最近若い民謡歌手の唄を聞いていると、味気ない。その理由が彼ら、彼女たちが、民謡を唄いながら綺麗な日本語で話すので、全然味がないのである。これではだめだね。それでいいと思っている民謡協会も問題だね。ウチナーグチで語れる民謡歌手を育ててほしい!また「国立劇場おきなわ」もウチナーグチで話せる司会であってほしい。ウチナーグチによる解説書もあるべきですね。ない!のです。なぜ?
国立劇場おきなわの組踊や琉球舞踊や沖縄芝居の解説書は全部きれいな日本語である。語りも日本語?味がない。しかも沖縄方言認識の方々が指導者である。伊波普猷でさえ「琉球語」と著書に書いている。しかし現在のリーダーたちは「沖縄語」でもなく「沖縄方言」「首里方言」の認識である。養成課の指導者のこの間の認識を見たら、内国植民地沖縄の思潮で埋まっているのですね。人間国宝という制度は沖縄芸能の格上げに繋がるのかもしれない。国宝芸=至芸と必ずしもいえないところもあるのでしょうか。格式が制度的に創られるのですね。ラヴェルがその人物を文化政策の中で権威にするのですが、芸道は無限ですね。
言語の問題で、沖縄の伝統芸能を担う方々、それを文化装置として支える方々の言語認識が、沖縄芸能全体の劣化を導いているという現実に見えてしまいます。残念ですね。崎山律子さんがきれいなウチナーグチで解説した時、「国立劇場おきなわ」は真に伝統の宝庫になるのでしょうか?
このチラシを見ると今年、国の保持者認定を受けた方々が総出演ですね。彼ら・彼女らの芸の力が本物かどうか、見極めることができるかもしれませんね。