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摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

がんばり過ぎちゃダメなこと

2009-02-21 01:08:45 | 気づき
先日妊婦の歯科検診を受けたら、
また歯周病の治療が必要と言われました。
それで、今日は最初の治療に行きました。

私の歯の最大の問題は、
下あごの歯の根元が出てきてしまっていることです。
根元は固いエナメル質で覆われていないので
傷つきやすい上、プラークの中のばい菌が作る乳酸で
少しずつ溶けてしまうので、
根元が出てしまうこと、
つまり歯肉が下がってしまうことは
とても危ないことなのだそうです。

皮肉なことに、私の歯肉が下がってしまったのは、
私が一生懸命歯磨きをしたからでした。
汚れを落とそうとつい力を入れて磨いたために、
歯肉が下がってしまったんだそうです。
正しいやり方は、毛先の柔らかい歯ブラシの先端を
ポケットに差し込んで、少し前後に動かしながら
汚れを毛細血管現象で吸い出す感じとのことです。

「これは歯1本につき、何秒くらいやればいいんですか?」
と聞いたら、
「何回とか、何秒とかではなくて、
つるつるですっきりするまでやってください。
時間はかかります」との答えでした。

「この忙しい世の中で、歯1本をどれだけ時間かけて磨くの??」
と思ってしまいそうですが、
歯は「食べる」という命を保つ活動に関るし、
人間にとってとても大切な、言葉でのコミュニケーションにも
深く関っています。
そう考えると、歯1本1本をそこまで大切にするのは
当然のこととも言えます。

でも、大事なのは力を入れずに、やさしい力で時間をかけて磨くこと。
磨くというより、歯ブラシの先端で汚れを吸い出すとか、
歯茎をマッサージするという言い方のほうが
正しい磨き方を表すにはふさわしいようです。

「力を入れてがんばり過ぎちゃダメ」というのは、
他の多くのことにも言えることなので、
こんなところでもそんな話に出会ったか~と思いました。
私はすぐに何でも力が入ってしまいがちだから、
それを戒めるために、
こんな体の症状にも出てきたのかもしれませんね。

勇気、実践、責任

2009-02-20 01:47:11 | 気づき
ここのところずっと引越し準備と断捨離で
忙しくしてました。
でも、そんな風に忙しい時は無意識的に何かから
逃げてている時のようでもあります。
昨日すてきな映画も見ていい気分だったところに届いたメール便。
心理分析の仲間からの手紙と本でした。
いつもガツーンと一発食らわせてくれる彼女から。

手紙ではよく分からないことがあるので、
電話をかけてみると、彼女は言いました。
講座修了生のみんなはまだまだ
心理分析を実践で生かしてない。
パンフレットの中で使った自分の肩書きや
最近私がブログに書いたやりたいことを見ていると、
何か大きいことをやりたがってる感じがする。
でも、それより目の前に大事なことがあるじゃん。
子どもに当たったりしているのは、
自分が本当にやりたいことに向かっていないからじゃない?
そんなことするなら、
心理分析の仲間に「今、なんだか子どもにいらついちゃうんだけど、
どうしてかな?」って相談して、助けを求めたら?
何か「大きなこと」をやることより、
そっちの方がまず大切じゃない?

言われて気がついたのは、
心理分析の仲間は大切だと口で言い、実際そう思いながらも、
やはり「ねぇ、ちょっと話し聞いてくれない?」と
電話で相談できる仲間は限られていることでした。
私は、以前の仕事の経験から、
人に対する根本的な信頼は持ってきたつもりです。
また、パンフ制作の時にも、
自分を信頼してくれる仲間が確かにいるということを実感し、
私も仲間を信頼できることを学びました。
なのに、小さい頃からの人見知りと
その根本にある「私は受け入れてもらえない」という
根拠のない恐怖は依然残っていたのです。
私が、人と知り合って信頼関係を築くまでのその恐怖を
「最初のハードル」と表現したら、
「人はハードルじゃない。それは幻想」と言われました。

以前クレーム対応の現場にいた時も、
似たような幻想を持っていました。
クレームを言ってくる電話や手紙の向こうのお客さんを
私個人を攻撃してくる怪物のように恐れていたのです。
でも、私ができることは誠意をもって
対応することだけと思い、それを実行したら
お客さんから続けて「ありがとう」の手紙を受け取りました。
パンフ制作の時も、「私なんかが言ってもみんな
手伝ってくれないだろう」と思っていたところ、
「私が提案したパンフレットの制作を
手伝ってください」とあらためてお願いしたら、
「かおるさんが言ったから、やるって言ったんだよ」
と言われました。
私は今、もう一度覚悟を決めて、
自分が作った幻想と向き合う必要があるようです。

「その自分で作り出している幻想を克服しなかったら、
何回ワークショップに参加しても、変わらないよ」
そう言われて、最初は
「人にはそれぞれのペースがあるじゃない!」と反発してたけど、
夕べ寝る前には、確かにそうだなぁと思えるようになりました。
ワークショップは実際の社会の中で行うべきことの
予行演習、シミュレーションの場です。
実際の場では向き合うことから逃げるなら、
パイロットになりたいと言いながら、
いつまでもシミュレーターにばかり乗っていて、
本物の飛行機での訓練を拒否しているようなものです。


今回仲間からもらったメールには、
「難しいものにするか、簡単にするかは
かおるちゃん次第」とありました。
私はこれと似たような
「難しいと思うから、難しくなるのです」
というようなことを別のブログのコメントで書かれて、
またムカっとしていました。
「自分だけ悟ったようなこと書くな!」とか
「どうせ私は悟ってませんよ」って。
でも、そのムカつきの下にあったのは、
他の人ができる何かができない自分に対する
無価値観だったのでした。
そんなことを比較しなくてもいいのに、
他人と比較して自分が優位に立っていなければ
自分は価値がないと極端に振れてしまうこの感情は、
学校でまじめに勉強した人に多いようです

私は、メールをくれたこの仲間に対しても
やはり劣等感、無価値観を感じてました。
「なんでちょっとした情報だけで、
私の問題が分かっちゃうんだろう。
私だって同じように講座を真剣に受けてきたのに」
でも、彼女と私の違いはこれまでの人生で何を重視して、
どんな経験を重ねてきたかということではないかと
思い至りました。
私は実益が見える知識や経験を重視していたのに対して、
彼女は日々子育てやビジネス、カウンセリングの場で
人間関係について理解するために、
いろんな挑戦をしてきたんだろうなと思いました。
だから、「みんな心理分析を実践してない」と
言い切れるのでしょう。

また、彼女はそうした経験の中で、
一度負った責任から逃げないということも学んだようです。
以前、彼女から「子育てで必要なことは逃げないことだよ」
と言われたことがありました。
実は、これも私が逃げてきたことのような気がしています。
私は小学校の頃から、よく通信簿に
「リーダーシップが取れるのに取らない」と
書かれ続けていました。
転職や手がけた仕事が中途半端だったことも
1度や2度じゃないし。
いい加減リーダーとして責任を取ることに
挑戦する時期が来ているのかもしれません。


3月末の引越しまであと1ヶ月ほど。
私にはその前に引越しの準備以上にやるべき
大事なことがあるようです。
それは、自分の幻想と向き合うための勇気、
そういう実践を絶えず続けていくこと、
そしてリーダーとして責任を全うすること。
晴れ晴れした気持ちで桜を見られるよう
あともう一歩がんばってみようかな。

気のめぐりが良くなった?

2009-02-16 21:48:14 | 気づき
この週末はちょっと咳が出たりして、
体調が傾きかけましたが、
引き続き断捨離&引越し作業を行いました。
おかげで部屋によっては、
もう2日後くらいに引越しできるんじゃない?
っていうくらい、パッキングも進み、
そうでない部屋もだいぶすっきりしてきました。

ものが少なくなって部屋のすみずみまで
見渡せるようになってくると、
それまで気にならなかったことが気になってきて、
さらにものを減らしたり、整理したり、
掃除したりという好循環が生まれてきました。

断捨離セミナーでも言われてましたが、
部屋にはその人の心の中が表れているそうです。
そして、「病は気から」と言われるように、
体は心を反映しています。
だから、家、体、心にはかなり比喩が成り立つようで、
すっきりしてきた家は、まるで滞っていた血、
もっと言えば気がまためぐり始めたような感じです。

これは自分の生き方、時間の使い方にも言えそうです。
自分が好きで、本当にコミットしたいことだけを
やるようにしていくと、
その人の気は活性化されていく感じがします。

私も以前は何かを身につけなければ、
体験しなければという焦りがあって、
いろんなことに首を突っ込み、
やたらスケジュールだけ埋まっていたことがありました。
でも、1回目の断捨離セミナーを受けた直後から、
なぜか時間の使い方がまず断捨離されてしまって、
時間が余るようになりました。
それにあわせて、気持ちにも余裕ができて、
おそらく生まれて初めて
自分にやさしくなることができました。

時間の断捨離が進んだ一方で、
なかなか物理的な整理は進みませんでしたが、
普段なら一晩で終わらせる片づけを
1週間かけて自然に終わらせられたことで、
できる時期が来れば自然にできるんだから、
焦らなくてもいいということを学びました。


最近、断捨離のことばかり書いているので、
「断捨離って何だろう?」って思われてる方も
いるのではないでしょうか。
岐阜に帰ったら、断捨離セミナーを
企画しようと思っているので、
岐阜のみなさん、期待しててくださいね。
先日ブログに書いた「(仮称)自給自足くらぶ」の中に
「(仮称)もったいないくらぶ」も作って、
ものを無駄にしないように
ぐるぐる循環させる活動をしたいなと思います。
その一環で断捨離をみなさんに知っていただけたら
と思ってます。


ところで、「こんなにすっきりしました」という
状況を見たいと思う方も多いのでは?
本当はデジカメでBeforeとAfterを記録すればいいのですが、
実は今パソコンとデジカメの中がデータでいっぱいで
下手に吸出しができないのです、トホホ
「パソコンとデジカメの中の断捨離を先にやったら?」と
突っ込まれそうですね
まったくその通りなんです。
今週中にはその作業にも取り掛かれそうなので、
例の断捨離専用ブログも間もなく開設できると思います。
もう少々お待ちください。

頭じゃ分かっちゃいるんだが

2009-02-14 00:35:12 | 気づき
いつもエラそうなこと書いてますけど、
こと子育てに関しては、
本当ダメな私です。
以前子どもに英語を教える仕事をしてた頃は、
自分が頭で考えたとおりのことがほぼできていて、
子どもを相手にすることへ自信を持っていました。
でも、週に1回1時間くらい先生として会う関係と
24時間365日親として関る関係は、
全く別物だとわかりました。

今日も朝からなかなか食卓について
食べ始めない息子にイライラしてしまいました。
それから息子が食卓についてから、
何かよく分からないことを言った後、
急に泣き出しました。
「ちょっと抱っこしてあげて」と夫が言ったのですが、
ムカついていて、しかも分別らしく夫に言われたのが
余計シャクにさわって、スルーしてしまいました
大人気ないのはわかっているけど、
息子を相手にしている時は、
他の人には絶対しないような横柄な態度になったり、
暴言を吐いたりしてしまいます
これってはっきり言って、虐待の一種ですね。

頭で「これは絶対子どもに対してやっちゃダメ」と
分かっていることを、わざとやってみたくなったりします。
そのことを以前泰三さんのカウンセリングで話したら、
「本気で理解したいからだろうね」と言われました。
確かに、私は昔からあまのじゃくで
ダメだと言われたら、やってみたくなる性質でした。
子どもを親が虐待死させてしまう話が珍しくなくなる中で、
そんな親の気持ちを少しでも理解したいからなのかなぁ。。


さて、ダメ母な私なのですが、
子育て以外のことをやっているときに
子育てへのヒントを見つけたりします。

市民活動などボランタリーなグループの
マネジメントについて考えていた時、
そういうグループでは営利企業ののように
雇用や給料などの待遇のことをちらつかせて
メンバーを動かすことはできないから、
地道にメンバーのやる気に訴えるしかないなぁと
思っていました。
やる気に訴えるのは本来子育てでもあるべき姿だから、
ボランタリーなグループでの活動は、
子育てにも役立つはずだと思いました。
それならけっこう経験があるんですが、
やっぱり頭でわかっても、
分野が変わるとなかなかできないんですよね。。

昨日は心理学講座の仲間の話をいろいろ聞いて、
ちょっとしたカウンセリング実習のようになっていたことに
後から気づきました。
それで自分の話したことを振り返ったら、
友達が話したことを途中まで聞いたところで、
彼女がどう感じていたのか、
私の推測を先回りして話してしまっていたことが
わかりました。
それでは、誘導になってしまいます。
本来のカウンセリングでは、
クライアントさん自身が必要な気づきを得られるように、
カウンセラーは質問を重ねていくのですが。。
「人間は話をするよりよく話を聞けるように、
耳を2つ、口は1つだけもらった」という寓話(?)を
聞いたことがありますが、全くそのとおりでした。

子どもを相手にしている時も
誘導したり先回りしないで、
子どもの言ったりやったりすることに
付き合うことが大切なのでしょう。
しかし、この忙しい生活の中で
これほど難しいこともあまりないかもしれません。
それができていたら、今朝の息子への対応も
ずっと違ったものになっていたでしょうね。

いやはや、子育ては本当に難しい。
心から楽しいと思える日はいつ来るのやら

消費社会のワナ

2009-02-12 23:30:14 | 気づき
ここのところ断捨離の作業をしていて
気づいたことがあります。
消費社会の中で何となく
踊らされてしまっていること、3点ほど。
以前から言われていたことや、
断捨離のセミナーで聞いたことばかりですが、
自分もそこにはまっていたのかと実感したのです。

1つは、私たちは何かを買う時に
いくら払うか、本当に必要かということよりも、
何パーセント割引されているかとういことに
興味をひかれてしまうということです。
私はつい昨日もそれに引っかかってしまいました。

夕飯のおかずを買いにスーパーへ行った時、
中華の惣菜屋さんがちょうど全品2割引を始めたところで、
そばにいた人達が足を止めて買い始めたのです。
たいして量は入っていないのに定価で1品650円と
レストランの一皿と同じくらい高めなのですが、
2割引だと何だか得した気になってしまいます。
後から考えたら、スーパーの中の惣菜売り場なら
同じようなものがもっと安かったはずです。
まぁ、おいしかったから許しますけど。

今回断捨離することになった服を見てみると、
セールで買ったものが多いことが分かりました。
(というか、そもそも青札で買うことが
ほとんどないんですが)
中には同じものを色違いで持っていたりします。
つい「半額なら、もう1つ買っておこう」などと
思ってしまうからですね。

もう1つ気づいたのは、やはり単価の安いもの、
無料のものはたまりやすいということ。
子どものおもちゃはそのいい例です。
レストランに行けばお子様セットを頼んで、
ちゃちなおもちゃをもらうし、
ガソリンを入れるとガチャガチャをやらせてもらって
またおもちゃをもらいます。
大人の世界でも、展示会やセミナーに行けば
ボールペンやら何やらいろいろもらうし、
ホテルでは歯ブラシが標準装備、
納豆にはタレとからしもついている。
ここまで何でもサービスでついてくるのは、
日本くらいだと思います。

断捨離セミナーでは、
おまけでもらったものを使っているのは、
自分はその程度のものがふさわしいと考えることだと
言われました。
たまたまそれが気に入ったならいいのですが、
そうでないなら、自分を心地よくしてくれるものを
ちゃんと選んで買って使いましょうということです。

さらにもう1つ気づいたことは、
私たちは常に今の自分ではダメだから、
○○、××を買って変わりましょう
という暗示にさらされているらしいということです。

今回私が断捨離した服には、
私があえてイメージチェンジをはかった時のものが
少なからずあります。
「なんかもう少し変わったほうがいいんじゃないか?」
という不安や期待があった時、
それまでの自分が敬遠していたような服を
あえて買ってみたりしましたが、
結局着なくてたんすの肥やしになってました。

振り返ってみると、イメージチェンジをはかった時は、
何か外からのメッセージがあった気がします。
それは私の場合雑誌やテレビではないとは思うけど、
自分の内側から本当に必要性を感じてないのに、
誰かの言葉を鵜のみにしすぎたのかもしれません。
でも、メディアを見ると、「マストアイテム」とか
そんな言葉があふれていて、
自分に本当に自信がなければ
つい「そうかな?」と思ってしまうと思われます。

服にしても、他のものにしても
結局残ったのは飽きの来ないベーシックなものでした。
予算や保管のスペース、着る機会も限られた
私みたいな人なら、それで十分なんだと思います。

亡くなった父がスーツを買うとき、お店の人に
「無難な」という要望を出していたのを以前聞いて、
母と私はいかにも父らしいと思い
よく笑っていました。
今、父のそんな堅実さは間違ってなかったんだなと
実感しています。

太いパイプになりたい

2009-02-09 11:09:58 | 気づき
岐阜に帰る日が近づくにつれて、
帰ったら何しようかなと考えることも
多くなりました。
金沢に来る前は、社会的起業が一番の関心事でしたが、
今は似ているけどちょっと違うような気がしています。

とりあえずやりたいと思いついたことが
2つあります。
1つは、自分の暮らしを自分自身や周りの人たちと
一緒に楽しみながら作っていくための
いろんな活動をする「自給自足くらぶ(仮称)」。
金沢では地産地消を進めるための料理教室を
企画したりしていたので、
冷蔵庫やスーパーに頼らないための
保存食や郷土料理づくりの教室をやってみたいな。
それから、庭やベランダで生ゴミ堆肥を使いながら、
”なんちゃって”自然農法にも挑戦したい。
また赤ちゃんが生まれるし、
家庭でできる手当て法とかも習ってみたい。
あと自転車やパソコンを自分で組み立てたり修理したり、
風力発電や太陽光発電のシステムを作ってみたりという
機械系のこともやりたいな。
うちのじーちゃんは機械工学の先生だったし、
夫は環境都市工学を今教えてるので。。
うちの家族に限らず、地域にいるいろんな人財に
力をお借りしたいと思ってます。

こういう活動で何を目指したいかというと、
自分たちのあずかり知らぬところで勝手に操作されている
貨幣経済の影響をできるだけ少なくしたいのです。
会社に就職できなかったら、生きていけないなどと思わずに、
豊かな自然の中で自分の力で食べ物を手に入れて
周りの人と支え合いながら生きていくという
少し前まで当たり前に行われていたことに戻れるんだって
いつでも思える環境づくりをしたいのです。

そして、私がやりたいことの2つ目は、
余っているものを必要としている人のところへ流す仕組みを
作ることです。
これも、1つ目のやりたいことと関係しているかもしれません。
断捨離のクラターコンサルタント、ひでこさんとも
話していたことですが、
今の日本は家庭から社会まで新陳代謝が
スムーズにできていないと思うのです。
家庭の中は使わないものでいっぱい、
お店はあまり必要ないものでいっぱい、
山や海は私たちが捨てたものでいっぱい。
その一方で、食べ物や住むところがなくて亡くなる人が
遠い発展途上国だけでなく、日本の中でさえ出てきました。
これってどう考えても、何か狂ってますよね。

この2つ目の”新陳代謝促進システム”については、
どう実現するか具体的なことは
まだ全く考えていません。
私が全て考える必要もないと思ってます。
とりあえず、こんなことがやりたいと旗を立ててみて、
そして集まってきた人、情報、モノなどを組み合せれば
きっと何かできると信頼しているからです。
以前の私と違うのは、この点ですね。
自分が「社会起業家」になることを目指すのではなく、
自分はただの言い出しっぺ、
そしてみんなの力を借り、
もっと大きな存在の力もいただきながら、
その時できる限りのことをやっていくことだと
今は思ってます。

もともと私には、起業家として
お金をたくさん儲けることに対するモチベーションは、
あまりありませんでした。
そのため、起業家には向いてないのでは?
と思ったこともあります。
私が情熱を感じるのは何かの問題を
まだあまり活かされていない資源を使いながら
創造的な方法で解決する方法を考えることです。
そして、その過程で関る人たちの長所を見つけて
さらに輝いてもらうお手伝いができたら、
もっとハッピーになります。

考えてみたら、これはレイキの実践者が目指す
自らレイキを通すきれいな太いパイプになることと
同じかもしれません。
私はお金や情報、モノ、人といった資源を
適材適所でスムーズに流すパイプになりたいのかも。
そう考えると、レイキを金沢で習ったのも
やっぱり大きな意味があったのかなぁ。
ご縁をくださったみなさんに感謝です


「あなたは悪くない」

2009-02-08 23:40:35 | 気づき
今日はまた心理学のワークショップがありました。
いつものように、心理学のキーワードが書かれた
セルフセラピーカードを1人1人引いてみることから
始まりました。
私が引いたのは、「ダークストーリー」というカード。
これは日本人に多い思考パターンのことだそうで、
「あてにしていてダメだったらがっかりするから、
最悪の場合を考えておこう」というものです。
でも、野球でキャッチャーがミットを構えたところに
ボールが投げられるように、
「こうなるかもしれない」と考えていることが
実際に起こってしまうのだそうです。

実は、私もそのワナに昨日陥りそうになりました。
夫が保育園の申込書をコンビニでコピーして、
個人情報満載のその原本を忘れてきてしまったのです。
その情報を使われて、変なことをされたらどうしようと
とても心配になり、自分の普段のおっちょこちょいを棚に上げ、
夫を責めたくなっていました。

でも、自分がそんな原稿を見たら、
まず店員さんに届けるだろうと思ったら、
そう考える人のほうが多いだろうと思えてきて、
いずれにしてもこれも何か意味があることだろうから、
なるようになるだろうと明らめました。
そして、今朝夫がコンビニに電話したら、
お店が原稿を預かっていてくれました。

おもしろいことに、泰三さんも昨日似たような経験をしたそうです。
大金や障害者手帳の入った財布を落としてしまったそうですが、
やはりそれを拾った店員さんが中に障害者手帳を見つけ、
すぐに連絡をくれたとのことです。

私も泰三さんも、最悪のパターンを
少なくとも抱きつづけはしなかったのが
いい結果につながったのかな?


いろんな犯罪が報道され、警戒を呼びかける中で
人への信頼を持ちつづけるのは難しいことです。
むしろ安易に人を信頼することは、
バカにされたりします。
それでも、人を、そしてその集合体である社会を
敵視しないことが大切だというのが、
今日最後のセッションのテーマでした。

よく泰三さんが話すのが、「2丁拳銃」という例えや
「人を呪わば穴二つ」ということわざです。
人を責める人は、必ず同時に自分も責めているそうです。
自分が罪悪感を持っている人ほど、
相手を責めてしまうのだそうです。

だから、責めたい相手がいたら、
その人にかけるべき言葉は、罪悪感をほぐす
「あなたは悪くない」という言葉だとのこと。
アメリカ映画「旅立ち」の中でも、
ロビン・ウィリアムズ演じるカウンセラーが
子どもの頃のトラウマから反社会的な行動を続ける青年に
「あなたは悪くない」という言葉を繰り返すと、
しまいには青年が号泣してしまうというシーンがありました。

また、長年犯罪者のカウンセリングをしている人の話として
以前何かで読んだのですが、
犯罪者が本当に罪を反省し真実を告白するためには、
まずその犯罪者に対して「あなたも大変だったんですね」
と理解を示すと、その後がスムーズに行くのだそうです。
刑罰を重くしようという
今の社会が向かっている方向は、その正反対だと思います。
いつも思うのですが、真理は一見逆説的なことの中にこそ
潜んでいるんじゃないかな。


「もし世界中の人が3秒だけ『誰も悪くない』と思えたら、
世界に戦争はなくなる。
ジョン・レノンなどが言っていた『戦争は心の中にある』
というのは、そういうこと。
気づいた私たちからやっていこう」と泰三さんは言いました。
まず、何かあれば一番責めてしまう対象、自分自身に
「あなたは悪くない」と言い聞かせ、
そしてその次に責めたくなる人にも
同じ言葉をかけてみることに、私も挑戦してみます。

舞台に矢印を向ける

2009-01-30 23:00:00 | 気づき
息子の幼稚園で、年少の発表会がありました。
この幼稚園の発表会はユニークで、
「発表」されるのはいつもの遊びが少し発展したもので、
緊張して失敗して恥をかいたり、
他の子の足を引っ張ったという罪悪感を味わうことは
なさそうです。

でも、ここの発表会で一番驚いたのは、
保護者の演目もあることです。
保護者は「うちの子は大丈夫かしら?」と
やきもきするのではなく、
子どもと舞台に上がる緊張感を共有できるように
という狙いがあるそうです。

今回、年少の保護者は仮装やクイズを交えた歌を
2曲歌いました。
私はそのうちの1曲、「おもちゃのチャチャチャ」の
ピアノ伴奏をしました。
ピアノを弾ける人はたくさんいるだろうから
きっと当たらないだろうと思っていたら、大抜擢。
でも私がピアノのレッスンを受けてたのは
四半世紀(!)も前のこと。
もらった楽譜は簡単だったけど、やっぱり緊張します。

直前の練習では、「間違えたらどうしよう?」と思った途端、
指が変な動きをしてしまいました。
舞台で他の人たちが仮装で登場する様子に
目をやる余裕もありませんでした。

家に帰ってから、心理学講座でよく言われる言葉を
思い出しました。
自分に気持ちの矢印が向いていないか?
確かに、「私はどう見えてるだろう?」
「上手に弾きたいな」という気持ちのほうが
強かったみたいです。

そこで当日は、とにかく舞台で踊る人たちや
お客さんが楽しくなるよう、
自分も楽しんでやることにしました。
結果は、ちょっと引っかかったところも
あったかもしれないけど、
ほとんど覚えていないほど
意識は舞台と客席の歓声に向いていました。

意外なところで、心理学講座が役に立った日でした。

久しぶりのワーク

2009-01-26 00:14:10 | 気づき
久しぶりに心理学ワークショップがありました。
いつも最低8人くらいはいたのに、
今日の参加者は中級修了生のなんと4人だけ。
でも、それだからこそできた濃密で
ユニークなワークになりました。

いつものワークの時間は、悩みを話すのではなく、
「受け取る」ことの実習でした。
「受け取る」というのは、何を受け取るかというと
「人の好意」と言えます。
日本人はおおげさに何でもほめ合う外国人に比べ、
ほめることも下手だと思いますが、
ほめられるのはもっと下手なように思います。
そんな私たちが一人一人前に出て、
残りの仲間からほめ言葉や感謝を受け取る練習をしました。

その中で今日印象に残ったのは、
一人のメンバーが人に共感する才能を持っていると
ほめられ続けたことでした。
「ほめる/ほめられる」こととは逆に、日本人はこれが得意で
5人に1人はそういう能力を持っているとのことです。
ただ共感するだけのことが、
どんなに癒しの力を持っているか
私はそのメンバーのことを泰三さんが話しているとき
突如思い出しました。
ああ、私がワークで泣いていた時、
この人はまるで自分のことのように泣いてくれてたなぁ。
それがどんなに自分を安心させてくれたか、
力を与えてくれたか、今日気づきました。

今までそれと認識できなかった他の人の才能に気づくのは、
うれしいものですね。
それがなかなか認識しづらいものであればあるほど。
以前、泰三さんがこの心理分析士養成講座は、
才能開発をやっていると言っていたけど、
確かにそうだし、泰三さんは才能を見つけることが
めっちゃうまいわ。

そうそう、他のメンバーにも才能を見つけて
輝かせるのがうまい人がいました。
そして、私がまだ気づいていなかった
メンバーの一面を鋭く言い当てていました。
1人じゃ気づけないことに気づかせてくれる
鏡のような役目をしてくれる仲間たち。
私はつくづくすごいものを手に入れたと思います。

信頼

2009-01-13 18:57:54 | 気づき
心理分析士養成講座のパンフレット制作は私たちの手を離れ、
いよいよ集客に集中していく時期になりました。
私はみんなで協力して集客できるよう
2つの方法を考えてました。
1つは、仲間が具体的に自分を例に挙げながら、
講座の効果を語れるように、
お互いに受講して変化したことや
長所を知らせ合うことです。
自分自身の変化や長所は、なかなか気づきにくいからです。
これについては、ほかのメンバーが率先して
始めてくれました。

そしてもう1つの方法は、
今一般にビジネスの世界で行われているような営業管理の方法で、
どんな人に今アプローチしているか、
その人の悩みや、それに対するアプローチの状況を把握した上で、
どんなアプローチの方法が効果的か考えるというようなものです。
これなら確かに、メンバー一人一人の集客活動に合わせた
サポートにはなるかもしれませんが、
それは同時にメンバーの営業の状況を常に把握し、
プレッシャーを与えることにもなります。

結局、この2つ目の方法は「人は基本的に信用できない」
という考え方に基づいている感じがして、
それを利用しようとした私自身の心にも
みんなを信頼しきれていない部分があることに気づきました。
今の私の課題は、仲間を信頼して待つことのようです。
また、私も含めたメンバー全員の課題は、
自分への信頼なのかもしれません。
そして、今私たちがやろうとしているのは、
自分、仲間、誘う相手、そしてプロセスの
すべてを信頼して行う新しい(時代の)営業なのかな?
と思いました。


ところで、先般私が「言い出しっぺ宣言」をした時、
仲間の一人が「かおるさんが言い出したから、
やるって言ったんだよ」って言ってくれて、
それが私の自分や他人への不信感を
かなり溶かしてくれたことをブログで書きました。
一昨日、ある集まりでその話をしたら、
別の友達が「私もかおるさんに言われたから、
話に乗ったことがあるよ」と後からメールをくれました。
また、今日は別の心理学講座で会った友達から、
「かおるちゃんのブログを楽しみにしてるよ。
よく言葉にできないけど、感謝したくてメールした」
というメールをもらいました。
今、講座の仲間の枠を越えて、
私に信頼を見せてくれることが起こってきています。

それから、自分を信頼するということについては
まったく別の方面からちょっとした気づきがありました。
私は10月に断捨離セミナーを受けたあたりから、
3月の引越しを前に我が家の断者離を早く進めなくちゃと
焦っていました。
でも、つわりや病気もあり、イベントやパンフ制作もありで
なかなか手がつけられませんでした。
周りの人には、「妊婦はゆっくりすることが一番」と
いつも言われるんだけど、
自分になかなかそれを許せなかったのです。

でも、先日栃木、上越経由で岐阜から帰省した後、
さすがに疲れが出て、
いつもなら一晩で片づける旅行の荷物を
そのままにしておきました。
先週1週間は、毎日やると決めたわけでもないのに
少しずつ片づける機会があり、
今は物の入れ替えをしないと片付かないもの以外は
おさめるべきところへ納められました。
そのことに気づいた時、
「あぁ、焦らなくても、動ける時が来たら動けるんだな。
もっと自分を信じて待っていいんだな」と思えたのです。


最近得たこれらの気づきから、
今私たちに必要とされているのは、
信頼を持つことなんじゃないかと思い始めました。
自分に対しても、他人に対しても、
私たちを生かしている仕組みに対しても。

よくこの混沌の時代に、愛がもっとも大切と言われますが、
個人的には「愛」という言葉には少し抵抗があります。
愛は、束縛、暴力、偽善など本質的に全く違うもの
(逆のもの?)を覆い隠そうとするために、
あまりにも多く使われてきた気がするのです。
その点、「信頼」という言葉は
安易に使われて、他の本当は全く別のことを
連想させることはあまりないように思います。

私はとりあえず、まず自分が信頼を持って待つ
ということに取り組んでいきたいと思ってます。