チョロリンの樹

「チョロリン」 これ小さい頃、多動でチョロチョロ動きまわる息子に、私がつけた愛称

喪中葉書が届いた

2013-11-09 10:59:58 | 友達
「喪中につき年末年始の ご挨拶をご遠慮申し上げます」との喪中葉書が届いた、

結婚前、娘時代に勤めていた梅田の百貨店の経理課でいっしょだった2歳上のIさんが亡くなられた、
当時、私はJR(当時は省線とか言っていたかな?)塚本から歩いて15分ほどの所に住んでいて、彼女は立花に住んでいた、

いつも帰りの電車が同じで、よく話をしながら帰ったものだ、
彼女は穏やかな性格の持ち主で、誰に対してもやさしい人だった、

田舎から出てきて、就職して1年目は婦人服の売り場で、2年目から経理課のほうへ行き、そこで出会い、
お互いの悩みなどもよく話をしたものだ。

その頃の経理課の女の子同士、みんな仲良く、2つ上の人は彼女を含めて4人、私と同じ年の人が3人、
一つ下の人が、4.5人、その下がまた何人か、その時の同年代の女の子同士で 「さくら会」 という会をつくり、

それから50年になろうかという今まで、結婚、子育て時代は年に2回ほどの食事会、
子供が手を離れる頃からは、年に一度一泊旅行で、旧交をあたため、
老年期に入った最近は、2年に1度一泊旅行をしている。

私も時々参加するが、いちばん会いたい人が彼女だった、 結婚後は明石に住んでいて、

一泊旅行中は、いろいろの人生体験をして、皆、歳をとり、大きな声で世間話や自慢話をする中で、
いつも穏やかに聞き役に回っていた、

3~4年前、京都嵐山の旅館で一泊した時、最近、だんなさんと車で四国八十八か所めぐりをしていると・・・

「私も香川県出身だから、田舎へ帰った時に一つめぐり、2つめぐりして、
何年もかかったけどまわってきたわ」 と、話をしたのが最後になった、
日頃は年賀状のやりとりだけで、没交渉だったのが悔やまれる・・・・


ああ、 もう同年代の人の喪中葉書が届くようになったかと、そういえば昨日は島倉千代子さんも亡くなったとか・・

秋も終わりを迎え、肌寒くなり、なんかさみしい、侘しい気持になっている。