
以前、高良氏の『魂振り 琉球文化・芸術論』を読んだ覚えだが、あらためて「文化遺伝子論」をめくってみた。
高良氏は紙面でも「文化遺伝子」というのは、私が考案した事ですが~、と臆面もなく書いている。宮川氏は「高良さんが十数年前に編み出した文化遺伝子という新しい文化用語の話ですね」と呼応している。また書籍の中の「文化遺伝子という新概念」の項目では「文化遺伝子という考え方は私一人が取りつかれた概念かと思っていましたが、そうではありませんでしたと、吉本隆明や中沢新一などが発した日本語の遺伝子や思想の遺伝子などについて言及している。しかしあくまで「文化遺伝子」という概念はご自分の発想という展開である。文化遺伝子はミームである。
その論稿の中味についても、疑問があるが、ここでは深入りしない。
気になる方は、図書館で読むか、ネットで中古品で299円で紹介されているので購入も可能かと~。沖縄では詩人、評論家として実績のある方ゆえに、文章はなめらかで読みやすく、分かりやすい。
驚いたのは、あたかも高良氏が世界ではじめて「文化遺伝子」という概念を考案したかのような新聞編集者の扉の言葉であり、高良氏自身の言説である。

あれ~、おかしいな、と思ったのは私だけだろうか。
今では小学生でもネットで「文化遺伝子」「文化的遺伝子」を検索できる。
AIに問うと以下の回答が出ている。つまり1976年に文化遺伝子(ミーム)はリチャード・ドーキンスが提唱した概念である。高良氏はなぜミームについて言及しないのだろうか。
ミームは文化の原子のようなものである。遺伝子は精子と卵子を通じて広まるが、ミームは脳を通じて広まる。したがって、より多くの脳に広まったミームが文化形成に大きく関与していることになる。(ミームのWikiから一部転載)
AI による概要
「文化的遺伝子」「文化遺伝子」は、ミーム(meme)という言葉で指されることが多いです。これは、生物が遺伝子を通じて子孫に情報を伝えるように、人々が模倣や伝達を通じて文化的な情報を共有していく現象を指す概念です。
詳細:
- ミームの定義:ミームは、リチャード・ドーキンスが提唱した概念で、英語の「gene(遺伝子)」とギリシャ語の「mimeme(模倣)」を組み合わせた造語です。
- 文化情報の伝達:ミームは、言語、宗教、価値観、行動様式など、様々な文化情報が、人から人へ、または世代から世代へと伝播していく単位として捉えられます。
- ローカルミーム:地域特有の文化情報や伝承を「ローカルミーム」と呼ぶこともあります。例えば、特定の地域の方言や風習などが挙げられます。
- ミームの進化:ミームは、生物の遺伝子のように、変化や進化を続けることがあります。新しい情報やアイデアがミームとして広まり、既存のミームと融合したり、置き換わったりすることがあります。
- ミームの拡散:ミームは、インターネットやメディアを通じて急速に拡散されることもあります。近年では、インターネット上の画像や動画がミームとして広まる例も多く、これらのミームは、ユーモアや共感、批判など、様々な目的で利用されます。
例:
- 言葉や表現:「あるある」などの言葉、または「ジョジョの奇妙な冒険」から生まれた「だが断る」などのフレーズは、ミームとして広く知られています.
- 行動様式:特定の服装や髪型、または特定の行動様式が、ミームとして模倣されることがあります.
- 文化的な価値観:特定の価値観や考え方が、ミームとして広がり、社会に影響を与えることがあります.
ミームは、文化的な進化や変容の過程を理解するための重要な概念です。
Copilot の回答
ミームとは、人の脳に保存される文化的な情報の一単位である。1976年にリチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』の中で初めて「文化的遺伝子(ミーム)」という概念を提唱した。文化的な選択と遺伝子的な選択は相前後して起こるため、人の行動は文化と遺伝子の共同進化の所産だと考えることができる。ヒトの持つ文化は進化するものであり、集団に共有されて人々を操作する存在である。
AFPBB News
文化遺伝子と文化的遺伝子とどう異なるのだろうか。同じミームと見なしていいのだろう。
書籍の紹介:
ミームとは?
Gooで好いねを押して頂きましたが、Gooのデータをamebaに移せました。今度はamebaで記事を書いて行こうと思います。然し11月まではGooは使えますので、今からGoo書いた記事は、またamebaに移動出来るのでしょうかね?。今後ともご教示ください。有り難うございました。魯鈍斎。
文化人類学は確か受講しました。
文化遺伝子のルーツなり痕跡、経緯は意外と歴史のスパンは長いのかもしれませんね。
ミーム(文化的遺伝子)の考えについては、2001年の9・11以降、イスラム教とキリスト教の対立の中で、宗教的なミームは拡散していくのだという論がありました。
イラク戦争の頃、アメリカによって惨酷に破壊される影像を見せつけられていた時、しかし、イラクの人々は犠牲になりながら彼らのミームは伝播し、拡散し、力を貯えているという論にうなずいていたのも事実です。
それは文化的にも政治的にもイラクの人々の怒りであり、誇りであり、文化的宗教的アイデンテイティの核だったはずですね。
その時ミームを意識しました。
民族や国民国家、部族独自のミームを背負って立っているのだと~。
先生は早々とブログを移動されたのですね。こちらは夏までにゆっくりでいいかと考えています。
またよろしくお願い致します。