
明治15年の興行取締り令から昭和4年の興行場及興行取締規則に至るまで常に興行は何らかの規制を受けてきていますね。娯楽の取締りは、集合的無意識・意識の想像(創造)空間は、危険な色(可能性の母胎)としてありえることを意味していますね。人間がある場所や空間に集う場から何かが立ち上がるのですね。
劇的空間は常にラディカルだと思う所以ですね。人が集まる場です。すべてが無化し常に無意識の共同性の中から拡散され融合された認識や感性が誕生していきます。
沖縄の場合、言語が絡んできます。沖縄芝居は沖縄語(琉球諸語の中でも首里那覇ことばが中心)で主に語られ、歌われるわけですから、それが爆発的人気を得るのは特にシナ事変の頃から取り締まる警察や軍部にとっては危険に見えたのですね。標準日本語以外の言語でコミユニケーションがなされれるわけですから、しかもそれがよくわからないとなると、未知数への恐怖がスパイ容疑へと過剰反応していったのですからねー。