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セネガル大統領選挙も始動!〜候補者届出、出揃う

2018-12-29 07:00:21 | アフリカ情勢
コンゴ民主共和国にマダガスカル。その後のコートジボワール、トーゴ・・・アフリカ大陸では、大統領選挙と民主主義をめぐって大きな問題が提示される中、優等生(?)セネガルでも地味に大統領選挙のコンテクストに突入した。

地味に、というのはセネガルが重要でない、ということではない。問題ずくめのアフリカにおいて、セネガルの選挙は比較的純粋な政局であり、アフリカメディアでもキャリーが少し弱めなのである。

しかしそこはアフリカ、政局トピックには事欠かない。



大統領選挙は2019年2月24日に第一回目投票が予定される。共和国憲法および公職選挙法に基づき、12月26日、候補者届出が締め切られ、約20人の候補者届出があった。今後、憲法評議会が候補者的確の判断を行い、投票期日の35日前にあたる1月21日までに正式な立候補者が確定される。

今回の選挙ではいくつかの新しい制度が導入される。第一に、大統領任期が7年制に戻ったこと。2012年に発足したマッキー・サル政権は、7年の成果についてはじめて国民審判を受けることとなる。また立候補の乱立を防止するため、候補者は53000人の有権者から支持の署名を得る必要がある。


セネガルの伝統的与党は、冷戦構造下に資本主義陣営に属したアフリカの国では珍しく、セネガル社会党(Partie Socialiste: PS)であった。初代大統領レオポルト・セダール・サンゴール、次代のアブドゥ・ディウフと、独立から40年にわたりPS政権が続いた。

その意味ではじめての政権交代は2000年、セネガル民主党(PDS: Parti démocratique sénégalais)出身のアブドゥライ・ワッド大統領だった。中道を謳うが、政策は保守寄りと言っていいだろう。

そして2012年にはマッキー・サル政権が誕生した。マッキー ・サルは、アブドゥライ・ワッド政権下で三年にわたり首相を務めた。その間はもちろんPDSの中心的存在だった。しかしワッド再選後の2008年に離脱し、共和国連合(Alliance pour la République - Yaakaa: APR -Yaakaar)に合流、2012年の選挙の統一候補となり、当選した。APRの屋台骨はPSが支える。実質、社会党が政権を取り戻したといえる。


そしてこのセネガルの選挙には色濃くフランスの政局が反映されている。ワッド政権の背景にはジャック・シラク、ニコラ・サルゴジといった保守・国民運動連合(Union pour un Mouvement Populaire: UMP、現在は共和党: Les Républicains)があった。2012年、セネガルがPS支持のマッキー・サル政権誕生とともに、フランスもPSのフランソワ・オランド大統領が誕生した。ちなみにフランス社会党の重鎮、セゴレン、ロワイヤルはダカール生まれだ。

フランスでは2017年にエマニュエル・マクロン大統領が、リベラル寄りの連立野党の支持を受け、PSも共和党も破って当選。'Gilets Jaunes'(黄色いベスト運動)で揺れるフランス、セネガルの政局にはどう影響するのか、注目のポイントでもある。


マッキー・サル大統領は、第一回目の投票で過半数を得票し、いち早く当選を手にすると、意欲を示している。PS指導者、オスマン・タノール・ディアンはサル再選支持を早々と表明、大きな支持母体だ。

選挙の大きな争点は、前大統領の息子、カリム・ワッドの立候補だ。カリムは最近のセネガルの歴史の中で、あたかもバッドガバナンスの象徴とも捉えられている。父ワッド政権下では大規模開発・公共工事担当大臣を務め、数々の汚職疑惑が噂された。ワッド政権の大きな汚点となりPDSは敗退。カリムはカタールに逃避している。彼の立候補資格は棄却される可能性が高いとみられているが、支持者は気勢をあげている。

左派からはカリファ・サルを推す声が強い。また新鋭、労働・倫理・博愛のためのセネガル愛国党(Patriotes du Sénégal pour le travail, l'éthique et la fraternité: PASTEF)ウスマン・ソンコも若年層からの支持を集めることが期待される。


セネガルの政局についての深層は、このベースすから始まる。あ、今日はもうお時間。続きは来年に詳しく考察を続けてみたい。マンギデム、ジェレジェフ。

(つづく)

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