志情(しなさき)の海へ

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「魂(まぶい)込め」で元気になった母!

2010-12-27 08:38:29 | グローカルな文化現象
霊的世界にとても興味があるというわけではないが、心霊世界を否定できない。フロイトの夢判断にしてもその臨床心理の世界もまた脳死の世界にしても、一時とても興味があって、立花隆の本を読み、録画を医学部の学生たちと見て、また脳死についての英文講読も授業で取り上げたことがある。

結論として、死は怖くはないに変わった。死にいたる過程の脳の機能がエンドロフィン(脳内麻薬)だったか、独特なエキスを出して死への道筋を安らかにするという結論を得たからである。それと好きな男と心中するのが最もいい死に方だと思ったりしているが、一人で生まれて(実際はこの世に命を与えられて)、一人で死ぬ(を余儀なくされる)に逆らいたくなる気持ちがあるのかもしれない。自ら死を演出する作家や詩人の「生き死に」に憧れるわけでもないが、17歳が15歳にして太宰治の「人間失格」を読んで感銘を受けたという話に耳を傾けた時、早熟だと気になった。心中も自殺もエロスもレイプもありの小説から彼が何を得たのかとーー。(ネットの青空文庫で漱石や芥川や太宰の小説を読んでいるのらしい。「河童」はとてもいいから読んでと言っている。まだ読んでいなかった!)自殺=自分を殺すという手段は脳死の本によると残酷な様相を見せていた。

自殺は脳死の美しき幻想を生み出す空間からはかけ離れている。それだけの覚悟が必要ということなのだろう。しかし、昨今の日本では3万人以上が自殺を余儀なくされるシステムを生きているゆえに、ネットのニュースでも自殺や無理心中などがあふれているイメージを受ける。親が子をを殺し、あるいは夫や恋人(男)が妻や女を殺すという無理心中のニュースがこれでもかと毎日のように掲載されている風なのである。人は皆何れ死に至るとはいえ、こんな世相を見せつけられると、100歳まで生きようという気持ちになったりする。

と前置きはこのくらいで、83歳の母の話である。女神のような姉は信心深いゆえに、弱っている母を連れていわゆるユタの家や心霊関係の懇意にしている方の所を訪ねたのである。そして夜中から実家に戻って「まぶい込め」をしたというのである。ユタの方は母を一眼見るなり「魂がうちとーん」という事で、事態を直感したという。最近母の住む村のK班内で立て続けにお二人が亡くなった。幼い頃からよく知っているNおばさんは78歳だった。その家の庭ではセンダンの木によじ登ってたくさんの蝉を取ったものだった。ビー玉遊びや石けり、かくれんぼなど、また当時豊だったその家の野外のお風呂にも入れてもらったものだった。

もうお一人は父の従妹にあたるKおばさん!85歳だった!父の父はペルーへ移住し当地でなくなり、遺骨も沖縄に送られてきて、今では大阪の寺の墓地に眠っているが、Kおばさんのご両親も弟さんたちもペルーの地で亡くなったりまたそこで子孫に囲まれて生活している。幼い頃からKおばさんの子供たちは又従兄だったので、何かと親しく接してきた。母にしても父亡き後Kおばさんとは親しく支えあえる関係にあったはずである。6人の賢い子供たち(その一人はアマゾンで十年余も暮らしていた)に恵まれたKおばさんがなくなり、母は病院からリンゲルをうってもらって家に戻るやKおばさん死亡の知らせにぶるぶる震えて大変な状態に陥ったのである。その台所の入口の裏庭でユタのおばあさんは夜中からウガンをしたという事である。

「年も年だけど、その後とってもすっきりしてね。XXのおかげで命拾いしたのよ」と昨日電話で話した母は全く変わった声音だった。

魂(まぶい)込めは簡単である。塩や酒や水を備え線香をたいて祈る。本人の衣服を備えて「まぶいよまぶい戻っておいで」とユタや年配の「んーめー」が祈る姿を何度か見た。たいてい「まぶい込め」をすると翌日から元気になる。実際に魂がその場に落ちたままかというと科学でも分からない世界である。祈る思いが本人に通じるのかもしれない。つまり生きる気に活力を与える機能がそこにあるからこそ、人はまた生きる気力を回復する、と考えられる。私自身が「まぶい込め」をやってもらったことがあるか、どうか思い出せない、のでやったことはないのだろう。記憶以前の幼子時代にあったかどうか?

「サーダカ生まれ」ということばがある。つまり霊が取りつきやすい人ということである。本来ユタなどになって人を救う霊媒者になってもおかしくない方々の事である。神の声を聴ける人間たちだと言えよう。その「サーダカ生まれ」の筋を受け継いでいる母という事になる。人助けを余儀なくされる体質というものがあるようだ。そう言えば死んだ祖母「んーめー」も霊が見える女性だった。彼女はよく祈願していた。実人生では最初の夫に捨てられ、その夫は南米に他の女性と遁走したようだ。逃げた男との間に生まれた娘は横浜に住んでいたが、そこで亡くなり、その子孫が健在である。母が誕生したのは彼女がK家に再婚で嫁いでからのことである。母は40歳の時の子供だった!「んーめー」が93歳で亡くなるまで母はしっかり見届けていた。

死霊が生きたまぶい(魂)に取りつくという話なのだろう。実際にそれがありえるという事を母のケースは示している。何かと死んだ霊が頼ってくるというのがユタの話なのらしい。

昭和3年生で83歳の母!実家に戻って仏前で父の遺影に向かって言った。「もう少しお迎えを待って!後10年待って!100歳まで生きてもいいのよ。だからあの世からエールを送って!」と。

<写真は家の庭先のアリアケカズラ、ブーゲンビリアは年中咲いている?!>

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