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志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

『日毒』を注文した。詩の詳細について、歴史的考証が気になった故〜!

2023-06-12 09:36:59 | 日々の記録・備忘録
八重洋一郎さんの詩集『日毒』は以前図書館から借りて読んだのだが、詳細に読みたくなった。「日毒」の言葉が飛び跳ねているという。「琉毒」はどうかと、問い合わせもあった。琉球史の専門家に色々とお尋ねしたい。廃藩置県の頃の明治政府による王府役人の取り調べが、拷問などを含め、過酷だったかどうか。確か旧慣温存策旧慣温存政策 - 概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書が施行されたはずで、八重山の在番やそれに連なる臣下役人が、激しい拷問を受けるほどの咎が与えられたかどうか。
 確かに清に渡って黄色い軍艦を要請に渡ったユカッチュ(士族層)がいたことは史書で読んだことがあったような気がする。福建州に琉球館があり、なかなか琉球に帰れず悶々としていた琉球人について、大城立裕さんはは小説も戯曲も書いている。
 明治政府がどれほど残虐に首里王府の役人を問い詰めたのか、よく知らない。当時の古文書に「日毒」の二文字が残されているのかどうか。 
 八重洋一郎さんは、拷問を受けたご先祖が書いた「血書の日毒の二文字」を写真に撮って紹介してほしい。もし、詩がフィクションでなければ~。
 厳しい拷問を受けるほど、八重山で役人として重職にあったご先祖だったのかもしれないが~。
 廃藩置県が「琉球処分」と言う四語で知られています。世界の趨勢、歴史の潮流に照らして、日本や琉球はどうだったのか。尚家は、華族になって東京での生活は裕福になったと言う。
 西欧を模倣した近代化は戦争の世紀でもあった。今一度、王府滅亡と明治政府に包摂、併合されていった当時の時代の激しい変節を捉え返したい。

 それから同じ先島でも八重山と宮古への沖縄本島からの眼差しに違いがあるのが気になっている。無意識の宮古差別は今でもある。無意識の八重山差別は宮古に向ける視線より柔らかい印象だ。宮古島出身の詩人の詩に綴られた「人頭税」はすさまじいと感じた。実際に首里でちゃぶ台を同級生の父親にひっくり返されるほどの差別を経験している生身の声は、詩に結晶化されている。
 一方で、宮古島出身の研究者や作家・詩人の沖縄に向ける視線が斜め目線だと感じることがある。つまり琉球王府時代の痕跡を引きずっている。琉球・沖縄の歴史と現在を、より客観視するスタンスがあるのも事実だ。琉球独立論に簡単に組みしない思考がその辺に潜んでいるようだ。八重山出身のインテリ層は琉球王府に密着しているのだろうか。宮古島と八重山の位相なり、歴史や思想性の違いについて掘ってみたい。八重山ヒジュルーに対して宮古はアララガマ精神があり、熱いと聞いたが、実際、どうなのだろう。離島でもまたより小さな島人に対する差別構造もまた指摘されているが~。やれやれ。

 首里から田舎に流れ着いた先祖がいて、やーどい中心の村落で幼少期を過ごしたが、祖母(んーめー)など、士族としての誇りは残っていると感じた。
 首里に住んでいた同じ氏の親族は柔らかな首里言葉で話していたが、首里人独特のアイデンティティを持っているように見えた。帰属意識の過去への回帰はややもすると、歴史の負の痕跡を増長するきらいがあるようだ。アイデンティティをどこに依拠するか、千差万別 でそれぞれの物語を大事にしていいに違いないが~。
 昨今知り合った在野の研究者は、平家の落ち武者たちの痕跡を追いかけていて、伊平屋、伊是名、今帰仁と歴史の新たな捉え返しをしている。それが八重山、宮古島にも強い痕跡を残しているという。歴史の新たな解釈は、アカデミアではなく、在野の斬新な発想と深堀の中から湧き出てきそうだ。

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