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国際刑事裁判所は正義か?(1)〜コートジボワール危機をめぐるスキャンダル

2017-10-09 07:00:03 | アフリカ情勢
10月6日、当地コートジボワールで大きな反響を呼んだニュースは、この国のみならず、アフリカを震撼させかねないスキャンダル?!になるリスクを秘めている。

ウェブ系メディアのメディアパール(Mediapart)は、10月5日(木)の記事で、国際刑事裁判所(CPI)にまつわるある疑惑を報じた。それは2011年、コートジボワールがいわゆる選挙後危機を脱した直後に 、ルイス・モレノ・オカンポ検事総長(アルゼンチン人)が、フランス人外交官に、ローランバクボの身柄を釈放しないよう求め、可及的速やかにハーグのCPIに移送してほしいと要請した、というのだ。メディアパールは、「工作」を裏付けるフランス外務省の文書をあわせて入手しているという。



ええ?なんかフクザツ?!どこが問題なの?

実は、このブログ、ぶらアフではコートジボワール紛争にまつわるローラン・バグボ元方が前大統領の公判について、まだ正面から記事にしたことはなかった。少しばかり歴史を遡ってみたいと思う。



12年にわたるコートジボワール危機。顛末は2011年、大統領選挙後に訪れる。選挙結果をめぐり、2人の候補者が当選を主張。2人の大統領が誕生してしまった。選挙の結果を国際社会がいち早く支持、正当な当選者とされたアラサン・ワタラ候補。憲法が定める最高機関が当選を認めたとして自らの正当性を主張する前職ローラン・バグボ大統領。

どちらも譲らず、国の中央を南北に切り分ける分断ラインを挟んで、またアビジャンのココディ地区でも両者の軍が対峙し、極度の軍事的緊張に達する。そして事態は2011年3月に「選挙後危機」とよばれる内戦に。3,000人以上の死者を出して、軍事的に収束した。戦闘には事実上、国連コートジボワールミッション(ONUCI)、そして在留仏軍(Licorne)が関与したとされる。ローラン・バグボ大統領は4月11日、ワタラ派の軍に捕捉された。コートジボワールの和平は、交渉ではなく、力で実現したのだった。

そしてこのスキャンダルは、この後すぐ訪れる。

(つづく)

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