フランスについてあれこれ書いてきましたが。
結局の所、それぞれの国ごとに、それぞれ違う前提が作用しているのだと思います。
日本には日本社会の暗黙の前提があり、それはある人たちにとっては不快なものでしょう。
例えば日本(やアジアの多くの国)では、人と接する時になるべく笑顔をすることが良しとされていると思いますが、これも文化によっては「気持ちが悪い」と感じるようです。
特にロシア・東欧などヨーロッパの旧共産圏出身者から見ると相当奇妙で、「なんでこんな締りのない顔をしてるんだ」と思うようです。
(そういう級友は実際いました)
友人や家族と接するときならともかく、店員や親しくない人と話す時に締りのない顔をするのは不自然でだらしないと感じるようです。
ビジネススクールでもあるロシア人の客員教授は90分×16回の授業で、一度も笑顔を見せなかったように思います。
(自分でジョークを言ってもほとんど表情が変わらない)
まあ、色んな文化がそれぞれ違うのは当たり前ですね。
しかしフランスに住んで、また色々な国からの級友と接して、一番感じたのは「色んな文化があるな」ということだけではありません。
特にフランスなどを例にして言うならば、それに加えて
-たしかに文化は国によって多様だ
-しかしそれら色々な文化の間には優劣がある
-最も優れているのはフランス(あるいはヨーロッパ)の文化である
-その優秀さは歴史が証明してきた
-だから世界中が(程度の差はあれ)フランス(ヨーロッパ)のようになろうとしている
-その流れは近世から始まっていて、今後もずっと続く
という考え方が「常識」あるいは「信念」になっていることでしょう。
日本でも戦前であれば、(起源は違えど)おそらく「フランス」を「日本」に置き換えて似たような見方が強かったのだと思いますが。
ヨーロッパ外の国でも程度の差はあれ、こういう自文化普遍主義は今なお理想として根を張っています。
(特に中東、ロシアや中国など)
今の日本や日本人(自分自身も含めて)が世界的に特殊な存在であるのは、こうした
-自文化が他国より優れているべきだ
-それは歴史によって証明されるべきだ
-自分のやり方(日本式)を他国もまねるべきだ/従うべきだ
といった考え方に否定的というか、ほとんど関心がない点だと思います。
海外ではびっくりするような小さな国でも、素朴にこうした考えをホンネなり願望として強くもっている気がします。
(というか今のフランスが自分が世界の中心だと主張することでさえ、かなり笑止な部分があると思いますね)
もちろんそういう自文化普遍主義が良いとは思いませんが、そうしたハングリーというか我儘な人間の中で伍して戦っていくには、もう少し戦闘的な覚悟/強さも必要ではないかと感じています。
「交渉術」もそのためのツールの一つとして、(日本人にとっては若干違和感を感じるものではあれ、)活用していくべきなんだなとビジネススクールで思ったのでした。
結局の所、それぞれの国ごとに、それぞれ違う前提が作用しているのだと思います。
日本には日本社会の暗黙の前提があり、それはある人たちにとっては不快なものでしょう。
例えば日本(やアジアの多くの国)では、人と接する時になるべく笑顔をすることが良しとされていると思いますが、これも文化によっては「気持ちが悪い」と感じるようです。
特にロシア・東欧などヨーロッパの旧共産圏出身者から見ると相当奇妙で、「なんでこんな締りのない顔をしてるんだ」と思うようです。
(そういう級友は実際いました)
友人や家族と接するときならともかく、店員や親しくない人と話す時に締りのない顔をするのは不自然でだらしないと感じるようです。
ビジネススクールでもあるロシア人の客員教授は90分×16回の授業で、一度も笑顔を見せなかったように思います。
(自分でジョークを言ってもほとんど表情が変わらない)
まあ、色んな文化がそれぞれ違うのは当たり前ですね。
しかしフランスに住んで、また色々な国からの級友と接して、一番感じたのは「色んな文化があるな」ということだけではありません。
特にフランスなどを例にして言うならば、それに加えて
-たしかに文化は国によって多様だ
-しかしそれら色々な文化の間には優劣がある
-最も優れているのはフランス(あるいはヨーロッパ)の文化である
-その優秀さは歴史が証明してきた
-だから世界中が(程度の差はあれ)フランス(ヨーロッパ)のようになろうとしている
-その流れは近世から始まっていて、今後もずっと続く
という考え方が「常識」あるいは「信念」になっていることでしょう。
日本でも戦前であれば、(起源は違えど)おそらく「フランス」を「日本」に置き換えて似たような見方が強かったのだと思いますが。
ヨーロッパ外の国でも程度の差はあれ、こういう自文化普遍主義は今なお理想として根を張っています。
(特に中東、ロシアや中国など)
今の日本や日本人(自分自身も含めて)が世界的に特殊な存在であるのは、こうした
-自文化が他国より優れているべきだ
-それは歴史によって証明されるべきだ
-自分のやり方(日本式)を他国もまねるべきだ/従うべきだ
といった考え方に否定的というか、ほとんど関心がない点だと思います。
海外ではびっくりするような小さな国でも、素朴にこうした考えをホンネなり願望として強くもっている気がします。
(というか今のフランスが自分が世界の中心だと主張することでさえ、かなり笑止な部分があると思いますね)
もちろんそういう自文化普遍主義が良いとは思いませんが、そうしたハングリーというか我儘な人間の中で伍して戦っていくには、もう少し戦闘的な覚悟/強さも必要ではないかと感じています。
「交渉術」もそのためのツールの一つとして、(日本人にとっては若干違和感を感じるものではあれ、)活用していくべきなんだなとビジネススクールで思ったのでした。
だからといって多くの日本人が自己主張に強くなった方が良いかというとそれも違う気がしますが…もちろん政治家や外交官はタフな交渉が出来るようになった方が良いですけど。
確かに、生まれてから身についてきた文化は争われないもので、違う行動パターンを身につけるのは幸せにつながるのか分からないし、うまくいかないかもしれませんね。
同じような例かどうか分かりませんが、ビジネススクールで思い出すのが、中国人のグループ分化です。
ご存知の通り昨今は欧米のビジネススクールに中国からの参加者が非常に多くなっています。
といっても、国籍は中国でも中には大きく2タイプいると思います。
一つには、本当のメインランドチャイナ出身者で、いわば純粋培養。
上海や北京の外資系企業などで働いた経験はあるものの、基本的にバックグラウンドは中国の人。
もう一方で、若い時からアメリカやカナダで育っていて、国籍は中国人でも実質的にアメリカ人みたいな人。これが結構多いと思います。
両者は英語力も当然違うし、パーティや社交、人付き合いの面でも相当大きく違う印象がありました。
要は、元は同じ国の人間でも、小さい頃から育った文化によって全然違う国の人みたいになることがあるのです。
どこで育ったか/生きてきたかという背景は、その人の考え方や行動に想像以上に大きな影響を与えるんだなあ、と思ったものでした。