志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

黒子ちゃんが椅子を占領して、パソコンの前でやるべき事が出来ない!

2024-02-18 02:01:00 | 日々の記録・備忘録
最近何故かその椅子がお気に入りで、朝まで寝ていたりする。
 
18世紀琉球に生きた蔡温と平敷屋朝敏が何故か念頭に浮かぶ。尚敬王に仕え、王府の財政復興に尽した権力者と、その男に磔にされた朝敏との対比だが、35歳で政治的に虐殺された朝敏が残した文芸作品は、永遠にその美をとどめる。この地球や宇宙が存在する限り〜。
 産業と文化や文芸の関係とはなんだろう。
 翻って沖縄の政財界の立役者と、例えば組踊や沖縄芝居の立役者の真喜志康忠を比較した時、康忠氏は朝薫や朝敏であり、突出した政財界、産業界を代表する多くの蔡温に勝る輝きを持っている。
 それが当事者には見えないと言う事が見える。
 形而下的な物と形而上との対比でもあるのだが、人間がいかに観念的な存在か、と言う事に他ならない。確かに資本主義は、あらゆるものをキャピタルにする。貪欲な金融システムで成り立っている。物欲に際限がなく、唯物論的に果てしなく進化していく。人間の特性は、想像(創造)力だとチョムスキーが言ったように、絶えず、弁証法は貫かれている。絶え間なく次のステップを踏んでいく。
 しかし有史以前に構築された哲理や神話、戯曲が読まれる。1000年頃に書かれた源氏物語が読まれている。琉球沖縄の文芸作品も同じく、おもろから、朝薫や朝敏の作品も読まれ、演じられる。多くの琉歌も残されている。
 政治や経済活動と文化や文芸作品、芸術との関係性が形而下と形而上の相関性を持つように、相互依存している。
 現在はマスメディアや、ソーシャルメディアが発展し、インターネットやAIが地球を席巻している時代になって、世界がより身近になっている。しかし残酷な殺戮は無くならない。戦争がビジネス化している。それも資本主義、金融システムの無機的な循環、パターンに堕しているように見える。
 しかし、歴史の痕跡は絶えず現在に投影されている。
 言いたかった事は、真喜志康忠が表象し、達成した作品や演技は、玉城朝薫や平敷屋朝敏に匹敵する。現在の多くの蔡温を凌駕する何かがありつづける。実利と芸術の比喩だが~。
 物を超える何かがある。
 
それにしても、沖縄男子の「強く儚い精神」に失望した昨今である。

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形而上的とは、芸術や哲学の文脈でよく使われる言葉です。この言葉は、物質的な現実や物理的な属性を超えて、抽象的で精神的な側面を指します。具体的な形や物質にとらわれず、感情、思考、美、哲学的な概念などを表現する際に用いられます。
例えば、絵画や詩は形而上的な表現であり、物質的な対象ではなく、感情やアイデアを伝える手段として捉えられます。この概念は、芸術家や哲学者が物事を深く探求し、抽象的な視点から世界を理解するために重要です。
  演劇や伝統芸能は無形文化財です。組踊や沖縄芝居は無形文化財です。


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