志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

多数派は常に間違っている。自分が多数派にまわったと知ったら、それは、必ず行いを改めるか、一息いれて反省する時だ。

2022-08-30 01:48:24 | 日々の記録・備忘録
          (相思樹)
これはかの有名なアメリカの小説家マーク・トウェインの言葉である。よく知られている言葉だが、たまにウェブサイトで見ると、「やはりいい」と思う。「トム・ソーヤの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」の作者は、子どもたちに人気があり、よく読まれていると思うのだが、少年たちの冒険物語の中に小説が書かれた南北戦争以前、1840年~1850年代が浮かび上がってくる。当時多数派の白人はすでにインディアンを殺戮し、黒人を奴隷にしていた。その物語を書いたマーク・トウェインは決して多数派に属していなかったゆえにこの物語が書けたのだ。小説家はアメリカ社会の理不尽さを世に訴えた。

今、この社会でだれが多数派だろうか。その多数派はマーク・トウェインによると間違っていることになる。多数派はコロナウイルスの存在さえ曖昧だが、あるものと想定されているもの(厚労省官僚の発言)の治癒のため、治験がまだ完了もしていないワクチンを何度も打っている(政府やメディアによって打たされている)大勢の人々(80%?)、ということになる。重症化を防ぐためのワクチンのはずが、打つことによって重症化するという悪循環を産み出している、この現実のカオスの実態としての多数派、と比喩できるだろうか。確か、この言葉を紹介して暗に現況を示唆するコメントをSNSで見かける。SNSでは「純朴の羊たち」と揶揄されている。

我先にとワクチン接種をしたのが、元中学の校長先生とか、医療、介護従事者や職域接種を半強制された会社員、そして若い大学生、児童生徒、ということになる。同調圧力の強さがあり、「メディアや政府が真実を広報しない」という恐ろしいシナリオの中で続いている。大多数の人間をワクチンで囲い込んでいる。「治験薬」を接種することが、どういう意味なのか、ことばの真意を突き詰めるわけでもなく、ただみんながやっているからやるさ、の流れに乗せられている大多数の人々がいる。それも比喩としてなりたつ。治験薬は人間を実験台にすることに他ならない。

常に多数派にならないよう自戒させるいい言葉だ。しかも優しい。「自分が多数派にまわったと知ったら、それは、必ず行いを改めるか、一息いれて反省する時だ」と付け加えている。

あらゆる側面でそれは物事の真意を読み取る時、示唆に富んでいる。社会の現象の裏に何が潜んでいるのか。みんながやるから安心ではないことが、今この社会で起こっている。

旧盆に救急車がやってきた時、すぐ聞かれたのは「ワクチンを打っていますか。何回打っていますか」だった。ワクチンが重症化を招いていることを自ずと指し示していた。(そのデータはかなり多くネット上で公開されている。調べてください。)

多数派に属しない少数派の輝きがある。どうも真実の滴はその中にありえる。マーク・トウェインは、現在のアメリカや世界の状況を眼にした時、やはり同じことばを発するのだろうか。
マーク・トウェインはアメリカによるフィリピン併合に反対したことでも知られている。アメリカ帝国主義の闇を見抜いていたのだ。多数派にならないためにはかなり強い意志と勇気が伴う。


★以下のサイトは日本医師会です。上の本と真逆です。どちらが信頼できますか?

ワクチンの解毒作用もネットでいろいろと紹介されています。ぜひ調べてください。身近でもワクチンを2回打って二回、救急車で運ばれたり、癌が悪くなり、末期症状で苦しんでいる女性もいます。

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