もあれば、(介護や育児も含め)そうはいかない時もある。
エッジをきかせるために、常に何らかの新しいスキルをゆるく学習し続ける。
あることを半分趣味で始め、いつの間にかそれが仕事そのものではないがちょっとした仕事のエッジになる。
無料で引き受けた人助けが、いつの間にかそれなりに引き合いの多い状態になる。

このような状況は、意外に一般的ではないかと思います。
MBAに話を戻すと、国内MBAを始めることで、自分の意思で自分の生活にこういうリズム感やゆらぎを作ることが出来る。
MBAに実利があれば尚良いが、遠藤さんが指摘するように日本ではMBAで収入が上がらないとしても、それはそれで良い。
大した成果が出なくても、最低限学位を取って、社会的に「私は努力した」とは言える。損にはならない。
こういう感じで日本人にMBAの価値があるのが実態では、と私は見ています。

要は、別にどうしても学位や知識が欲しいわけではなくて、MBAがある種の「ちょうどよい選択肢」になっている感じでしょうか。

結論を言おう、日本人にMBAはいらない

2016-12-06 | MBA
最近著名コンサルタント(遠藤功さん)が新書で出した、掲題の本を拝見しました。

本の趣旨は、「基本的にMBAには言われるほどの価値が無い。現場視点で考え続けることこそ大切」のような感じと理解しました。
アマゾンの書評は、これへの批判で盛り上がっているようです。
面白いテーマなので、MBAに価値はあるのか?少し考えてみたいと思います。

まず、この本にはいくつかの世界観の前提があると思います。
私は、著者のニュアンスを下のように理解しました。

― MBAにも色々あり、どのセグメントかによって話が全く変わる
― 海外トップ校は、グローバルエリートの特殊コミュニティであり、そこに仲間入りする時点で既に価値がある
― 海外中堅校だと、新鮮な海外経験としては価値があるが、それを超えた実務能力の飛躍的向上は無い
― とはいえ、企業派遣も減った今、個人がそれら海外校に行くのは費用も要求水準も高く、あまり現実的でない
― なので、国内大学が最近整備を進めてきた国内MBAに「とりあえず」で行く人がどんどん増えた
― しかし、そういう国内MBAに「とりあえず」で行っても、大した効果は無い
― なぜなら、今の国内MBAは参加者が同質的な日本人の集まりに過ぎず、教授陣も国際的に通用しない水準だからである

こんな感じでしょうか?
これらについて、私も大筋はその通りだと思います。

著者は早稲田大学の教員を辞めたそうで、辞め際の暴露的に見える本なので書評が炎上しているのかもしれません。
辞めて悪口を書く位なら、内部から責任もって改革しろよ、と。
一方で、話題作りのためにわざと挑発的な題で炎上商法の本を書いた感じもしますね。

中身の話に戻ると、私もMBAに価値があるのはそのコミュニティに入ることと、多様性を理解し体現することが主だと思います。
海外トップ校を出ましたが、授業の中身に特別な価値があるとしても、正直それはほんの一部の科目だと思います。
(たとえば交渉術とか…)
読みたければ教科書は誰でもアマゾンで買えるし、講義も今時動画で見られるわけですし。
MBAで「戦略」の授業を取ったから、現実の戦略立案に何かが役立ったと思ったことは、一度もありません。

そうではなくて、
― こういう世界トップレベルの学校に来るのは、どういう水準の人たちなのか
― 彼らと伍して対等に競争し仲良くなるには、どういう前提をおさえないといけないのか
― そういう中で、(国籍や仕事経験を踏まえた)自分の強み弱みはどこにあるのか
― そういう中で、自分が勝てること(好きなことやありたい姿)は何なのか

といったことを、本当に自分ごととして、短期間で濃密に煮詰める。
あるいは他の参加者の悩みを見ることで、同じ時代に全然違う人たちがたくさんいるあり方を知る。
そういうことに、自分にとっては価値があったと思います。


MBAに出願するということ

2016-01-04 | MBA
2016年になりました。
まだ本編の書き残しがあり、スローペースですがもう少し続けていきたいと思います。

さて、MBAを取得して10年強がたちました。
2016年秋学期からに海外出願する人は、ちょうど締め切りシーズンかと思います。
私の頃はまだ郵送出願もぎりぎり受け付けていましたが、今はウェブ出願に一本化されているようです。
もうずいぶん昔の話になりましたが、不安な中で何とか間に合わせようと頑張った記憶があります。

海外留学の出願は、結果の良否はともかく、出して結果を受け取ることが重要だという側面もあると思います。

出す時点では、行き先がどんなところか正しく理解できていない。
どの位の実績や学歴が「すごい」と言えるのか、相場が分からない。
英語が正しく書けていない。
など。

出す時は誰でももっともらしく自信あり気に書きますし、ミスも何もないと考えています。
しかし個人的には、出願書類は上のような点で後から振り返ると穴だらけだったことに、徐々に気づいていくものでした。
(合格したものも含めて)
こういう書類は学校側には自分の良い点をひたすらアピールするもの。
でも自分に対しては、逆にそういう無理な作り込みを通じて、いかに弱点があるかを痛感させられていくようなプロセスだと思います。
しかも、出願している時点ではどこが弱いのかも自分ではよく分からないものです。
(それが分かる程度に成長するためにも留学したいわけですから)
自分もそうでしたが、特に「ここなら受かるのでは」と勝手に思っていた自分の中での「滑り止め」に落ちた時などが響きます。

そうした意味で、出願しフィードバックを受けた時点で、「自分や他の世界をもっと客観的に知る」という留学の目的も実は少し満たされているものと思います。

また、MBAでの実話として、同じクラスに締め切りを少し過ぎて出願したのに入ってきたと噂される人がいました。
どこでもそうですが本来〆切は絶対で、遅れたらまた来年の出願者として扱う、となるもの。
なのですが、
「やむを得ない事情で時差程度に遅れただけ」
「事情を考えるとその遅れを認めないのはアンフェアである」
「どうせ来年入っても今年入っても学校には不利益は無い」
などとしつこく交渉し続けて、内容的には翌年なら合格だったので、まんまと滑り込んだとか。

真偽はともかく、そういうことをやる人がいても不思議でなく、またそれが交渉術次第で認められても不思議でない世界観を知る。
こんな風に、出願の時点から「世界」を知るプロセスが始まっているように思います。

ケーススタディ

2006-03-23 | MBA
ビジネススクールではよく教材としてケーススタディを使ったものでした。

ケーススタディというのは、ある会社や人の事例が物語のように描写されているケースを読み込んで、自分なりの考えをまとめ、クラスで皆がそれを議論していく形式のことです。
元々ハーバードが生み出したメソッドだということですが、今ではどこのビジネススクールでも当たり前に広く取り入れられています。

こうした手法は正解のない問題、というか問題自体が何なのかも自分で読み込んで考え、色んな側面から物事を考えるのが勉強になります。
また、クラスメートが全く違った問題設定や切り口で物を考えるのに接して、新しいヒントを得ることも多々あります。

そんなわけで参加者としてケースを読んだり議論に参加するのは楽しいものです。
ところが今度、ある大学で臨時に一コマ教えることになりました。
今度は参加者としてではなく、教える側としてケーススタディに参加することになるわけです。

こうなってみるとちょっとした当惑があるもので、良いファシリテーターってどんな人だったか?
記憶をたどると色々なパターンがあったように思います。
ダメなファシリテーターのパターンと言うと、

1.自分が好き勝手しゃべり過ぎる
2.皆の言っていることを要約するだけに終始する

といった例が頭に浮かびます。
1.はいくら話が巧みでも、何を議論していたのか分からなくなってしまいます。
あくまで裏方であって、主役は参加者(生徒)でないと面白い議論になりません。
逆に2.は、「これじゃファシリテーターなんて必要ないじゃん」と思わせてしまい、それも不満につながった気がします。

結局のところバランス感覚というか、良いファシリテーターの条件は

+発言のポイントを程よくまとめてくれる
+一方で、刺激的な(思わず反論したくなるような)切り口をほのめかす

といったあたりではないでしょうか。
極端な見かたを投げかけて「意図的に反論させる」というのは、結構多くの一流教授が使っている手法だと思います。
つい釣り込まれてその意見に反論しているうちに、他の参加者がその意見を肯定するようなことを言ったりすると、もう後は自動的に熱い論争になってしまう、という感じで。

自分が生徒の時はあれこれ教授を勝手に品定め・論評していたものですが、いざ自分がやるとなると先方の苦労も何となく分かってくる気がしますね。

起業

2005-05-06 | MBA
一つ前の記事にTBいただいたんですが、その方は20代社長だそうです。

よく考えてしまうんですが、MBAって起業するのにどの程度役立つんでしょうか?
役立つとすると三つくらいのポイントかなと思います。

一つには、知識。
財務・会計・マーケティング等のフレームワークが一応頭に入っていれば、応用が利きそう。
(もちろん交渉術も!)

二つには、クレディビリティ。
「一応ちゃんとしたMBA持ってます」というのはステイタスになって信用が増すかも。

三つには、ネットワーク。
同級生や卒業生のネットワークは広いので、一緒に起業する仲間やアドバイザーを探すには苦労しない。
現に卒業してまだ一年未満ですがもう起業した同級生はゴマンといます。
多くの場合、二~三人でプランを練って共同経営をはじめるみたいです。
3月に筆者が北京に行った際も、現地で一緒に飲んだ同級生は多国籍チーム3名でIT関連の会社を立ち上げたばかりでした。
中でも北欧出身の友人は言葉が全くわからないので、午前中は語学学校でマンツーマン授業、午後と夜は仕事、で忙しい日々だそうです。
そういうのも情熱的で「熱い」日々なんでしょうね。


と、理屈の上ではこうした三つくらいなんだと思いますが、イマイチしっくりきません。

1.は「MBA本」が大量に出回ってるので自分で本買って読めばよさそうです。
2.は、日本ではほとんど問題にならないでしょうね。逆に「うさんくさいヒト」に見えるかも。

そうするとやっぱり大事なのは3.の人脈。
たしかにこれは他では得られない強みになりそうです。
ただ問題なのは、海外のビジネススクールだと当然ほとんど全員外国人なので、海外で起業するには極めて有効な武器になりますが、日本で起業する際にはほとんど役に立たない可能性大。

とすると結局日本で起業するのに海外のMBAは役に立たないのか?

しかし同級生の日本人で帰国後起業したヒトもいます。
彼らを見て考えてみると、どうも一番役に立った(というか起業に影響した)のは

「働き方の哲学」

といったものではないかと思います。
要は、

サラリーマンだけが選択肢じゃない
自分のキャリアを設計するのは自分自身でしかない
起業するのは特別なことじゃない
起業する仲間も現にいっぱいいる

といった、ビジネススクールの「常識」に浸ることで、
「自分もとりあえずやってみよう」
という意気込みが作られていくように思います。

意思あるところに道あり、と言われるように、何かを立ち上げるには障害に負けない情熱が重要な武器になるものなので、そうしたベースになる心意気を自分のモノにすることがMBAの価値の一つではないかと思います。

でも生まれつきそういう心意気を持ってるヒトもいるし、きっかけは人それぞれなんでしょうけどね。

将来の夢

2005-04-27 | MBA
最近では転職も一般的になり、会社に頼らず自分で自分のキャリアを自立して作る意識が広まっているようです。

筆者自身もそうした考え方には賛成ですし、また自分でも先の進路は常に考えてしまいます。
こうした「夢」とかキャリアプランについて、ビジネススクールで印象的だったことが一つ。

コースが始まった初期の段階では、みんな自分の夢をこんな風に語っていたものです。

-戦略コンサルタントになる
-投資銀行に入って儲ける
-起業家になる…

これ自体はありがちですしごく普通のことですが、要は

-XXになる

ことに主眼があったのです。
一方で、卒業が近づくころになると、これが

-XXをする

という風に変わってきます。
(XXな仕事をする、XXな会社を作る、XXを達成する、等)
時間がたってあれこれ考える中で、夢が少しずつ具体的になってきたからだ、とも説明できるでしょう。

でも別の見方をすると、みんな仲良くなり酒を飲みお互いの経験(元コンサルタント、元インベストメントバンカー、元起業家等)から学ぶことで、非常にシンプルなことを再確認するからだとも思えます。

-一流のコンサルティングファームや投資銀行に入ったって、それだけで人生が楽しくなるわけじゃない
-単に自分の会社を作ること、だけでは達成感は得られない

「XXになる」型の夢は、実現したかどうかやそこに至るステップが比較的明確です。
目に見える目標なので、実現すれば周囲にも自慢できるし尊敬も得やすいでしょう。
でもみんなホンネでは、働いて楽しかったときはそうしたことよりもっと内的な要素が重要だったと思っていたようです。

新卒の就職活動でありがちな「人と会うのが好きだから営業」、「アイデアを出すのが好きだから企画」的な発想に結局戻っていくといったところでしょうか。
ただMBAを取得する時点では仕事の経験もあり、自分自身についても大人として理解が深まっているので、大学生当時よりもずっと腹に落ちた決断ができるようです。

MBAの進路

2005-03-31 | MBA
MBAが終わって結構な時間がすぎました。
欧米でMBAを取った人たちってその後どうなるんでしょうか。

周囲の友人を見て考えても、なかなか一概には言えませんがまず四択の選択肢があります。
四択というのは、

1.元いた職場に戻る
2.ほかの会社に転職する
3.起業する
4.しばらく働かない

という感じです(当たり前か…)。

どれが多数派なんでしょうか。
たぶん2、なんですが実は結構4の人がいる気がします。

転職先を探していてなかなか見つからない、という人も当然いるんですが、
自発的失業者というか、「しばらく働きたくないもんね」な人もいます。
日本ではそういう人はニートとかなんとか言って毛嫌いされがちですが
欧米(特にヨーロッパかな)ではごく普通に見られているみたいです。

「若いうちはあれこれ迷うもんだ」、とか
「MBAで大変だったんだからしばらく休んでいいんじゃない」みたいな感じです。

似たような話はカヌーイスト野田知祐さんの「北へ」(南へだったかも?)という自伝(的エッセイ)で、
野田さんが若いときに当てもなくヨーロッパへ飛び出した時のエピソードにもあったと思います。
日本では定職につかない自分がどこに行っても受け入れられなかったけど、
ヨーロッパでは金も目的もない自分が「若いときにはいろいろあるさ」と
なんとなく受け入れられた、という感じの話で。

ある友人いわくMBAで一番いいことは、何よりそうしてまとまった時間が取れることだと言います。
そんなに休めるんだったらその通りだわな、と納得してしまいますね。