海神奈川吹奏楽部愛好会ブログ

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柳本古墳群めぐりの旅3

2006年12月07日 18時55分55秒 | 柳本古墳群
その3 柳本古墳群めぐり(後編)

 行燈山古墳を回り込むように歩いてゆくとその巨大さをよくわかる。前方部に設けられた拝所からではその巨大さをわかりにくい。前方後円墳は横から拝むものだという説もこうして歩いてみればしっくりと受け入れられる。
 行燈山古墳のすぐ隣にある櫛山古墳の墳丘に上がるとどんぐりがっいっぱい落ちていて小さい子供づれで来ていたらきっと
「どんぐりぃ~」
と言って大喜びで拾い集めることだろう。西殿塚古墳に向かう途中黒塚古墳の絵葉書セットを買うことが出来た。いい記念になる。そのあと少し道に迷った。

中山大塚古墳は前方部を削平して大和(おおやまと)神社の御旅所が建っている。だからパッと見には前方後円墳とわかりにくい。そろそろ帰りの電車の時刻が気になってきて柳本15:31発の奈良ゆきに乗れないとまずいのだ。今回の新幹線のきっぷはパックツアーの乗車票なので指定券の交付を受けたのぞみ96号に乗り遅れたら自由席にも乗れないばかりか乗車券も無効になってしまうのだ。古墳関係の学術書で何度もその名を目にした西殿塚古墳を見たいから中山大塚古墳はちらと立ち寄っただけで西殿塚古墳へ急ぐ。

 西殿塚古墳への入口には「←衾田陵」という立て札が出ているが墓地や畑の中を通る細い野道だ。この立て札が出ていなかったら決してこの先に西殿塚古墳があると気がつかないだろう。古墳に4世紀の人骨が転がっていても別に恐くはないが、20世紀に亡くなった人たちの現代の墓地を抜けてゆくのはちょっと恐い。ここも宮内庁が手白香皇女陵(第26代 継体天皇皇后)だと言い張っているため拝所から拝むのみ。ひとつ気になるのが天理市の立てている案内板で、西殿塚古墳への入口には「←衾田陵」という立て札が出ていたのに西殿塚古墳の前には「西殿塚古墳」という立て札が出ていることだ。衾田陵は手白香皇女陵であり宮内庁が西殿塚古墳こそが衾田陵だと言い張っている、という事実を知らない人が来たら衾田陵を捜し求め西殿塚古墳の前を通過してしまうだろう。もう少し頭を使ってほしい。

 西殿塚古墳の先にある東殿塚古墳へゆく。こちらは宮内庁とは無縁ではあるが濠があるので墳丘に上がることは無理だ。国民から巻き上げた税金で整備された西殿塚古墳に対して東殿塚古墳は荒れているという印象だ。天理市の観光マップのモデルコースからも外れているので古墳愛好家以外の観光客は誰も来ないのであろう。東殿塚古墳の周りには無尽の山畑が広がるだけで畑の手入れに人が来ることはあるようだけれど無人境である。西殿塚古墳と東殿塚古墳の被葬者(古墳に葬られた人)はすぐ隣に作るくらいだから深い関係があるのだろうけれどこの格差では東殿塚古墳の被葬者の御霊は浮かばれまい。

 残念だが西山塚古墳は時間切れで行けそうにない。西殿塚古墳と東殿塚古墳と関連付けてこれら三つの古墳を見たかったけれど新幹線のきっぷを無効にするわけにもゆかないので泣く泣く柳本駅に戻ることにする。

以下未完
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