
久しぶりに名護まで空港からドライブした。「山吹」でしばしユンタク、美代さんを始めて美しいと感じた夕べである。詳細は後ほど!
春の京都を50日間ほど堪能し、故郷に飛んできた彼女が車椅子でやってきたことに驚いた。空港は煩雑だから、その配慮をお願いしたようだ。欧米ではそのようなサービスが行き届いているという。別に歩けないわけではなかった。2,3年前にオペをしたとメールで知った。それで体調が気になっていたのは事実だが、車椅子に乗った姿は想像していなかったゆえに驚いた。車まで空港の男性が介助して、名護へと出発した。久しぶりのおしゃべりが楽しかった。彼女の語学の才覚が並外れていることは、80年代の留学時代に知った。ドイツ語も凄い女性。翻訳の文書も凄いと唸った。お話をうかがっていると、教育学博士をKUで取得しているが、彼女はHonorを取得したとのことである。優秀賞を得たのだ。
表情が優しげである。以前の彼女ではなかった。弁護士でかつM州の法学教授として活躍していたおつれあいのアメリカ人の彼は優しい男性で平和部隊の隊員として活躍したこともあり、青年将校の時、沖縄で美代さんと結婚したのである。KUでたまたま美代さんのおいしい手料理をご馳走になったことがある。トピカまで遠出もしたことがあった。あれから何年になるのだろうか。美代さんの気難しい雰囲気の一途さは、アメリカ社会に適応し、生き延びるための生涯の学業であったことがわかった。
何より嬉しかったことは「奥の細道」を英語に完訳したことである。お連れ合いのFさんと一緒に実際に「奥の細道」を旅した訳も理解できた。それほど彼女は芭蕉の世界に浸透しかったのだ。たまにハワイからすでに翻訳された「奥の細道」の誤謬を指摘した電話がやってきた。その専門家の授業もハワイ大学で聴講しながら完訳に取り組んでいた事実を知らなかった。彼女の語学の才能を身近で感じていたゆえに、沖縄の作家の小説や批評の英語訳を勧めたことがあった。見事に断られた時、美代さんを少し嫌いになった。しかし彼女の人生の最後のステージに「奥の細道」を追求した精神を今は拍手したい。ケルトについて話すと、「私も興味あるわ」と彼女は応えてくれた。「ドイツ語とゲール語などは近いのよね」とのことだったが、じゃー次は何か一緒にできそうだと、嬉しくなったが、午後8時にはマンションの管理人とアポをとっていたゆえに長い『ユンタク』はできなかった。次は17日にでも、とハグして戻ってきた。
名護の「山吹」にて!