goo blog サービス終了のお知らせ 

摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

本来の目的

2009-03-11 23:25:47 | 気づき
先日の記事で書いたとおり、
先週末引越しの準備のため岐阜に帰省している時、
息子が急に熱を出し、
その後2日間も熱がありました。

最初「この忙しい時に、またかよ」と思ったけど、
昨日息子が幼稚園を休んだ時、
38度の熱がある息子は飛び跳ねてて、
その横で私が爆睡してました
本当に休む必要があったのは、
私のほうだったようです。

それもそのはず、
週末の2日間は、食事と睡眠時間以外
ほとんどゆっくりすることもなく、
片づけに追われていました。
金沢に帰り着いたのは、月曜の午前2時半
そして、その日も息子を病院へ連れていったり、
講演の撮影に行ったりして、
バタバタしてました。

おもしろいことに、昨日私がよく寝て休んだら、
息子の熱も下がってきていました。
別々の体なのに、なんだかつながってるみたい。

私は何かに夢中になると猪突猛進で、
自分の心身に何か異常が起きるまで
走りつづける性質でした。
というか、いまだにその性質は残ってると思います。
息子は、そんな私に神様がつけてくれた
ブレーキのようです。
「お前は、これでもなければ止まらないから」ってね。

私が今のうちに岐阜の家を片づけておきたいと思うのも、
そもそも自分らしく、より生きやすくなりたいという
願いを実現させるための手段として断捨離に取組み、
安定期のうちにできることはやっておこうと思ったからでした。
でも、「自分らしく、より生きやすく」という目標の中に、
自分の頭で意図していたかはともかく、
息子や他の家族、周りの人たちとの円満な関係も含まれていたら、
無理に片づけを進めるのは、目標に近づくより、
遠ざかることにもなりかねないということに気づきました。

猪突猛進タイプの私は極端な例ですが、
人はとかく目の前のことに気をとられて、
本来の目的・目標を見失いがちだと思います。
最近、子育てについても、
そのことを考えさせられました。

子どもの周りには、大人がよかれと思って勧める
いろんなルールやモデルがあります。
朝起きたら、顔を洗いましょう。
朝食をしっかりとりましょう。
早寝早起きをしましょう。
テレビはできるだけ見ないようにしましょう。
ひらがなは小学校に上がる前に覚えたほうがいいですよ。
などなど。

でも、子どもに本来必要なのは、
その子の本質(魂)が望むように生き切ることができるような
サポートではないかと思うのです。
早寝早起きとか朝食は大切だろうけど、
あくまでそれは1つの手段だと思います。
その子がその時に必要なことは常に変わる可能性があり、
周りはそれに対応する必要があるのだと思います。
人形ではなく、生身の人間が相手ですから。

そう考えたら、朝なかなか息子が出かける準備をしないことに
イライラすること自体、何かおかしい気がしてきました。
それを子どものためと言うならおそらく、
きちんと時間を守る習慣をつけることが目的になるのでしょう。
でも、毎日決められた時間に幼稚園に行くことは、
その日その日のちょっとした発見とか
体調や気分の変化に心を向けることより大切でしょうか。

まぁ、自己チューな私の場合、
子どものために何かをやっているより、
自分のための何かをやっていることが多いので、
息子は私のブレーキの役割になってしまうんですが。


今回、このテーマについて書こうと思い始めたのは、
週末でした。
それから、幼稚園の他のお母さんや心理分析の仲間から
インスピレーションをもらったり、
自分でもいろんな気づきがあったりして
あれこれ考えていたためか、
なんだか一本筋が通らない書き方になってしまいました。
まだ現在進行形で何か気づきを得ようとしているのかな?
大切なことだと思うので、また機会があったら
書きたいと思います。

反省に次ぐ反省

2009-03-09 23:10:08 | 気づき
週末は金曜の午後からまた岐阜へ帰り、
荷物を運び入れるための準備をしました。
そんな折、昨日また急に息子が38.5度の熱を出しましたが、
今朝は微熱から平熱に下がったので、
幼稚園に行かせました。
でも、お昼頃に幼稚園から電話があり、
息子が38度の熱を出したと知らされました。
ちょうどその頃、私は午後から頼まれていた
ビデオ撮影に出かけるため、
幼稚園の近くを友人の車に乗っていたところでした。

「昨日、息子が熱を出した時点で
連絡しておけばよかったね」
「うーん、そうだね」
あっさり友人にそう言われて、
私は自分の仕事を進める力が
鈍ってきてるのかなぁとちょっとへこみました。

そもそもこの時期、体調を崩しやすい子どもを
抱えているのだから、
何か頼まれても万が一の時のバックアップ要員を
頼んでおくべきだったな。
当日に少しでも影響しそうなことがあったら、
すぐに連絡しておくべきだったな。

そして、現場についてビデオカメラを設置したら、
またトラブル発見。
夫が用意してくれたビデオカメラのバッグには
バッテリーパックが1つだけ。
しかも、60分弱しか残量がない。
講座は2時間あるのに。

あ~あ、ここでも失敗。
自分が頼まれた仕事なんだから、
備品はきちんと出発前に
自分で確認しておくべきだったな。

急いで女性センターから自宅へ歩いて向かいましたが、
妊娠6ヶ月のお腹のせいで、
思うようなスピードで歩けません。
あぁ、思ったように体が動かないって
こんなに大変で、もどかしいことなんだって
思い知らされました。

バッテリーパックを持って、
預けてきた息子の着替えやおやつも持って
もう一度女性センターへ。
今度は時間がないので、
折り畳み自転車に乗りました。
3,4ヶ月ぶりのことです。
少しこいだだけで息切れはするわ、
こいでいる割にはなかなか進まないわで、
引越しなどの忙しさにかまけて
散歩などの運動を怠っていたことを
反省させられました。

講演の撮影は途中まで順調でしたが、
最初に取りつけたバッテリーが60分弱しかなかったので
講演途中でつけかえなくてはならなくなりました。
また、テープも講演の長さより
短い時間しかもたないモードで撮影していたのに
カメラのそばに張りついていなかったので、
テープが切れてからしばらくしてやっと
テープを交換できました。

今日は本当に反省することばかりでした。
と、ここまで書いて気づいたことがあります。
以前市民運動のイベントを担当した時には
一つ一つの細かいミスまでとことん非難されて、
心身ともに疲れ果ててしまいましたが、
今はミスを責めるのは自分だけで
感謝されることのほうが多いなぁということです。
よりいい仕事をしたいという向上心は大切だけど、
できたことも認めた上で
今後同じミスをしない方法を考えられると
いいなと思いました。
何か仕事をするときは、
自分に対しても、周りの人に対しても
そういう方針でいたいと
今の私は思っています。

気づきのスイッチ

2009-03-05 23:17:04 | 気づき
夕べ息子を寝かしつけながら、
彼の顔を見ていたら、
これまでこんなことあったかな?って思うくらい
穏やかな気持ちでいることに気づきました。
そして、「あ、自分のインナーチャイルドの
気が済んだんだな」と思いました。

先週、心理分析講座の仲間から
別の先生のワークショップで
インナーチャイルドを癒すワークをやったと
メールをもらっていました。
彼女のメールを見た後、
私が小さかった頃、母に甘えるなんていうことは
まったく考えられなかったことを思い出しました。
その頃の私にとって母は、甘える対象ではなく
何か怒られはしないかとびくびく恐れる対象だったのです。

人は、自分自身に禁止していることを
目の前で平気でやってのける人に、
ものすごく腹が立つのだそうです。
私の中の小さいまんまの私(インナーチャイルド)も
平気でお母さん(私)に甘える息子を見て、
めちゃくちゃムカついていたのかなぁ。
いまだに何にムカついて、何が癒されたのか
頭ではよくわかりません。


子どもは親を選んで生まれてくると言われますが、
怒鳴られたり、ひどい言葉を浴びせられたり、
時には叩かれたりもすることを覚悟の上で
私を母親に選んで私のインナーチャイルドの癒しに
つきあってくれたとしたら、
うちの息子の魂の度量はどれだけ大きいの??
って思いました。
そんな勇気と器の大きさを持って
自分に課した役割を果たそうとしている魂の持ち主なら、
どれだけ世話をしたって、やり尽くすことはないよなぁ。
しみじみそう思いました。

そんな風に息子の存在の意味を考えていたら、
1つのイメージが浮かびました。
それは、人の気づきのスイッチがある
秘密の扉への鍵を持った人でした。
私にとって息子は、確実にそんな鍵を持った人で、
今回気づきのスイッチを押してくれたようです。

そして、そんな鍵を持った人は、
何も身近な家族だけではないことにも
気がつきました。
昨日幼稚園で話したお母さんや子どもたち、
心理分析の仲間もそうです。

昨日久しぶりに電話した仲間は、
最近何か家の中で問題があったみたいと他の人に聞いて、
少しでも励ませたらと思って電話してみたのでした。
ところが、励まされたのは私の方でした。
「かおるちゃんは最初ぶっきらぼうな印象もあったけど、
いつだかメールか電話をもらった時、
かおるちゃんの素の心の中が見えたんだ。
(だから信頼できる)」と彼女は言ってくれました。
こんな彼女の言葉もまた、気づきのスイッチを押してくれました。

でも、彼女がそう言ってくれるほど
私が真摯に、正直に人と話せるようになったのは、
最初に勤めた会社でクレーム対応をしていた時、
「ありがとう」の手紙をくれたお客さんたちのおかげでした。
ということは、昨日の気づきのスイッチが働くためには、
もう10数年前に別のスイッチが全く関係ない人たちによって
押されている必要があったわけです。

そう考えると、この世の中のめぐり合わせの
不思議さ、壮大さに感動せずにはいられません。
なんてすごいプログラムを神様は組むんだろうって。
そして、まさしく「一期一会」、
どんな出会いも大切にしたいという気持ちにさせてくれます。
こんな気持ちを与えてくれた、
これまでにスイッチを押してくれた全ての人たちに
心から「ありがとう」と言いたいです。

向き合わない

2009-03-04 00:19:30 | 気づき
今日はまた泰三さんの電話カウンセリングを受けました。
つい先日、家族とちょっとしたトラブルがあったので。
きっかけは「ちょっとした」ことでしたが、
繰り返し起きている根深い問題の一部のようでした。

今日のカウンセリングは、
私にとって自覚している以上に重たかったらしく、
終わった後やたら甘いものが食べたくなったり、
眠くなったりしました。
それでその欲求に従って、アイスを食べ
昼寝をしてしまいました。

すると、夢の中でいろいろ具体的な解決策を
見ていたようなのですが、
起きてみたらほとんど覚えていないのです
でも、1つだけ覚えていたのは、
「信じて任せる」という言葉が
筆で書かれる映像でした。
これは、泰三さんがくれたアドバイスの中でも
一番大切な部分だった気がします。

それから、具体的にどうしたらいいか少し考えを巡らせ、
いくつかやってみようと思いついたことがあります。
そのどれもが、今までの私が
ほとんどやったことがないことです。
多分そのすべてに共通するのは、
真っ向から対決しよう、抑えこもうとするのではなく、
折れたり、支えたり、支えられたりという
関係を持とうとしていることです。
180度正反対の関係ではなく、
それ以外の微妙な角度で関ろうとするのです。

こういう姿勢は、昨日の朝
象徴的なビジョンを見て以来、
息子との関係でも作れるようになってきたようです。
これまで、息子がたとえば「テレビを見たい!」と
だだをこねると、「ダメ!」とつっぱねるか、
単純に従っていたものを、
「テレビを見たい!」と今言っている言葉の裏に
どんな気持ちを持っているのか探ろうとして、
息子の目線で話を聞いたり、一呼吸置くようになりました。
何か頭で理解できない経過で
そういうことが今できるようになったので、
釈然としないし、今後もできるか自信が持てませんが
これも180度の関係から抜けられたからみたいです。

先日の記事では「面倒と向き合う」とタイトルをつけた一方で、
子育ては向き合わない方がいいという考え方に
共感していることを書きました。
向き合う=180度正反対の方向から対峙するということは
自然と緊張関係を生んでしまうのかもしれません。

カウンセリングを行う際も、
カウンセラーとクライアントは向き合わず、
90度の角度で座るのがいいとされています。
シュタイナー教育の先生が書いた本では、
子どもを注意する時、
正面から子どもの目を見据えるのではなく
子どもをひざに乗せて語り聞かせるというようなことが
書いてありました。
武道をやっていた時は、
正面からかかってきた相手の横に回りこむ技を
練習したのを覚えています。

「向き合わない」というのは案外、
人間関係がうまくいくためのコツなのかもしれませんね。

久々のメッセージ

2009-03-02 23:35:03 | 気づき
今朝、レイキの呼吸法をやっていた時
久しぶりにはっきりメッセージを感じる
ビジョンを見ました。
それは、夕焼けに染まって海に注ぐ川の流れで、
岸辺には雪が残っていました。
そのビジョンを見たとき、
「流れにまかせる」というメッセージを
聞いた感じがしました。

川の流れは海に注ぎ、海の水は蒸発して
また川上に雨となって降り、
再び川の流れとなって戻ってきます。
雪もやがて溶けて、春が来て、
夏、秋、冬とまた季節も一巡します。
その状況を映像から感じ取ったら、
「時はめぐる」というメッセージも
感じられました。

今の私にそれがどういう意味を持つのか
よくわかりませんでしたが、
その時から自分のイライラより、
息子の視点に焦点を合わせて、
息子に話しかけるようになった気がしました。
すると、大きな声を出さなくても
今朝息子は歯磨きや片づけ、出かける準備をしました。
幼稚園へ向かう道でも、なんだか機嫌がいいようでした。

幼稚園での送り迎えでも、
今日はいつもと違った感じでした。
他のお母さんや子どもたちに声をかけられることが
多かったようです。
今日の私は何か違っていたのかなぁ?

もし違っていたとしたら、
それは何もビジョンを見たからというだけでは、
なさそうです。
1月に録画してまだ見ていなかった
NHK教育の「子どもサポートネット」の特集を見て、
少し子育ての負担感が楽になった気がしたからです。

3時間もある番組だったので、
他の作業をしながら見ていましたが、
心理学の講座で学んだようなことが
実際の現場の話として語られていたのが印象的でした。
講座の仲間と一緒に見てみたかったわ。
今年NHKでは、「子どもサポートネット」の企画を
1年間やっていくようなので、また見てみたいと思います。

これまでの断捨離の振りかえり

2009-02-26 23:01:49 | 気づき
今週は、疲れが出たり、息子が熱を出したりで
断捨離の方はあまり進んでいませんでした。
それがかえって振り返りをするには
ちょうどいい機会かなと思ったので、
引越しをきっかけとして始めた断捨離で
私が学んだこと、気づいたことを
ちょっとまとめておこうと思います。

1.最終的な目的
断捨離は、単に家をきれいにするための方法ではないと
私は思っています。
本当の目的は、人生を楽しく生き切るための
手段にすることだというのが、私の理解です。

だから、私は今回の断捨離を始めるにあたり、
自分が今後どう生きていきたいか、
何をやりたいか、家族はどうか、といったことを考え、
文書も作っておきました。
それについて家族とじっくり話し合いたいと思ったからです。
今のところその文書はまだ見せてませんが、
夫とは今後のことについて、
いろいろ意見を交わすきっかけとなりました。

2.効果
a) ムリ・ムラ・ムダが少なくなる: 
  これは説明するまでもないかな。
b) 自己把握ができる: 
  家の中は、自分の内面の反映ということが、よく分かりました。
  たとえば、本棚を見ると、自分が苦手と感じている分野の本が
  やたらたくさんありました。資料も同じ。
  この2年間でだいぶ考え方が変わったので、
  手放せる資料が多かったです。
c) 決断力がつく:
  「後で使うかもしれない」という考えから
  離れられるようになりました。
  断捨離で言うところの、「時間軸を今に合わせる」ということです。
  一方で、現時点では決断できないこともあることに、
  気づきました。
  決断の時ではないのか、ただ先延ばししたいだけなのかは
  どちらを選んだら自分が自由になるか、苦しくなるか
  シミュレーションしてみればわかる気がします。
  捨てるタイミングというのもあると思うのです。
d) よりよいものが手に入る(生活の質向上):
  自分が本当に今使いたいものだけを厳選して、
  持っているものも把握しているので、
  満足しているか、次に欲しいもののイメージができています。
  また、自宅で断捨離したいものをフリマのように並べて
  友達に持っていってもらっていると、
  断捨離が進んだ人に対しては、
  「この人には何か持っていってもらえるのものがあるのかな?」
  とちょっと緊張している自分に気づきました。
  「変なものはあげられない」と思ってもらえるのって、
  すごいと思いませんか?
e) より細かいところまで目が届く:
  d)とも関係ありますが、物が少なくなり見とおしがよくなると、
  今まで気にしなかったことが気になりだします。
  だから、ものの並べ方を変えたり、掃除の頻度が上がったり。
  家の中だけでなく、自分の身なりまで気になってきました。
  ただし、こちらはあまり改善されていませんが
f) 運気を引き寄せ、邪気を追い払う:
  これは実感しているということより、言われていることで
  今後に期待していることです。
  でも、きれいに掃除してあるところには
  なかなかゴミは捨てられないし、
  街の防犯対策として、はがれたポスターを取り除いたり、
  家の前にプランターを並べるということが行われているのは、
  このことを無意識のうちに実行しているんだと思います。

3.進め方
一言で言えば、「自由に」です。人それぞれで正解はないと思います。
ただ、個人的には最初は感性で進めてみて、
調子がつかめたら少しビジョンを描き、計画(道筋)を考えると
いいかなと思いました。
感性と理性をバランスよく使うとよさそうです。
それから、心理的負担の軽いところから始めてウォーミングアップし、
勢いをつけると、どんどん進めたくなって好循環に入るようです。

4.コツ
心理学を一緒に学んでいると、決断が早くなると思います。
資料、書籍などの情報関係をはじめ、ものが多いのは
足りない何かを補おうとするからのような気がします。
「自分はこのままでOK」と思えたら、手放せるものが多いでしょう。

5.最後に
よく風水についても部分的に取り入れて、
この色のものを置くといいとか、こっちの方角がいいとか
一生懸命気にしている人もいますが、
そういうことより、まず少しでも具体的に断捨離してみることを
私はお勧めしたいです。
そうすれば、占いで言われるような効果は自然についてくるし、
何よりその効果を自分自身で手に入れられることがわかりますから。


以前から予告している断捨離専用ブログは、
まだ設置できていません。
頭で考えていたよりずっと疲れていたみたいだし、
断捨離に夢中になっている間に
置いてけぼりにしていたものにも気づかされました。
「いい加減」で進めることが大事ですね

弱さは強み

2009-02-25 23:59:35 | 気づき
今日はまた息子にイライラする日でした。
朝ご飯はすんなり食べてくれたものの、
その後の歯磨きをしてくれないので、
だんだん頭に来て、
「もう幼稚園に連れて行かないよ!」と
怒鳴ってました。

幼稚園へ向かって息子と歩いているとき、
なんで私はさっき怒ってたんだろうと
振り返っていました。
きっかけは息子が歯磨きをしなかったことですが、
なぜそれに腹が立ったんだろう?

「出てくる感情は、
もともと自分の中に持ち合わせていたもの。
怒りはその出てきてしまいそうな感情を
無理やり押しとどめようとするためのフタ」
というのが、私が学んだ心理分析で言われていることです。
それを思い出しながら、自問していくと
「いろいろやりたいこと、
やらなくちゃならないことがあって忙しいのに、
あんたが邪魔してる」
「子育てなんかしたくなかったのに」
といういつもの言葉がまず出てきました。

私たちはできちゃった結婚だから、
「子どもなんか欲しくなかった。
結婚なんてしたくなかった」という気持ちをなくすのは、
無理かもしれないなぁと思いました。
責任を持ちたいって、
つい先日格好いいこと書いたばかりなのに、
すぐまたこれだし。
でも、いつまでも同じことを繰り返していたくはないわ。

「でも、気長に息子と付き合う代わりに
私がそんなにやりたい、やらなくちゃならないことって何なの?」
と、また自問してみたら、
自分が好きな企画の仕事とか、家事とか思いつきました。
「でも、そういう仕事も結局誰かの役に立ちたいとか
喜んでほしいからやるんでしょ?
それなら、パソコンに向かって文書を作ったり、
掃除をしたりすることより、
目の前の一番身近な人間とじっくり関係を結ぶことのほうが
大事じゃない」
この前、心理分析の講座仲間に言われたことと
同じような言葉が自分の中から返ってきました。

それにしても、できちゃった婚という経緯から来る
「無理やり子育てをさせられている」感じを
どうしたら克服できるんだろうか?
何かこういう思いをすることに、大きな意味があるのか?

とりあえず、この間仲間にもらったアドバイスに従って、
誰かに相談してみようと思いました。
そして、「あ、そうか」と1つ気づきました。
自分が本気で苦しんで、誰かに助けを求めるという経験は、
後々同じように苦しむ人の役に立つことがあるかもしれないって。

そして、夕飯の片づけをしているときに
もう1つ気づきがありました。
私は子育てでこんなに悩んで、自己嫌悪に陥っている。
そんな弱さが、他の多くのお母さんたちから学ぶための
謙虚な姿勢を作ってくれるし、
助けてもらう余地ができる。
ちょうど泰三さんの車椅子が、
人と人をつなぐ接着剤になったように。
これも「問題の裏に才能あり」ということかな。

それで、いろんなお母さんの経験を聞いてみたいと
思うようになり、講座仲間の何人かのお母さんたちが
思い浮かびました。
自分が仲間たちの最初のクライアントになろうと思っていたわりに、
何を相談しようかと思っていたところでした。
これもプロセスなのかな。
今日は息子が熱を出して幼稚園から帰って来てしまったので、
電話でゆっくり話せる時間がなかったけど、
明日時間をとってみたいと思います。

自暴自棄のわけ

2009-02-24 23:02:02 | 気づき
私のある知り合いについて、
心理分析的にどうしても引っかかることがあって、
泰三さんに聞いてみようと思い、
カウンセリングをしてもらいました。
自分以外の人のことでカウンセリングを利用するなんて
考えたこともなかったのですが。

その友人は太めで、1,2年前に糖尿病と診断されました。
それで食事療法を勧められているのですが、
普通にダイエット中の人でもやらないだろうということを
いつもするのです。
たとえば、夜の10時過ぎにカップのアイスを1つ食べるとか、
油と砂糖たっぷりの菓子パンを食べるとか。
でも、その彼女は栄養士の資格を持ち、
調理場で働いたこともあるほど料理の腕もあるのです。
能力的には自分で食事療法を実践するのに
十分過ぎるほどなのです。
なのになぜ??ってずっと思っていました。

泰三さんによれば、それは一言で言えば、
自暴自棄、自己破壊行為なのだそうです。
何らかの理由で深い絶望があり、
自己嫌悪があるから、
自分を傷つけるようなことをするんだそうです。

たとえばもし、進行したガンと診断されても
何かまだやりたいことがあれば、
必死で治療法を探し、それを実践しますよね?
でも、生きがいもなく、生きる目的を見つけられなければ
「もうどうにでもなれ!」と思って、
やけ酒をあおってみたり、自暴自棄になっていくことが
予想されます。
私の知り合いの場合は、その後者の状態に陥ってる、
ようするに生きる目的を見出せてないようなのです。

でも、彼女はいろんなボランティア活動や
委員会などに参加し、毎日飛びまわっていて、
周りの人もみんな彼女を頼りにしています。
それでも、生きがいを見出せないのはどうしてなんだろう?

泰三さんはそれについて、
「たくさんの居場所があるというのは、何かおかしい。
本当はどこにも居場所がないんじゃない?」と言いました。
「もしかしたら、補償行為(何かが欲しいから、
その代償として何かをやる)でそういう活動を
してるんじゃない?
確かに昔は好きでやっていたかもしれないけど、
年をとって体調が悪くなってきてるのに
ペースダウンできないとしたら、それは犠牲だよ」

そうなのかなぁ。
「『私はこんなにやってるのに』という
恩着せがましい言葉が出てきたら、末期症状だよ」と
泰三さんは続けました。
でも、彼女からそういう言葉は聞いたことがありません。

だけど、以前ちょっとカチンとすることがありました。
私がある手伝いをちょっとお願いしたら、
「ちょっとその日は映画に行く予定だし、
他のイベントを見に行きたいの」と言われました。
「いつでもお手伝いするからね」と前から言ってたのに。
「私が期待するのがいけないんでしょうかね?」と泰三さんに言ったら、
「それは、『普段がんばっているんだから、
イベントや映画を見に行ったっていいでしょ?』って言ってるのと同じ。
つまり『私はこんなにやってる』というのと同じ」と言われました。
そうなんだ。
心の底の感情が同じでも、
言葉での表現の仕方が違うと、違うように思えてしまうもんだなぁ。

それで、私に何かできることがあるか聞いてみました。
「適確なタイミング、言動で、相手にプラスのインパクトを与える」
ことができたらいいとのこと。
よくやってしまいがちだけど、やってはいけないのは、
「やらなくちゃ」という強迫観念を与えることだそうです。
「やらされている」という強制感を与えるのもダメ。
絶望感、つまり「何をやっても、よくならない」というイメージを
少しでも変えるような言葉かけをするといいそうです。
「よくがんばってるじゃない」
「なんだか顔色がよくなってきたみたいだよ」など。
タイミングが悪かったり、わざとらしかったりすると、
かえって不信感を植え付けるから、注意が必要でしょうけどね。

というわけで、周りにいる人間として私が気をつけるべきことは、
「ちょうどいいタイミングを待つ=手放す」ことなのだそうです。
「ちょうどいいタイミングで適確な言動」が
私にとれることを信じて、待つ必要があるようです。


そんな電話カウンセリングを受けている最中に、
受話器の向こうでFAXの音が鳴りました。
泰三さんが確認したら、それは金沢での
初級心理分析士養成講座への申込書でした
すでに開講するかどうかのラインは超えているそうです。
よかった~

これまでに申し込んできた人たちは、
ずっと以前に泰三さんが関ったとかで、
あまり想定していなかったメンバーのようです。
逆に、「この人は申し込むだろう」と思っていた人が
「やっぱり受けられない」と言ったり。
やはり、次の講座でも最初からメンバーは
決まっていたのかもしれません。

「プロセス(自然な成り行き)を信じる」ことの大切さは、
特にパンフレット制作の最中に学びましたが、
その結果が今出てきています。
絶望している私の知り合いにも
きっとプロセスが働くと信じて、待ちたいと思います。

ドリームカウンセラーチーム

2009-02-22 23:04:43 | 気づき
おとといから毎日、心理分析の講座の仲間と
電話で話しています。
先日仲間の「ショック療法」を受けてから
たくさんの気づきが広がって、
彼女の「処方箋」に自分の気づきを取り入れた
セルフセラピーを実施中です。

私が今やろうとしているのは、
講座の仲間を私のドリームカウンセラーチームにすること。
これは、おととい別の講座仲間が言っていた言葉に
インスピレーションを得て、思いつきました。
彼女は、「私には11人の専属カウンセラーが
ついてるんだもん」と言ってました。
そうだよなぁ、講座を一緒に受けてきたからこそ
許し合える言葉、行動もあると思います。
この間の「ショック療法」も
根底に深い信頼があるからこそ、
できたんだと思ってます。

仲間を私のドリームカウンセラーチームにするために、
1人1人の仲間のいいところ、得意分野などもっと知って、
私自身のことも知ってもらおうと思い、
いろいろ話しています。

夕べ話した仲間は、
「ブログで弱いところを見せられると、
同じだなぁって安心できた。
もっと頼ってよ」と言ってくれました。
そんなことを言われて、私も安心、うれしくなりました。
そして、すてきな言葉も教えてもらいました。
「陰は内に在りて陽の守りなり。
陽は外に在りて陰の使いなり」
陰を女性、陽を男性としてこの言葉を読んでみると、
なるほどと思われるかと思います。
よく細木数子さんが言っているようなことみたいですね。
以前の私なら、むかっ腹を立ててたかもしれませんが、
今はそういうこともあるかもしれないと思えます。

今日はまた別の仲間と話して、
彼女が本当に私と似たような根拠のない
無価値観を抱えていそうなことがわかりました。
もったいないなぁ。
でも、私の直感では彼女はもうすぐ
見違えるようにきらきら輝き出す感じがします。
それで、私がとても気に入って買ったけど、
あまり着ないまましまってあって、
もう年齢的に私じゃ似合わないサンドレスを
譲ることにしました。
きっと今年の夏は、彼女はそれを着て
彼氏とデートだわ

昨日は私がカウンセリングしてもらって、
今日は私がカウンセリングトレーニング
させてもらったような感じでした。
どっちもできるなんて、
やっぱりこれはもう形のない学校かもしれません。
私たちは、講座のパンフレットも自分たちで作ったし、
これからは自分たちの学びの場を
自分たちで作っていくことになります。
私は、その中で多分自ら最初のクライアントに
なってみるんだと思います。
そうしてカウンセラーのドリームチームを作ることが、
あと1ヶ月ほどで金沢を離れる私自身と
仲間へのプレゼントなのかな。

この機会をくれた神様と「ショック療法士さん」に
まずは感謝!です。

面倒と向き合う

2009-02-22 01:19:23 | 気づき
うちの息子は、いつも決まったもの以外は
なかなか食べません。
私は離乳食は作ったことがなく、
大人が食べるものをとりわけて
小さく切ったり、柔らかくしたりしてあげてましたが、
その時は特に好き嫌いはありませんでした。
ところが、大きくなるにつれて
だんだん食べないものが多くなりました。

でも、無理に食べさせることはしてきませんでした。
それは、何でも無理強いすれば逆効果だと思っていること、
食べ物を「食べさせる」ということに違和感を感じること、
子どもはその時の本能で食べてるんだろうから、
必要な時が来たら、他のものも食べ始めるだろうと思って
いるためです。

確かにこの考え方は今でもあまり変わりありませんが、
昨日気づいたことがあります。
単に、めんどうくさいということ。
いろいろやりたいことがあるのに、
うだうだ言って食べない息子につきあうのが
面倒だという理由も、確実にあるのです。

そうやって子どもが発信するいろんなメッセージが
面倒くさいから、
黙ってくれるものをいろいろ出しちゃうんですね。
食べ物にしろ、娯楽にしろ。
子どもとの摩擦、向き合うことを避けちゃってるみたいです。
甘やかしすぎたり、距離を取りすぎたり。

これって、そのまま子どもが大人になっても
引きずってしまいそうな気がします。
人とうまく関れないから、
テレビやパソコン・ケータイの仮想の世界に浸りがちになって、
家族の誰かに何かが起こったときより、
自分がよく見ている番組のタレントのニュースの方が
身近に感じてしまうようなこともあるんじゃないかな?
かく言う私自身も、父が末期ガンで入院している時、
アメリカでいつも見ていたニュース番組のキャスターが
亡くなって、そっちの方がショックでした。

最近はもっとそういう傾向が強まって、
アニメ制作か何かの専門学校で
生のヌードモデルのデッサンをやったら、
途中で何人かの学生が「気分が悪い」と言って
退室したんだそうです。
NHKスペシャルで有名になった金沢の元小学校教諭、
金森俊朗先生は、去年聞いた講演で、
子どもの「野生」が失われているというようなことを
話していました。
生の人間という最後の野生も受け入れられなかったら、
これから私たち、どうなるんだろう??

テレビやパソコンの中の世界は理想化されていたり、
距離がありすぎて、
自分が好きで選んでいるものなら、
不快感を与えられることはあまりないでしょう。
そういうものにしか親近感を感じられなくなったら、
外の世界には出られなくなるだろうなぁ。


子どもに本当に生き延びる力をつけてほしかったら、
やっぱり時間と心の余裕を持って、
子どもの発信するいろんなメッセージに
向き合う必要があるんだなと、
今さらながら思ったしだいです。
そして、面倒くさい子どもとの「摩擦」を
恐れないことも肝に銘じたいと思いました。
うだうだ言ってる下にどんな感情があるのか、
想像力を働かせながら。


追記:
そういえば、子どもと「向き合う」のはよくないと
小林正観さんだったかな?
言ってました。
向き合うのではなく、親が楽しそうにしている背中を
見せることがいいんだって。
本当にそうだなぁと思ったんですが、
今日の記事では「向き合う」以外のいい言葉が
見つからなかったので、使ってしまいました。