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摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

講座からプロジェクトへ、プロジェクトから人生へ

2009-01-11 01:01:15 | 気づき
年末から取り組んでいた心理分析士養成講座のパンフレットが
完成に近づいてきました。
泰三さんと私が、パンフレットを作ろうと決めたのが
12月11日、私がみんなを誘ったのは12月12日だから
ほぼ1ヶ月でパンフレットは完成することになります。

この間、本当にたくさんのことを経験しました。
心理分析士養成講座の実践編になるだろうと
予想はしていましたが、
本当にそのとおりになりました。
講座の期間中に気づいたことと同じか、
それ以上の気づきがあったように思います。
メンバーの一人がメールに書いていたけど、
このパンフレット作成プロジェクトを終えて、
本当の「卒業」なのかもしれません。

もう細かい気づきは、思い出せないものもあります
最近、ぼろぼろ泣いたりして味わった気づきもあるから、
そういうものにかき消されてしまったみたいです。

そんな大きな気づきの1つが、
「言い出しっぺ宣言」をすることで訪れました。
「みんなが自分を主語にして(つまり主体的に)
プロジェクトに関るためには、まず提案した本人が
『私がこのプロジェクトの言い出しっぺです』と
宣言する必要がある」と、メンバーの一人から言われたのです。
なぜプロジェクトの途中であらためてそんなことを
する必要があるのか、
私自身もよく理解していませんでした。

でも、言われて気がついたことがあります。
なぜ、私は泰三さんがやりたかったことを
手伝っているという形をとりたかったかということ。
それは、「私なんかが提案しても、
みんなやる気にならないだろう」
と心の底で思っていたからでした。
だから、私には泰三さんという錦の御旗が必要だったのです。

実際にあらためて私が旗揚げしてみると、
「かおるちゃんが提案したから、私はやろうって即答したんだよ」
という返事をもらい、涙が止まりませんでした。
私はここで仲間の信頼を実感し、
私自身の仲間への信頼、いやもっと広く
人間や社会というものに対する信頼を強くすることができました。

今日、久しぶりに大勢の人が集まるところへ行き、
いろんな人と会話を交わす中で、
自分が本当にそれを楽しんでいること、
自分が受け入れられているという安心感を感じられました。
少しずつかもしれないけど、
着実に私の中の他人への恐怖心が解けていっているようです。

もう1つの大きな気づきは、つい昨日のことです。
編集後記は何が起こったかをまとめて書くのではなく、
プロジェクト責任者の私個人の最も印象的な
1つの体験を具体的に書くことで、
このプロジェクトの象徴とする。
果物に例えたら、実と皮を捨てて、芯だけ残す。
このアドバイスを受けて書いた編集後記を読んで、
「ウルウルしちゃった」という感想ももらいました。

そして、メンバーの変化も驚くべきものがありました。
以前は決して弱みを見せなかった人が、
電話で相談してくるとか、
自分の考えをはっきり出さなかった人が
みんなの前で率直な意見を出すとか。
自分の変化はよくわからないけど、
他人の変化は小さくてもよくわかります。
そんな変化を見つけるのが、
自分のことのようにうれしいです。


今、プロジェクトでの気づきが
あちこちへ広がっています。
特に母親として子育てをすることに関しての気づきが
増えているようです。
またお腹で赤ちゃんが育っているからかもしれないな。

「子育てなんて大っ嫌い!」と最近までよく思っていたけど、
昨日私の腕の中で眠ってる息子の顔を見ながら思いました。
「もしかしたら、まだ私は子育ての醍醐味を
味わってないだけかもしれない」
仕事でクレーム対応や営業をやっていた時も
最初は本当につらいことばっかりだったっけ。
でも、あの頃に得た「誠意は必ず通じる」という信頼は、
今でも私のコミュニケーションの根本になってます。

そんな素敵な気づきを
子育てから得られるかもしれないと思ったら、
もっと前向きに子育てに向き合えそうです。
いよいよ本格的に
私の人生自体が心理学ワークショップのように
怒涛の感情と気づきの連続になるのでしょうか。
請うご期待!

どこまで人事?どこから天命?

2008-12-29 01:45:10 | 気づき
心理分析を学んでから、私が信じていた「常識」
(専門用語では「観念」と言います)で見事に覆ったものに、
「ものごとは綿密に計画を立てて進めるべき」
というものがあります。
計画を立てるということは、
自分(たち)だけの力に頼るということで、
それ以外の大きな力の及ぶ余地を残さないことだと
言われたからです。

その「常識」が覆った後、おそらく3個目の仕事が
今やっている心理分析士養成講座のパンフレットづくりです。
これまでの2つでは、メンバーは同じ市内に住み、
顔を合わせての打ち合わせができて、
パソコンメールでやり取りをし、
それぞれの得意分野を理解し、補い合って作業を進められました。
でも、今度のプロジェクトは住む場所も作業できる時間もばらばら、
IT環境もスキルもまちまち、
顔を合わせての打ち合わせも最初の1回のみなのに、
師走の約半月で原稿を揃えるという無謀さ(?)です
おまけに、私自身は体調不良が続いています。

そんな状態でだんだん神経がとがってきた時、
やはりメンバーや自分たち以外の大きな力への信頼が揺らぎ、
ついコントロールしたくなってしまいました。
自分自身でそうなっている自分に気づいてはいましたが、
泰三さんから「プロセス(自然な成り行き)を信じることが大事」
と言われても、イライラ、カリカリがおさまりませんでした。

でも、1つの部分での気づきから、またプロセスへの
信頼を取り戻すことができました。
それは、パンフレット全体のイメージについて
泰三さんとやり取りをし、
それについて振りかえっていた時のことです。
パンフレット全体のイメージというのは、
会社の理念や戦略、特にブランド戦略にのっとって、
作業の最初に本来持っておくべきものと
私は主張しました。
以前、コンサル会社でそういう仕事もしたので。
一方、泰三さんは最後に決めればいい、
プロセスを信じることが大事と言いました。

納得できないで、ふつふつと考えていた時、
「そうか」と思い当たりました。
私が以前いた世界に支社を持つような巨大な組織では、
意識的にブランド戦略など作って、
自分たちがどう見えるかを演出する必要があるかもしれないけど、
今の私たちのような小さなグループなら、
できるだけ自然体で素のメッセージを出しさえすれば
それがすなわち私たちのカラー、ブランドになるんだと。

不思議なことに、その気づきを得た後、
胸のつかえと咳き込みがなくなった感じです。
昨日はレイキの呼吸法をやっても、
胸のところでつまってゴホゴホとやっていたのに、
今日はすっと通りました。
ヘミシンクでもハートのつまりとよく言われてますが、
それが取れたのでしょうか。


「人事を尽くして、天命を待つ」という言葉があります。
このプロジェクトでは、一体どこまでが「人事」で管理すべきことで、
どこから「天命」に任せたほうがいいのか、
常に疑問に思っていました。
今思えば、信頼がなくなり、心に不安が湧いてきて
胸のつかえのような苦しさがある時には、
せめて一時でも「天命」に任せたほうがいいような気がします。

そこまで自分の腹に落ちたから、今夜はよく眠れそうです。
おやすみなさい








断捨離と心理分析 実践の時?

2008-12-23 21:30:35 | 気づき
予定より早く、岐阜へ帰省することになりました。
今日から年明け3日くらいまでいることになりそうなので、
岐阜でやりたいことに関係するものを
持っていかなくてはなりません。

パソコンは言わずもがな。
あと、パソコンまわりの作業もしたいから、
周辺機器も持っていこうかなと迷ったけど、
「岐阜にいる間は、夫のお父さん、お母さんと話したり、
岐阜でしかできないことをやろう」と思いなおし、
持ってこないことにしました。

でも、本の1,2冊はいいでしょうと思って、
金沢市の玉川図書館に、借りていた本を借り替えに行きました。
「予約が入ってなければもう1回借りたいのですが」と伝えたら、
「申し訳ありません。予約が入っていました」だって。
ガーン
あきらめきれず、同じ著者のほかの著作も調べてみたら、
やはりみんな借りられているか、予約中。
冬休み中に大作を読もうという、
私と同じような考えの人がいるのね。

私が借りようとしていたのは、デービッド・アイクという人の
「大いなる秘密(上)(下)」です。
この著者のことは、ヘミシンク仲間から聞いて
興味を持っていました。
彼の本は、「大いなる秘密」の上巻が初めてだったのですが、
書かれていることはあまりにも今の常識とかけ離れていて、
信じがたいものでした。
でも、読み進むにつれて、出典もきちんと示されるようになり、
私がすでに知っていた話と符合したりして、
恐ろしいけど彼の話は本当だろうと思えるようになりました。
早く続きが読みたい!


アイクの本も読めない、パソコン周りの作業もできない、
となると、まずはやっぱり体を休めろってことなのかな。
あとは、今やってる心理分析の講座パンフ作りの作業をやったら
あと3ヶ月あまりで帰って来る岐阜の家の断捨離やら、
心理分析の講座で学んだように、
「助けを求めて、ありがとうを返す」ことを
実践する時なのかもしれません。

メッセージを伝える

2008-12-14 01:58:00 | 気づき
最近いろいろ書きたいネタがあるんだけど、
つわり、副鼻腔炎、風邪の三重苦があってきついのと、
どうしても心理分析士養成講座のことで動いているので
そのネタに偏ってしまうのです。

というわけで、今日もまず心理分析士養成講座のこと。
朝から受講生仲間の家にみんなで集まって、
打ち合わせと座談会をやりました。
来年の心理分析士養成講座の広報のために、
まずリアリティのある資料を作ろうということになり、
その資料作成に修了生がみんなで取り組むことへの
意思確認をしました。

その際、メンバーの1人から、
10人前後の受講生を集めるだけなら、
わざわざパンフレットを作らなくても
口頭で説明するだけで十分じゃないのかという疑問が出されました。
それに対して、私は以下のようなことを答えました。
■ 10人の受講生を確保するためには、
  倍以上(実際は10倍以上だと思う)のパンフを配る必要があるだろうこと。
  そして、パンフを渡した相手にも、確実にクチコミを担ってほしいこと。
■ 共通の資料がなく、口頭のみで説明しようとすると
  人によって説明することにばらつきが出てしまうこと。
■ これまでのつながりの中で受講の可能性がある人は、
  多くても来年度の10人前後くらいで、
  それ以降はまったく新規の開拓が必要になるだろうこと。

多分、この説明をしている時に、私があまりに真剣だったからか
あとから「今日はすごく積極的だったから、びっくりした」
というメールをもらいました
普段から引っ込みじあんなわけでもないんですけどね <-そんなこと、わかってるか?

帰宅してそのメールを見てから、なんであんなに熱心に
パンフレットを配る意義について話してたんだろうと
考えてみました。
すると、私の二人の”恩師”を思い出しました。

1人は、私が以前働いていた某通販会社の社長。
この会社では、商品企画担当と商品のコピーを書く編集部には
商品を売りたいという熱い思い=「売りたい魂」が
求められていました。
あぁ、私にも「売りたい魂」が根づいてるのね、と
久しぶりになつかしい言葉を思い出しました。

もう1人は、岐阜にいた時に知り合って
女性の政治参加を進める市民運動を一緒にやっていた
友人の寺町みどりさん
みどりさんはもう30年ほどいろんな市民運動にかかわってきた人で、
運動、特に選挙でのメッセージを伝えることへの
並々ならぬこだわりを見せてもらいました。
チラシの紙やインクの色、マイクやスピーカーの音質といった
細部にも最適を求めるあのこだわりは、
まだ他では見たことがないような気がします。
確実にメッセージを届けること以外にも、
質のいいメッセージを作ることや
そういういいメッセージは必ず人の心に届くという信頼も
教わりました。

時期も分野もまったく違うお二人から学んだことが
今こんなところでも役に立っていることに、
やはり無駄なことはないんだなぁと感じ入っているところです。


メッセージを伝えることについて考えていたら、
ちょうど興味深い記事をmixiのニュースで見つけました。
「宮崎勤、宅間守らが残した"難題"」というタイトルのその記事は、
死刑囚の取材を通じて今の司法制度やマスコミの報道のあり方に
疑問を投げかけている、雑誌『創』の編集長、篠田博之氏に取材しています。
今見たら、この記事について日記を書いた人が1000人近くもいるほど、
大反響を呼んでいます。
その日記のタイトルや冒頭部分のリストを見ると、
死刑賛成か反対かの立場にかかわらず、
思わず読んでしまったとか、久しぶりにいい記事だったとか
記事をほめる内容が多く見られました。
しかも、この記事を配信したのが「日刊サイゾー」ですからね。

裁判員制度の開始が間近になったり、
凶悪な犯罪が頻発したりという背景の中で、
たしかに話題性のある記事ではありますが、
それにしてもこういうお堅い記事を日刊サイゾーが配信して
それにコメントするmixiユーザーが1,000人とは。
私は篠田さんよりも、この記事自体をサイゾーで書いた
逸見信介さんの筆力に感心しました。
立場を越えて、人々の心に強く問いかける、
訴えかけるメッセージ。
そういうものがあるということを
実感させるできごとでした。

キレイって何だろ?

2008-12-05 21:35:19 | 気づき
突然ですが、皆さんはキレイってどんなものだと思います?
英語には、"Beauty is in the eye of beholder."
(美は見る人の目の中にある=美しさは見る人の判断で決まる)
ということわざがあるのですが、
見る人に決められるのはたまんないよなぁと私は思います。

もともと枠にはめること、不自由なことが嫌いだから、
「これが今のキレイ」とか「理想の体型」とか雑誌などで見ると、
「ケッ」と思ってしまいます。
完全に気にならないほど、悟ってません、ハイ

メディアや世間一般の価値基準によって
自分は醜い=>価値が低いと思わされていたら、
本当にもったいないことだと思うし、
この一瞬も私たちを生かすために働いてくれてる
細胞さんに申し訳ないと思うのです。

メディアのつくる既成概念でなくても、
「もっと自分を好きになるために」
「より輝くあなたになるために」などのキャッチフレーズで
特定のメークやファッションを教えられることには
抵抗を感じてしまいます。
「え?すっぴんじゃダメ?
私は、自分なりにキレイだと思ってるんだけど、なにか?」って感じで。

以前通っていた美容院で、いつも担当してくれていたスタイリストさんが、
まゆを整えることを熱心に勧めてくれたことがあります。
でも、私はきっぱり断りました。
私は自分のもともとのまゆのりりしい感じが気に入ってるし、
まゆの形の流行ほどめまぐるしく、
当てにならないものもないと思ったからです。
流行に左右されずに、その人本来が持っているものを
引き出してくれるスタイリングなら、歓迎なんですが。

私もメークは決して嫌いなわけじゃないんです。実は。
だって、あんなちょっとしたことで、
いろんな風に変身できるなんて、すごく楽しいですから。
でも、メークは今の私にとってハレの日にするもの。
持続可能なシンプル生活を目指す中で、
すでに日常から断捨離されてしまったものです。
普段、すっぴんで外に出られなくなったりしたら、
それは自由のためでなく、不自由のための道具になってる気がする。
っていうか、素の自分を出せないのは、
きっと心の方に何かわだかまりがあるんだと思う。

だけど、もしメークやファッションを変えることで、
ちょっと自己イメージが上がって、
そのわだかまりを手放しやすくなるなら、それはOKだと思います。
そして、いつか自転車から補助輪を外すように、
メークや特定のファッションがなくても大丈夫になったら
そっちのほうが自由だと思います。


で、最初の質問の私の答えを考えてみたら、
次のようになりました。
「私にとってのキレイとは、誰でも本来持っているもので、
その人が幸せな瞬間に、内面からあふれだすもの」です。
お母さんに抱っこされてる赤ちゃんの笑顔
目標を達成したスポーツ選手の笑顔
そんなものです。

~追記~
これを書いてみて、あらためて私の中に
外見にこだわることを禁止したい観念が
ありそうだと気づきました。
親から受け継いだものは、なかなか手放せませんね。


インスピレーションを得る

2008-12-04 17:51:20 | 気づき
昨日、長谷川泰三さんの電話カウンセリングを受けました。
今回は、前回の日記に書いたような執着を手放した後で、
特に何か悩んでいるというわけではありませんでしたが、
電話カウンセリングを体験するということも講座の一環なので、
申し込んでみたのです。

いろいろ興味深い話が出ました。
今、執着を手放してしまったら、他に問題だと思っていたことも
「何とかなる」という気がしてきたと伝えたら、
「手放した後には、何か入ってくる。
それをただ待つだけでもいいが、積極的に待つこともできる」とのこと。

どういうことかと言うと、
無意識の世界からのインスピレーションを受け取るために
働きかけることができるそうです。
「私にはまったく分かりません。
私に分かる形でかみくだいて、メッセージをおろしてください」
というようなことをお願いするそうです。

すると、ふと散歩している街の風景や
つけたテレビの番組、立ち寄った本屋の本などから
必要なメッセージが飛びこんでくるそうです。
これは、経験のある方も多いのではないでしょうか。
あるインドの高僧は、テレビをぼーっと見て
メッセージを得るそうです。
泰三さんは最近、mixiとブログを見まくっているそうです。

私自身は、ある時期新聞からインスピレーションを得ていました。
紙面をぱっと見て、感覚的に気になったところに印をつけて切り抜くと、
その裏面にもやはり何か気になることが載っているということが
立て続けにありました。

今はもっと直接的にインスピレーションが降ってくることが
時々あります。
それをよく受け取れるようになったのは、
ヘミシンクという特殊な音響技術で
いろんな意識状態になることを体験してからです。
ヘミシンクは不思議な技術で、
自分の過去生を体験したり、亡くなった人と話すことも
場合によっては可能です。
そもそも私がヘミシンクを始めたのも、
亡くなった父と話してみたかったからでした。


ちょうど泰三さんとそんなインスピレーションの話をした昨日の夜、
ぱっと目が覚めて、急に「案ずるより産むが易し」という
メッセージがありました。
これは何か特定の悩みに対してのメッセージというより、
先に頭でいろいろ考えて悩むより、
天とか自分の無意識とか私のちっちゃな脳みそより
いろんなことを知っている存在に任せて生きなさいという
アドバイスとして受け取りました。

このメッセージをくれたのは、
どうも今の寝室にぼーっとした光で時々見えるガイドのようでした。
この人(?)の感覚は、私よりちょっと年上の
ロックミュージシャンのようなイケメンの感じです。
私が「イケメンガイド」と思ったら、
急に近所の床屋さんに貼ってあったモデルのポスターが目に浮かびました。
いつも、「DAIGOに似てるなぁ」と思いながら、眺めていたものです。
これから彼のことは「DAIGOくん」と呼ぶことにしました

インスピレーションをくれるのが、DAIGOくんのように
おもしろいイケメンなら、なおさら楽しみになります。
イケメンや美女がガイドになってくれるかはわかりませんが、
ヘミシンクはおすすめです。
ヘミシンクをやらないにしても、
自分より大きな存在に任せて、メッセージをお願いしてみることは
試してみる価値があると思いますよ


麻生さんがカウンセリングに来たら・・・

2008-11-20 23:47:02 | 気づき
夕べ何気なくネットのニュースを見ていたら、
しつけるべきは母親=幼稚園PTA大会で首相」という
ニュースを見つけました。
「また、こいつこんなこと言ってんの~?
現場のことよく知らないで、思いつきでしゃべるな!」
とか思ってました。
そうしたら、首相の医師に対する発言を見てみると、
もっとひどいですねぇ。
医師は社会的常識が欠落した人が多い」だって。
そのフォローで言ったことがまたふるっていて、
「医者の友達もいっぱいおり、
意見、波長が合わない人が多いなと思っていた」そうな。

腹が立ったけど、ふと思いました。
こんな人がカウンセリングに来たらどうする??


かおる「今日はどんなお話をうかがいましょうか?」

太郎「俺、最近もう疲れちゃってさぁ。
思ったこと言うと、すぐマスコミの奴らが揚げ足取るんだよねぇ」

かおる(内心、「お前の思ってることが、すでに首相失格なんだよ!」とか
思いつつ、ちょっと前傾姿勢になって真剣なまなざしで)
「それは大変なんていうものじゃないですねぇ。
思ったことが言えないのは、ツライですね。
お疲れもだいぶたまっていらっしゃるでしょう」


ちょっとこの後の展開はうまく浮かばないんだけど、
いずれにしても、話を聞き出したら
きっと私は麻生さんのことを
嫌いにはなれなくなっちゃうだろうなと思いました。

私は未熟者で、人の悪口を言ってしまうことはありますが、
うそっぽく聞こえるかもしれないけど、
嫌いな人は思いつかないのです。
人にはいろんな面があるから、
「この部分は嫌いだけど、この部分はすごいと思う」
というように見ていて、まるごと1人の人を嫌いということは
もうずいぶん前からなくなりました。

麻生さんのことは嫌いだと思っていたけど、
正しくは「よく知らない」ですね。
マンガが好きだそうだから、
ひょっとしたら同じマンガのファンで、
話し出したら盛りあがるかもしれないし。
私が嫌いなのは、マスコミを通して見える
彼の政治家としての姿勢かな。


私たちは、よくこの「嫌い」と「よく知らない」を
混同してしまうみたいです。
外国人とか性的指向が違う人とか。
それが無用な憎しみの原因になっている気がします。

人を多面的に見られたら、その人と自分が
共有できるものが見つかって、
親しみを感じる可能性も高くなると思います。
今年の9月、友人の原案をもとに
金沢市の市民参画課が実施した「コラボんセミナー」は、
まさにそれを体感するものだったなぁと思い出しました。


生活の断捨離はじまる?

2008-11-19 18:01:04 | 気づき
金沢は今日もひどい冬の嵐。
突風は吹くわ、雹は降るわ、雷は鳴るわ、大変な天気でしたが、
友人が一生懸命準備していたイベントがあるので、
歩いて出かけました。
イベントは、金沢友の会の家事家計講習会。
私も、家計簿アンケートで協力していました。

最初の発表は、20代の女性が友の会の方式で
予算を立て家計簿をつけた実践結果でした。
ちゃんとお弁当を作って、化粧品も住まいの洗剤も手作り、
服はリサイクルショップで売ったり、買ったりしているとのこと。
一方で、県外の友人の結婚式に行ったり、
地震が起これば赤十字に寄付したり、
NPOでボランティアに参加したり、
節約した分を自分が使いたいことにしっかり当てているそうです。
こういうメリハリのあるお金の使い方って、いいなぁ。


最近、必要だと思いこんでいたけど本当はいらないかも
ということが出てきています。
たとえば、毎日お風呂に入って、石けんで体を洗ったり、
頭を洗ったりすること。
石けんやシャンプーで必要以上の皮脂をとってしまうから、
肌が乾燥したり、余計な刺激物を与えてしまうのでは?
と思うのです。
実際、皮膚科の先生に、あまり石けんで洗わないようにと
言われたことがあります。

基礎化粧品も大学生になったら、お決まりのように使い始めたけど
これもあんまり必要ないかなと思い始めました。
だって、化粧品なんてほとんど使っていない私の姉は、
私より若々しい肌しているから。
化粧して洗顔料で洗い落とす必要がある人は
落してしまったものを補わなければならないかもしれませんが、
普段私はすっぴんですから、ぬるま湯で洗う程度でいいんじゃない?

意外に思われるかもしれないのは、
計画を立てる必要性もあまり感じなくなりました。
そもそも計画をしっかり立てなくてはならないほど
忙しくしないように気を配るようになってきています。
「忙しい」とは、文字どおり「心を亡くす」ことだと
実感するようになったからです。
そう考えると、今日学んだ家計簿や予算生活も
私にはどれだけ必要か、見定める必要がありそうです。


こうやって、自分がやっていることに対しても
断捨離が始まってきているのかもしれません。
私も、今日発表していた女性のように
もっとシンプルライフを目指したいです。


下駄でトレーニング

2008-11-17 21:23:16 | 気づき
北陸の冬にはめずらしく、今日の午前中はよく晴れていました。
土曜日に幼稚園のバザーがあったので振替休日だったけど、
近くの児童館も図書館もお休み。
子どもを連れて動き回る余裕もないので、
のんびり歩いて病院まで行きました。
あたたかったので、久しぶりに下駄を出して
歩いてみることにしました。

先般書いたように、今私は家の中では
足半という小さい布ぞうりを履いています。
外を歩くときも下駄を履いて、
脚の内側の筋肉を使うトレーニングしてみようと
しばらく前から思っていたところでした。

下駄を履くと足の裏からの刺激が体にいいという
話もあります。
それはともかく、音も心地いいし、
体も心ものんびりしていい感じ。

それに、下駄を履くとさっさと歩くのが難しいから、
ついいつも自分のペースで歩いてしまうところを、
今日は子どものペースに無理なく合わせて歩けました。

こんなことができるのも、心と時間に余裕があるからです。
下駄はそんな余裕をもった生活をするための
トレーニングも提供してくれるようです。

手ごわい分析対象

2008-11-14 22:35:40 | 気づき
昨日、岐阜の幼稚園を見学に行った時、
息子の態度に一喜一憂しました。

見たことのないお祈りや手遊びも
予想以上に集中してやっていたり、
片づけなども率先してやったりして
幼稚園での成長を感じさせるところもありました。

かと思えば、食事の時間になったら
ごろごろ寝転がったり、おもちゃを出してきて遊んだり
1年年下の子たちより赤ちゃんみたいになったり。。

外遊びをしていた時は、
急に女の子の背中を木のシャベルで叩くわ、
砂をかけるわ、かみつくわで
シュタイナーの幼稚園では多分ありえないような大きな声で
子どもを呼んで、注意しました


この幼稚園の先生は、急に初めてのところへ
連れてこられたのだから仕方ない、
他の子でもあるというようなことを言ってました。
この事情を伝えた今の幼稚園の担任の先生にも、
注目してほしかったり、一緒に遊んでほしかったのかも
と言われました。

でも、そんな話をしているそばから、
同級生の女の子を叩いたり、けとばしたりしているのです。
昨日言われたように、確かに仕返しされそうもない
女の子ばかりを狙っているようです。
なんだか息子はすごく底意地が悪いように思ってしまいそうですが、
叩いた女の子と一緒にかけっこして遊んだりしているので、
やはり担任の先生が言うように、
遊んでほしいだけなのかもしれません。
言葉が遅れ気味で、表現がうまくできないからかも。


大人の心理分析はだいぶ分かるようになってきた気がするけど、
子どもはなかなか手ごわいです
特に自分の子どもは。