志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

劇団うびらじの「てんさぐの花」(真喜志康忠作)、東 照子さん、知花小百合さん、比嘉雪乃さんの熱演、見せて泣かせました❣️(続き)

2023-05-15 23:01:14 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
演出の松門正秀さんの焦点が「一途な愛」だと言う事が、人のひたすらな思いの凄さ、切なさと共に迫ってきた。義理の世間ゆえに、真心を抑圧して生きざるを得なかった男女の諦観、それだけ、社会の仕組み、コンテキスト内で生きていく事の、葛藤が描かれた。
 マチャーをひたすら恋焦がれていた元ジュリのナビーとマチャーが終幕に抱き合う場面は、沖縄芝居ならではの希望である。
知花小百合の特別出演は、舞台に奥行を与えた。舞踊家としてだけではなく、俳優としての力量が熟練した演技として観客を魅了している。

東さんの細い身体がすっかりマチャーになっていたことにも驚いた。ある刹那のマチャーの葛藤、パトス、喜びの造形は、迫真そのもの!人間の苦しみの陰影は、ハットさせられる魂の震えそのものか!

演出家の松門さんが書かれた「時代人情劇「てんさぐの花」に寄せては読ませる。ご紹介したい。


康忠は容姿は観えず魂宿る (俳句)松門さん!

もう少し詳しく書きたい。

新しく買ったプリンターのスキャナが前のプリンターと比べて使いにくいので、スマホで撮ったデータをそのまま公開します。読みにくくて申し訳ないのですが~。

ナビ―が遊廓のジュリであったとはっきりアイデンティティーを示したのが、良かった。テキストレジで演出家が脚本の一部を削除したり、付け加えることは演出の独自性になる。原作では単にあばずれな女のような説明しかなかったナビ―を辻か仲島の美らジュリにしたのが今回の松門演出だ。

この間のイメージと違ってなぜマチャーはこんなに美人のナビ―を袖にするのだろか、という疑問がすんなり理解できた。彼女はジュリだったのだ。又吉優美はきれいな女優だ。なぜ彼女を嫌うのだろうか、という疑問は、つまり差別されていた遊廓の女ということも暗に示していた。ちょっと驚いた。又吉さんは、ジュリの習性でマチャーに向きあっていた。彼女の一途な思いは変わらなかった。その辺の近代の帳の、廃藩置県という時代の大きな変わり目を描いたこの作品は、「首里城明渡し」や「世替りや世替りや」と並ぶ、いわゆる琉球処分の時代を写し取っているのである。松門さんが、ナビ―のアイデンティティをはっきりしめした点は新しい展開である。

琉球王府時代、そして明治12年から1945年までの近代の66年間、琉球沖縄が階層社会だった事実は変わらない。廃藩置県後、いきなりいわゆる侍と威張っていた人々と百姓や商人が身分平等になったわけではないことが、如実にこの芝居では物語になっている。ナビ―は当時、最底辺の美らジュリだったことが分かる。マチャーもいわば百姓が街に出てきた暴れた風来坊のような身分だった。同じ百姓だったカミジャーは、幼少の亀寿が歌った「てんさぐの花」の歌に感動し、田舎にもどり、百姓としてのスクブン(天職)を全うし、結婚。妻や子供に恵まれた生涯を送ることになる。
 一方でマチャーは身分の違う殿内の士族女性の真鶴に愛を注ぐ。世間はまだ士族、平民の身分制度が生きていた時代だ。戸籍にもはっきり書かれていた。そうした中でのマチャーの真摯な思い、自己犠牲の愛の恋慕は、世間の義理ゆうえに露と消えざるを得なかった。真鶴もまた、深い感謝と恋慕の情を持ちながら泣き暮らしていた事実は、少なくともマチャーの思いと真鶴の思いは同じ夢を見ていたことになる。しかし、子供の存在と、世間や義理が二人の愛を許さなかった。その世間のしがらみや境界を超えることができなかった。
 松門さんは、亀寿が東京の大学を卒業して、みんなから迎えられて街を凱旋する場面を割愛した。ナビ―の居酒屋の前を通り過ぎる興奮した、今や一躍注目を浴びる神山家の人々がいて、その中にマチャーが愛して育んだ愛の対象、亀寿も真鶴もいた。しかし、マチャーははじかれ、居酒屋の前の椅子の上で飲んだくれて寝ていたのだ。その場面は実現してほしかった。
 まちゃーのみすぼらしい、はじかれた愛の枯葉のような姿と対比し、その後のナビ―との再会の場面がもっと活きたと思うゆえだ。猶更、世間の底辺に生きながらも、真摯に、一途に人を愛してきた二人の互いを認めあう尊い場面はもっと光るゆえだ。「無法松の一生」にはこの場面はない。無法松はこがらしが吹く中、枯葉のように枯れていくのである。彼の思いは霧散してしまう。しかし沖縄芝居は、志情(しなさき)を掬いあげる。そこが真喜志康忠の優しさ、あたたかさだろうか。
 又吉優実もまたカミジャーの松田勝江もうまくその役を演じのけた。亀寿の根神千代美も実際に男子かと思える演技だった。ごくろうさま!また見たいお芝居です。

東 照子さんになぜ男が主役のこの「てんさぐの花」を演じたいと思ったのですか、とお尋ねしたら、「一途な思いが、演じれば演じるほど、骨身に染みて感じたんです」とこたえが返ってきた。そしてナビ―役の優実さんとのツーショットを撮らせていただいた。この作品のテーマは愛、志情(しなさき)である。

地謡の歌・三線は重要な場面の曲想に聞きごたえがあり、笛の音色も感情を高めた。舞台初めの狂言も面白かったが、舞台の中での雑音やつぶやきが聞こえてきて耳障りだった。客席ととても近い舞台ゆえに、最善の注意を払ってほしい。また唄三線の音量が大きくて、肝心のセリフが聞き取りにくい場面があった。テーゲーの舞台ではないので、遊び心もいいが、会場と舞台の両方に気を配ってほしい。

真喜志康忠13回忌追悼公演として、また生誕100年記念としても意義のある舞台でした。来年7月か8月に国立劇場おきなわの大劇場で65年ぶりの「ときわざ」作品、真喜志作・演出・主演を上演(再現)すべく準備中です。ご期待ください。「てんさぐの花」に関してはすでに論考も書いています。あらためて「いい脚本だね」と真喜志きさ子さんが感想を話していました。また自分でも演出してみたいと~。


  ナビ―のマチャーへの思いは実った!

真喜志きさ子さん、知花小百合さん、 比嘉雪乃さん、子役の玉城 愛殊さん

 フィナーレ!

舞台が終了してから撮ったステージ。ハーメーのが居酒屋が主な舞台。
フアンの皆さんに笑顔で応答する東 照子さん!

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