先日の記事で書いたとおり、
先週末引越しの準備のため岐阜に帰省している時、
息子が急に熱を出し、
その後2日間も熱がありました。
最初「この忙しい時に、またかよ
」と思ったけど、
昨日息子が幼稚園を休んだ時、
38度の熱がある息子は飛び跳ねてて、
その横で私が爆睡してました
本当に休む必要があったのは、
私のほうだったようです。
それもそのはず、
週末の2日間は、食事と睡眠時間以外
ほとんどゆっくりすることもなく、
片づけに追われていました。
金沢に帰り着いたのは、月曜の午前2時半
。
そして、その日も息子を病院へ連れていったり、
講演の撮影に行ったりして、
バタバタしてました。
おもしろいことに、昨日私がよく寝て休んだら、
息子の熱も下がってきていました。
別々の体なのに、なんだかつながってるみたい。
私は何かに夢中になると猪突猛進で、
自分の心身に何か異常が起きるまで
走りつづける性質でした。
というか、いまだにその性質は残ってると思います。
息子は、そんな私に神様がつけてくれた
ブレーキのようです。
「お前は、これでもなければ止まらないから」ってね。
私が今のうちに岐阜の家を片づけておきたいと思うのも、
そもそも自分らしく、より生きやすくなりたいという
願いを実現させるための手段として断捨離に取組み、
安定期のうちにできることはやっておこうと思ったからでした。
でも、「自分らしく、より生きやすく」という目標の中に、
自分の頭で意図していたかはともかく、
息子や他の家族、周りの人たちとの円満な関係も含まれていたら、
無理に片づけを進めるのは、目標に近づくより、
遠ざかることにもなりかねないということに気づきました。
猪突猛進タイプの私は極端な例ですが、
人はとかく目の前のことに気をとられて、
本来の目的・目標を見失いがちだと思います。
最近、子育てについても、
そのことを考えさせられました。
子どもの周りには、大人がよかれと思って勧める
いろんなルールやモデルがあります。
朝起きたら、顔を洗いましょう。
朝食をしっかりとりましょう。
早寝早起きをしましょう。
テレビはできるだけ見ないようにしましょう。
ひらがなは小学校に上がる前に覚えたほうがいいですよ。
などなど。
でも、子どもに本来必要なのは、
その子の本質(魂)が望むように生き切ることができるような
サポートではないかと思うのです。
早寝早起きとか朝食は大切だろうけど、
あくまでそれは1つの手段だと思います。
その子がその時に必要なことは常に変わる可能性があり、
周りはそれに対応する必要があるのだと思います。
人形ではなく、生身の人間が相手ですから。
そう考えたら、朝なかなか息子が出かける準備をしないことに
イライラすること自体、何かおかしい気がしてきました。
それを子どものためと言うならおそらく、
きちんと時間を守る習慣をつけることが目的になるのでしょう。
でも、毎日決められた時間に幼稚園に行くことは、
その日その日のちょっとした発見とか
体調や気分の変化に心を向けることより大切でしょうか。
まぁ、自己チューな私の場合、
子どものために何かをやっているより、
自分のための何かをやっていることが多いので、
息子は私のブレーキの役割になってしまうんですが。
今回、このテーマについて書こうと思い始めたのは、
週末でした。
それから、幼稚園の他のお母さんや心理分析の仲間から
インスピレーションをもらったり、
自分でもいろんな気づきがあったりして
あれこれ考えていたためか、
なんだか一本筋が通らない書き方になってしまいました。
まだ現在進行形で何か気づきを得ようとしているのかな?
大切なことだと思うので、また機会があったら
書きたいと思います。
先週末引越しの準備のため岐阜に帰省している時、
息子が急に熱を出し、
その後2日間も熱がありました。
最初「この忙しい時に、またかよ

昨日息子が幼稚園を休んだ時、
38度の熱がある息子は飛び跳ねてて、
その横で私が爆睡してました

本当に休む必要があったのは、
私のほうだったようです。
それもそのはず、
週末の2日間は、食事と睡眠時間以外
ほとんどゆっくりすることもなく、
片づけに追われていました。
金沢に帰り着いたのは、月曜の午前2時半

そして、その日も息子を病院へ連れていったり、
講演の撮影に行ったりして、
バタバタしてました。
おもしろいことに、昨日私がよく寝て休んだら、
息子の熱も下がってきていました。
別々の体なのに、なんだかつながってるみたい。
私は何かに夢中になると猪突猛進で、
自分の心身に何か異常が起きるまで
走りつづける性質でした。
というか、いまだにその性質は残ってると思います。
息子は、そんな私に神様がつけてくれた
ブレーキのようです。
「お前は、これでもなければ止まらないから」ってね。
私が今のうちに岐阜の家を片づけておきたいと思うのも、
そもそも自分らしく、より生きやすくなりたいという
願いを実現させるための手段として断捨離に取組み、
安定期のうちにできることはやっておこうと思ったからでした。
でも、「自分らしく、より生きやすく」という目標の中に、
自分の頭で意図していたかはともかく、
息子や他の家族、周りの人たちとの円満な関係も含まれていたら、
無理に片づけを進めるのは、目標に近づくより、
遠ざかることにもなりかねないということに気づきました。
猪突猛進タイプの私は極端な例ですが、
人はとかく目の前のことに気をとられて、
本来の目的・目標を見失いがちだと思います。
最近、子育てについても、
そのことを考えさせられました。
子どもの周りには、大人がよかれと思って勧める
いろんなルールやモデルがあります。
朝起きたら、顔を洗いましょう。
朝食をしっかりとりましょう。
早寝早起きをしましょう。
テレビはできるだけ見ないようにしましょう。
ひらがなは小学校に上がる前に覚えたほうがいいですよ。
などなど。
でも、子どもに本来必要なのは、
その子の本質(魂)が望むように生き切ることができるような
サポートではないかと思うのです。
早寝早起きとか朝食は大切だろうけど、
あくまでそれは1つの手段だと思います。
その子がその時に必要なことは常に変わる可能性があり、
周りはそれに対応する必要があるのだと思います。
人形ではなく、生身の人間が相手ですから。
そう考えたら、朝なかなか息子が出かける準備をしないことに
イライラすること自体、何かおかしい気がしてきました。
それを子どものためと言うならおそらく、
きちんと時間を守る習慣をつけることが目的になるのでしょう。
でも、毎日決められた時間に幼稚園に行くことは、
その日その日のちょっとした発見とか
体調や気分の変化に心を向けることより大切でしょうか。
まぁ、自己チューな私の場合、
子どものために何かをやっているより、
自分のための何かをやっていることが多いので、
息子は私のブレーキの役割になってしまうんですが。
今回、このテーマについて書こうと思い始めたのは、
週末でした。
それから、幼稚園の他のお母さんや心理分析の仲間から
インスピレーションをもらったり、
自分でもいろんな気づきがあったりして
あれこれ考えていたためか、
なんだか一本筋が通らない書き方になってしまいました。
まだ現在進行形で何か気づきを得ようとしているのかな?
大切なことだと思うので、また機会があったら
書きたいと思います。