
琉球新報で長きに渡って連載された優れた研究書だが、上・中・下と三巻ある。中から読み始めた。博士論文の再吟味中だが、参考になる。明治時代の東京大学の様子が興味深い。伊波が置かれた知的環境は凄いね。近代日本の知の頂点にいたのだ。西欧に追いつけの激しい波にのっていた中央の知的環境、台湾や中国、韓国を支配せんと超スピードで走っていた時代、小さな琉球王国の末裔の俊才伊波普猷が学んだ東京大学!と近代の渦!んんん、興味深い!
博論を書き進めていた時、東京大学の図書館にコンタクトをとった。メールで明治時代当時のカリキュラムや伊波が学んだ授業など知りたかったのだ。伊波の語学の学習がどの言語まで及んでいるか、知りたかった。ラテン語、ドイツ語、中国語、フランス語、ギリシャ語なども入っていたのかどうか、論文の中でどうしても知りたいことがあった。伊佐さんの本を紐解くと、当時のカリキュラムや授業を担当した教授陣、伊波の様々な研究グループとの付き合いなど、詳細を網羅している!
急いで上中下を読み終えたい。伊波が過ごした帝国東京大学の知性(智識)の学舎の教授陣は近代日本を代表する人物が揃っている。凄いね。そのような環境で伊波は琉球人(沖縄人)の矜持を擁きながら、己の足元を掘っていったのである。近代帝国国家日本の中の琉球・沖縄のアイデンティティーを明らかにせんと船を漕ぎ出したのである。帝国日本の奢りと野望・挑戦の中で小さな故郷をひたすら見据えていたのだね。伊佐さんの伊波批判の視点も注視しながら、その膨大で緻密な原資料を提示しながらのこれまた船出のような論稿は、いっしょに船旅に出ているように引きこまれる。新聞はしばらくほとんで読んでいないので、斬新に思える。このような本に沖縄タイムスは出版文化賞を授与しないのである。
競争する琉球新報の出版だからだろうか?どこが出版しているか否かに係わらず、優れた啓蒙的な書籍は評価すべきだと考えるのだが、新聞社のセクト主義は『タイムス芸術選賞』にも及んでいて、新報系の活躍をしている方々は絶対に奨励賞も大賞も受賞しがたい分野があるということにもなっている。新聞社のエゴーの醜いところだがー。しかしこのサブタイトルが「伊波普猷・帝大卒論への道」の書は面白く、学問を追及せんとする若い精神にも刺激的だと言えよう。
伊佐さんの尽力の賜物が新聞社の壁を越えて評価され、愛読されていくことを念じよう。中身はみなさん、是非読んでね。
明治時代の東京帝国大学と琉球・沖縄の関係性が伊波とその仲間の関係性、師弟の関係性の中から時代の推移と共に浮かび上がっていく。近代中央の波間に浮かびながら、知性・智識・視野を深め広めていった伊波がいた。伊波を批判すことは簡単だろうが、時代の色に染まざるをえない必然もあったこと、は多義性を抱え込まざるをえない実存の宿命もあったに違いない。それは現在でも同じだ。女も徴兵すべきだと、近未来の日本を想定した、政府よりの政策提言的博士論文を東大で書いた三浦瑠璃さん(現実志向・支配層の視点に寄与する論理の持ち主??)にも言えることではないだろうか?国家利潤、国家の宿命をテーマにする知性・智識の在り処があるようだ。伊波は沖縄を懐にその波をまた浴びていたのである。