(テレビ画面の赤い炎の中で崩れる正殿が脳裏に焼きついたまま龍潭(りゅうたん)池まで来ると、遠くで煙が!)
信じられない映像!目の前のスクリーンに映された紛れもなく首里城が炎に包まれる姿は痛ましかった!予想だにしなかった事が起こるー!2001年、9・11、映画のスクリーンのようなツインタワー崩壊実況映像に驚いたが、身近でこんなことが起こるなんてー!最近ノートルダム大聖堂が焼ける映像(今年4月15日)にも驚いたがー。
しばらくして、急に首里城まで実際に行って見届けたいと思い立ち、車で向かった。すでに道は封鎖されていて、結局銀行の駐車場に止めて歩いた。朝6時半だ。芸大近くに来ると人だかりが増え、龍潭(りゅうたん)池の辺りにさらに多くの人の山ができていた。白鷺や他の鳥たちが優雅に、のんびり飛んだり、池の魚を食している光景の後ろで煙があがり、赤い炎が少し見え隠れし、消防車のホースから飛んでいる水しぶきが見えた。正殿と北殿、南殿が焼け崩れたと隣でラジオを聴きながら写真を撮っている男性が話した。テレビ局が同じスポットで取材し、通行中の高校生などにインタビューしていた。
通学、通勤中の人並みが激しくなる前に駐車場に戻ったが、通勤ラッシュアワーでおまけに首里の中央通りが封鎖されているので、混んでいた。久しぶりの首里の街、観光メッカであり、沖縄の人々にとって、精神の、心の支柱(拠所)のような首里城が燃えた!玉城知事は30日に韓国に出立している。冷え込んだ韓国からの観光団を取り戻す目的でもあったはずだがー。LCCも冷え込んでいるとニュースは伝えていた。安部政権は経済的ダメージをもたらしている状況を改善する姿勢を見せていない。末端であえいでいる国民を見捨てる政策だろうか。
城が燃える!誰が予想しただろうか?隣のラジオを聴いている男性は「消火器の装備も頑丈で、火事には細心の配慮がされているはずだがなー」と話した。いったいなぜ?11月3日、北殿で公開される組踊を見る予定だった。仮設舞台で1719年の舞台がどう再現されるのか、興味を持っていたゆえだ。恒例の「首里城祭」も途中でダメになった。何より、1992年に復元され、観光の目玉として大きな役割を果たしてきた首里城正殿など主要建造物の壊滅的状況は、その再建にまた多くの費用と時間がかかるに違いない。
早急に再建に向けた取り組みがなされることを念じるばかりー。ノートルダム大聖堂の火事の後、世界から献金が寄せられ寺院は元の姿を取り戻している。国だけではなく、心ある多くの方々の志で世界遺産の首里城再建(復元)が3年以内になされる事を念じたい。
しかし、火災の原因は、徹底して調査をしてほしい。
(首里城は戦後母校「琉球大学」が建立された場所であり、研究生時代を含め5年間そこで学んだ。10代から20代初期の思いでが残った空間でもある。当時のことが思い出される。青春時代の記憶が再起される。久しく思い起こすことのなかった大学生時代の物語!)
(芸大から北殿を見るとー)
車の中から見た東の空の朝焼け
(龍潭池の白鷺さん)
以下ウィキピディアより一部転載:
首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里金城町にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。現在は国営沖縄記念公園の首里城地区(通称・首里城公園)として都市公園となっており、一般財団法人沖縄美ら島財団が管理を行っている。
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城であった。戦前は正殿などが旧国宝に指定されていたが[1]、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になった。1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。
周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵、園比屋武御嶽石門のほか、第二尚氏の菩提寺である円覚寺(えんかくじ)跡、国学孔子廟跡、舟遊びの行われた池である龍潭、弁財天堂(べざいてんどう、天女橋)などの文化財がある。
ノーテルダム大聖堂の火事:2019年4月15日:https://www.afpbb.com/articles/-/3220930
【4月16日 AFP】(更新、写真追加)パリ中心部にある観光名所ノートルダム大聖堂(Notre Dame Cathedral)で15日夕、大規模な火災が発生した。火災により同大聖堂の尖塔(せんとう)が崩壊。1000年近い歴史を持つ大聖堂とその貴重な芸術作品の数々の将来が危惧されている。
火災はフランスのカトリック教徒らがイースター(Easter、復活祭)を控える中で発生。ノートルダム大聖堂からは炎と大量の煙が立ち上り、パリ市民や観光客らは戦慄(せんりつ)の表情を浮かべてその様子を見守った。
同大聖堂の広報担当者はAFPに、火災は15日午後6時50分(日本時間16日午前1時50分)ごろ発生し、炎により屋根を支えていた木製構造物が破壊されていると語った。消防当局によると、火災は同大聖堂で行われていた修復作業と「関連している可能性」があるという。