
「月城物語」をGoogleさんで検索すると映画バージョンの紹介があった。この作品はこのブログの中で紹介されている「公文書館」で以前見たことがある。野外での撮影で【乙姫劇団】の看板役者のみなさんが美しい。
一方で映像にはない迫力が舞台の力である。「うない」の5周年記念公演で上演された「月城物語」を沖縄市民会館で見た。風雨の強い日だった。鮮やかな美しさが迫ってきた。そして音曲もまたーーー。この「美女と野獣」は、設定がわかりやすい。1000年に一度月城の姫を餌食にする、という蜘蛛の精の迫力がよかった。悪の象徴の蜘蛛である。餌食になるお姫様を助けるのが弁財天の女神だということに沖縄らしい興趣があった。
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以下は「島唄カフェー いーやーぐわー」に紹介されています。
蜘蛛の精『月城物語』

沖縄で一番最初のカラー映画をご存知でしょうか。一九五九年元旦に那覇劇場で封切られた、乙姫劇団総出演『月城物語』(大日方伝監督)という映画がそれです。乙姫劇団は一九四九年、戦後の混乱期の最中結成された、女性だけの芝居一座です。踊りと歌劇を得意とし、長らく人気を保ち続けていましたが、一昨年(二〇〇二年)ファンに惜しまれつつ解散しました。その乙姫劇団の創立十周年を記念して制作されたのが『月城物語』『山原街道』の二作です。監督は俳優業を捨ててブラジルへ移住した松竹の大スター大日方伝で、ウチナーグチが解らないため苦労したといいます。米軍統治下でウチナーグチによる映画が作られたことは、日本映画史からしても番外です。そのことだけでも貴重な作品と言えましょう。
『月城物語』は第三回演劇コンクールへの参加作品で、劇団員の兼城道子の作。ジャン・コクトー『美女と野獣』にヒントを得て、沖縄の風土と歴史の中に役柄を限定した幻想劇に脚色したものです。そして見事一位入賞を果たしています。物語は、女性だけの美しい“月城”には年に一度、恐ろしい蜘蛛の精に城の乙女を捧げなければならない定めがありました。月城には三人の娘があり、長女真犬金は城や母親や妹達を救うため自ら犠牲になることを決め、煩悶をします。それを憐れんだ弁才天の神様は、通りすがりの漁師に神通力を与え、格闘の末、蜘蛛の精を倒し、姫を救い出します。手留間の王子(漁師)となり、月城の婿として迎えられ、三人娘の三組婚礼祝宴にてエンディング。

間好子演じる、蜘蛛の精(クーバーヌシー)の神出鬼没の演技は舞台でも映画でも話題を呼び、“若き沖縄の団十郎”の名も生まれたほどだといいます。月城の母に伊舎堂正子、長女・真犬金に兼城道子、手留間の王子に大城光子、他に宮城総子、清村悦子、上間初子、内間清子ら乙姫劇団の人気役者の若き姿がここにあります。
映画『月城物語』は戦後沖縄芸能史に照らし合わせてとても貴重な作品と言えます。現在、沖縄県公文書館に収蔵されていますが、その存在さえほとんど知られておりません。それははやり提供側の怠慢だと言わねばなりません。
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音楽がいいですね。Liveの音楽(地謡)の方々の美声も演奏(作曲)もいいです。場当てやドレスリハを見て思ったのは、一昨年の舞台に比べて蜘蛛の精の中曽根さんの迫力が増しているということであり、祖慶しのぶ(真珍金)、佐和田香織(真志良金)、久米ひさ子(真犬金)の歌や踊りに卒がなく(3人は5周年記念の時の配役)、王子のお二人も凛々しい配役だった。平良芽美さん(石垣の王子)と赤嶺麻似子さん(徳の王子)である。幻想的な雰囲気の中で物語は明瞭である。蜘蛛の精が幸せな雰囲気を壊す。この蜘蛛の精をいろいろなメタフファーでとらえることは可能だと思う。歌舞伎のような所作、蜘蛛が蜘蛛の糸を投げるスペクタクルなど、見せる。悪の美のようなものがそこにあふれる。マクベスの悪のほろびにも似ているが、その蜘蛛の精に対抗するのが弁財天の神だということなど、善と悪の闘いの構図が明らかでわかりやすい。「うない」の場合、それが実に幻想的な舞踊劇のスタイルなので、集団の演劇がひきつける。歌と踊りでセンシュアルな美が感じられる。そこに殺陣もあり、その型にもわくわく感がある。

手留間の王子(平岡絵津子さん)は劇団「花園」のメンバーだが、助太刀ということでピンチヒッターでの登場である。以前やったことのあるお芝居だと誰かが話していた。
エルシアターのステージはやや小さい感じで横に広く奥行がない。それで動きは集約された感じで凝縮された美というところである。
映画と舞台と小説の比較をしてまとめてみよう。
創作の過程として小説、戯曲(脚本)、映画では異なる。映像や舞台は原作とまた異なる創造の世界(作品)である。当然のことだが、翻案もまた創作である。小説から劇作品、映像と変容する作品の比較検証はまた人間の感性の変容と受容の過程が見られるわけで、極めて興味深い。

(地謡:箏:具志幸大、胡弓:米増健太、笛:澤井毎里子、太鼓:嘉陽田朝裕、歌三線:瀬良垣幸男、西門悠雅、大城健太)
澤井毎里子さんは舞踊曲芭蕉の独唱を舞台冒頭で歌う。冒頭から涙誘うに違いない。歌声が素敵な江戸っ子である。
一方で映像にはない迫力が舞台の力である。「うない」の5周年記念公演で上演された「月城物語」を沖縄市民会館で見た。風雨の強い日だった。鮮やかな美しさが迫ってきた。そして音曲もまたーーー。この「美女と野獣」は、設定がわかりやすい。1000年に一度月城の姫を餌食にする、という蜘蛛の精の迫力がよかった。悪の象徴の蜘蛛である。餌食になるお姫様を助けるのが弁財天の女神だということに沖縄らしい興趣があった。
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以下は「島唄カフェー いーやーぐわー」に紹介されています。
蜘蛛の精『月城物語』

沖縄で一番最初のカラー映画をご存知でしょうか。一九五九年元旦に那覇劇場で封切られた、乙姫劇団総出演『月城物語』(大日方伝監督)という映画がそれです。乙姫劇団は一九四九年、戦後の混乱期の最中結成された、女性だけの芝居一座です。踊りと歌劇を得意とし、長らく人気を保ち続けていましたが、一昨年(二〇〇二年)ファンに惜しまれつつ解散しました。その乙姫劇団の創立十周年を記念して制作されたのが『月城物語』『山原街道』の二作です。監督は俳優業を捨ててブラジルへ移住した松竹の大スター大日方伝で、ウチナーグチが解らないため苦労したといいます。米軍統治下でウチナーグチによる映画が作られたことは、日本映画史からしても番外です。そのことだけでも貴重な作品と言えましょう。
『月城物語』は第三回演劇コンクールへの参加作品で、劇団員の兼城道子の作。ジャン・コクトー『美女と野獣』にヒントを得て、沖縄の風土と歴史の中に役柄を限定した幻想劇に脚色したものです。そして見事一位入賞を果たしています。物語は、女性だけの美しい“月城”には年に一度、恐ろしい蜘蛛の精に城の乙女を捧げなければならない定めがありました。月城には三人の娘があり、長女真犬金は城や母親や妹達を救うため自ら犠牲になることを決め、煩悶をします。それを憐れんだ弁才天の神様は、通りすがりの漁師に神通力を与え、格闘の末、蜘蛛の精を倒し、姫を救い出します。手留間の王子(漁師)となり、月城の婿として迎えられ、三人娘の三組婚礼祝宴にてエンディング。

間好子演じる、蜘蛛の精(クーバーヌシー)の神出鬼没の演技は舞台でも映画でも話題を呼び、“若き沖縄の団十郎”の名も生まれたほどだといいます。月城の母に伊舎堂正子、長女・真犬金に兼城道子、手留間の王子に大城光子、他に宮城総子、清村悦子、上間初子、内間清子ら乙姫劇団の人気役者の若き姿がここにあります。
映画『月城物語』は戦後沖縄芸能史に照らし合わせてとても貴重な作品と言えます。現在、沖縄県公文書館に収蔵されていますが、その存在さえほとんど知られておりません。それははやり提供側の怠慢だと言わねばなりません。
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音楽がいいですね。Liveの音楽(地謡)の方々の美声も演奏(作曲)もいいです。場当てやドレスリハを見て思ったのは、一昨年の舞台に比べて蜘蛛の精の中曽根さんの迫力が増しているということであり、祖慶しのぶ(真珍金)、佐和田香織(真志良金)、久米ひさ子(真犬金)の歌や踊りに卒がなく(3人は5周年記念の時の配役)、王子のお二人も凛々しい配役だった。平良芽美さん(石垣の王子)と赤嶺麻似子さん(徳の王子)である。幻想的な雰囲気の中で物語は明瞭である。蜘蛛の精が幸せな雰囲気を壊す。この蜘蛛の精をいろいろなメタフファーでとらえることは可能だと思う。歌舞伎のような所作、蜘蛛が蜘蛛の糸を投げるスペクタクルなど、見せる。悪の美のようなものがそこにあふれる。マクベスの悪のほろびにも似ているが、その蜘蛛の精に対抗するのが弁財天の神だということなど、善と悪の闘いの構図が明らかでわかりやすい。「うない」の場合、それが実に幻想的な舞踊劇のスタイルなので、集団の演劇がひきつける。歌と踊りでセンシュアルな美が感じられる。そこに殺陣もあり、その型にもわくわく感がある。

手留間の王子(平岡絵津子さん)は劇団「花園」のメンバーだが、助太刀ということでピンチヒッターでの登場である。以前やったことのあるお芝居だと誰かが話していた。
エルシアターのステージはやや小さい感じで横に広く奥行がない。それで動きは集約された感じで凝縮された美というところである。
映画と舞台と小説の比較をしてまとめてみよう。
創作の過程として小説、戯曲(脚本)、映画では異なる。映像や舞台は原作とまた異なる創造の世界(作品)である。当然のことだが、翻案もまた創作である。小説から劇作品、映像と変容する作品の比較検証はまた人間の感性の変容と受容の過程が見られるわけで、極めて興味深い。

(地謡:箏:具志幸大、胡弓:米増健太、笛:澤井毎里子、太鼓:嘉陽田朝裕、歌三線:瀬良垣幸男、西門悠雅、大城健太)
澤井毎里子さんは舞踊曲芭蕉の独唱を舞台冒頭で歌う。冒頭から涙誘うに違いない。歌声が素敵な江戸っ子である。