沖縄芝居にそぐわない舞台がある。背景幕がうまく活かせない舞台。全く花道がない舞台など。安易な琉球歌劇保存会の伝承者公演!どたばたなスタッフの対応が客席まで聞こえてくる。背景幕が一枚のみかけられる舞台装備なので、異なる場面(背景幕)を取り替えるのに時間がかかる。少なくとも保存会は、伝統芸をしっかり、きちんと継承し、観客に披露する責務がある。しかし、おざなりなアラが目についた公演だった。琉球歌劇保存会の「保存会」としての誇りはどの辺りにあるのだろうか。いい歌劇作品はいい舞台で花開く。最も戦後は露天劇場から現存する首里劇場(今はなき那覇劇場など)、公民館、市民会館とどんな舞台でも演じられてきた沖縄芝居の歴史がある。
時代の波によって大衆芸能はどのように演じられてきたのだろうか。戦前からの劇場の変遷、そして上演史の記録を県はしっかり保存しているだろうか。現在、琉球歌劇の舞台として最も優れているのは国立劇場おきなわだろうか。歌舞伎が上演できる花道がある。歌舞伎が上演できる花道と戦前から沖縄芝居にとって有用な花道との差異はいかほどだろうか。旧那覇市民会館や沖縄市民会館の大ホールは独特な花道で沖縄芝居の琉球史劇や歌劇の上演形態としては馴染みがある。パレット市民劇場でも花道がある。琉球新報ホールには残念ながら花道がない。故に沖縄芝居の舞台としては適していない。
今回、舞台に立った役者は不手際の舞台で歌いきった。7人のキャストはそれぞれ、大舞台で演じてきた伝承者と新しい保持者の顔ぶれ。主役の阿嘉の樽金・上原崇弘は、普段から「沖縄芝居研究会」で歌劇の舞台を『パレット劇場」「国立劇場おきなわ」「沖縄市あしびなー」「新報ホール」「ガラマン劇場」「具志川市民劇場」などで演じてきている舞踊家で組踊伝承者だ。また伊佐の思鶴・知念亜希も同じく、「沖縄芝居研究会」のメンバーとして上原さん同様歌劇作品の舞台で主人公として歌いきってきた舞踊家、伝承者である。国立劇場おきなわの沖縄芝居(琉球歌劇)でもヒロインを演じてきた芸達者だ。
この沖縄版オペラ「ロミオ&ジュリエット」の作品で実際に歌唱が多いのはこの樽金と思鶴、そして乳母(安次嶺利美)である。その次に歌唱で重要なのは船頭(伊藝武士)である。阿嘉の父と伊佐の父は存在感が必要な役回り。恋の讃歌と葛藤【思慕の念の深さ/孤独感、規範/親との葛藤】ゆえの思鶴の死。思鶴が永眠する亀甲墓まで息せき切って走る樽金は、墓の前で愛する女性が残した文を手に死に絶える。今回興味深いと思ったのは終幕の主人公二人の父親の登場である。愛する息子と娘の死を前に手を合わせる二親の姿。自由恋愛が許されなかった社会規範の中で、若い恋人たちは命がけの愛を貫いた。近代沖縄の幕開けを告げる悲劇である。
もう一点興趣があると思ったのは地方の舞台での登場である。地謡が顔を見せるライブ感覚は昨今よく見られるが、ただ少し突出した雰囲気は気になった。感情の高揚するクライマックスの述懐節など聴き応えがあった。主人公の面々との演技と歌とのすり合わせはかなり緊密な呼吸が必要で、舞台で鍛えられていくに違いない。いい琉球歌劇の舞台は優れた地謡によって成り立つ。
今回の公演は『コロナ禍における沖縄版オペラ「琉球歌」上演方法の模索』ー歌劇最大の課題!飛沫感染予防を徹底した検証公演、と銘打っている。コロナ禍特別支援公演でもある。「続くコロナの時代に琉球歌劇の未来を考える」ともチラシには書かれている。コロナ禍ゆえの舞台にどんな変化があっただろうか?出演者は皆マウスシールドを付けた演技だった。それと普段のような接触の場面が抑制されていた。歌の魅力が中心になるので、それほど個々の役者の距離感に違和感は起らなかった。マウスシールドも透明なので、顔の表情は読み取れた。座席は普段250席のところ、100席限定である。100人に満たなかったようだ~。まだまだ感染を怖れている人々は多いに違いない。普段、歌劇は年配の観客層が多いが今回、その姿はほとんどなかった。
【余談だが、12月16日は名優真喜志康忠の命日である。真喜志きさ子さんと曙町の位牌の前で手を合わせご長男の康信さんご夫婦と1時間ほどユンタクした。こぼれ話が良かった。その後日本蕎麦で昼食してテンブス館に向かった。そこでご一緒したのは建築家の真喜志好一さんと「ゆかるひ」のオーナの屋嘉道子さん。観劇の後、スターバックスでコーヒーを飲んだ。屋嘉さんは初めて歌劇をライブでご覧になったとの事で感動しておられた。それは良かった。真喜志好一さんの泊の塩田の話はとても興味深かった。】
保存会会長吉田妙子による第4次保持者認定者の紹介が冒頭にあったが、令和ニ年度の9人の認定者の内、顔を見せたのは3人(安次嶺利美、高宮城実人、そして小嶺和佳子)のみである。保持者認定された方々の保存会への敬意の念は薄い、ということを意味するのだろうか。「琉球歌劇保持者」であることは、芸のステイタスであり、保存会へのコミットメントは「てーげー」でいいスタンスだろうか。保存会全体としていい舞台を観客に見せるのだ、というパッションが弱いと、伝承者公演を見ていつも感じる。県からの助成金も多くはないが、お金だけの問題だろうか。力強い伝統芸能の粋を見せるのだという心構えが弱い。それは事務局のプロデュースや舞台の美に対するセンスの弱さを如実に示している。いい舞台は少なくとも劇場(舞台)の構造も踏まえるべきである。その基本的な判断が弱い。
沖縄県の文化助成は、組踊などには手堅いように見えるが、例えば劇場利用料金を保存会に関してすべて県が保証するくらいの構えでサポートしないかぎり、残念ながら歌劇保存会の舞台はいいものが提供できない事実がある。ゲネにどれだけ時間を掛けたかも今回怪しい。冒頭の会長挨拶の場面でスポットも入らなかっった。黒幕の前で顔が暗く、少し経って会長の上部に電気がついた。やれやれ。
これが沖縄県指定無形文化財の真摯な舞台と言えるはずがない。なーなー、てーげー、予算切り詰め、どこに160万円余の予算が振り分けられるのだろうか?いい舞台を実施(完成)できない責任は大きい。砂糖の山に群がる蟻ではないと思いたい。すべて予算?の問題?普段、保存会の伝承者公演は無料で県民に提供されてきたが、昨今は安い料金を徴収している。1000円にしろ、その料金に見合う舞台を見せないと保存会の看板が泣く。幸い役者の技芸は悪くなかった。劇場や装置の問題、スタッフのコミットメントの問題など、それは事務局の問題か。いい舞台にするための舞台監督の責務は大きい。一枚しか背景幕が掛けられない舞台でどうして複数幕が必要な舞台をスムーズに演出できるだろうか。できなかった!音響、ライト、そのほかのスタッフの協力体制の弱さが明らかだった。存分に本番に備えることが、去年の30周年記念公演でもできなかった。ゲネを無視したやり方は、事務局や役員の舞台認識の甘さでもあったが、予算の問題や、劇場使用料金の高さもあった。いい舞台を作り上げるために必要な予算は大きい。県は、県指定の保存会の記念公演に関して、心安く支援する体制を持つべきだと切に思う。
ところで、歌劇保存会30周年記念誌もこの伝承者公演といっしょに刊行される予定だったが、それも遅れた。12月25日完成とのことだ。冊子は2500円で販売とのことである。こちらが手元に持っていた資料(原稿)を事務局に手渡したのが10月だった。冊子の第一稿を見て驚いたのは、こちらが手渡した原稿を並べたような中身で、知事の挨拶、一部役員の保持者の原稿と、沖縄タイムス、琉球新報の芸能担当記者の寄せ書き、それと座談会が入っていたのが新しさだった。初代の保持者4人を顕彰するための文章も欠けていて、驚いて少し手助けをしたのだが、編集体制がどうなっているのか、気になった。教育長の文面などは担当者の初期の文章にいくつか指摘して文面を直してもらったりしていたが、今回どれほどの編集の手が入っているのか~。60ページ余の記念誌の中身の深さが歴史的に重宝されることを今は念じたい。
小さな花道のあるパレット市民劇場はまだ沖縄芝居の上演にはいい!事務局が習得すべきことは多い。
この文面の安易さは、例えばノーベル文学賞受賞者の川端康成を登場させるバックグラウンドをしっかり説明できないところなどに露見されている。『伊豆の踊子』を書いた川端は女性だけの「乙姫劇団」の歌劇の舞台に感銘を受けたのだ。一緒に乙姫の面々と撮った写真が残されている。さて戦後琉球歌劇と言えば『乙姫劇団」とも言われていた。しかし、元乙姫劇団員だった方々は今回の保持者認定から外されている。30代の保持者より経験が長い方々が弾かれている。「劇団うない」の中曽根団長はうないの団員を保持者候補に推薦しても良かった。現在この沖縄で一座だけで舞台公演ができるのは「劇団うない」だけである。他の劇団は皆プロデュース公演である。よって舞踊家で組踊伝承者のAさんは、歌劇保存会、B劇団、C劇団、D劇団に出演する。歌劇保存会の質やレベルが問われている。さらに単に歌劇だけではなく、琉球史劇や狂言、現代沖縄芝居も含めたトータルな沖縄芝居保存会が近い将来必要になるだろう。それと組踊と異なる大切な点は背景幕である。背景幕で場面が構成されている。その技能保持者の継承も危うい状況だ。
国立劇場おきなわのサイトで「沖縄芝居」の紹介文は誤解を与えている。沖縄芝居には主に琉球歌劇と琉球史劇や時代劇がある。単に方言せりふ劇と歌劇だけがジャンルではない。狂言も喜劇もある。主に首里・那覇言葉からなる芝居口調で上演される。歌劇の歌唱はもちろん8886、サンパチロクである。地域言語、例えば糸満くとぅば、小禄くとぅば、北谷くとぅば、本部くとぅばというように、それぞれの地域語が狂言や軽喜劇の中に取り上げられたりしている。国立劇場おきなわの組踊についての紹介文は言語に関してまったく言及がない。←沖縄の文化拠点がこれではどうも.....!もっと世界的視野を持った理事たちが必要ですね。
資料:備忘録
時代の波によって大衆芸能はどのように演じられてきたのだろうか。戦前からの劇場の変遷、そして上演史の記録を県はしっかり保存しているだろうか。現在、琉球歌劇の舞台として最も優れているのは国立劇場おきなわだろうか。歌舞伎が上演できる花道がある。歌舞伎が上演できる花道と戦前から沖縄芝居にとって有用な花道との差異はいかほどだろうか。旧那覇市民会館や沖縄市民会館の大ホールは独特な花道で沖縄芝居の琉球史劇や歌劇の上演形態としては馴染みがある。パレット市民劇場でも花道がある。琉球新報ホールには残念ながら花道がない。故に沖縄芝居の舞台としては適していない。
今回、舞台に立った役者は不手際の舞台で歌いきった。7人のキャストはそれぞれ、大舞台で演じてきた伝承者と新しい保持者の顔ぶれ。主役の阿嘉の樽金・上原崇弘は、普段から「沖縄芝居研究会」で歌劇の舞台を『パレット劇場」「国立劇場おきなわ」「沖縄市あしびなー」「新報ホール」「ガラマン劇場」「具志川市民劇場」などで演じてきている舞踊家で組踊伝承者だ。また伊佐の思鶴・知念亜希も同じく、「沖縄芝居研究会」のメンバーとして上原さん同様歌劇作品の舞台で主人公として歌いきってきた舞踊家、伝承者である。国立劇場おきなわの沖縄芝居(琉球歌劇)でもヒロインを演じてきた芸達者だ。
この沖縄版オペラ「ロミオ&ジュリエット」の作品で実際に歌唱が多いのはこの樽金と思鶴、そして乳母(安次嶺利美)である。その次に歌唱で重要なのは船頭(伊藝武士)である。阿嘉の父と伊佐の父は存在感が必要な役回り。恋の讃歌と葛藤【思慕の念の深さ/孤独感、規範/親との葛藤】ゆえの思鶴の死。思鶴が永眠する亀甲墓まで息せき切って走る樽金は、墓の前で愛する女性が残した文を手に死に絶える。今回興味深いと思ったのは終幕の主人公二人の父親の登場である。愛する息子と娘の死を前に手を合わせる二親の姿。自由恋愛が許されなかった社会規範の中で、若い恋人たちは命がけの愛を貫いた。近代沖縄の幕開けを告げる悲劇である。
もう一点興趣があると思ったのは地方の舞台での登場である。地謡が顔を見せるライブ感覚は昨今よく見られるが、ただ少し突出した雰囲気は気になった。感情の高揚するクライマックスの述懐節など聴き応えがあった。主人公の面々との演技と歌とのすり合わせはかなり緊密な呼吸が必要で、舞台で鍛えられていくに違いない。いい琉球歌劇の舞台は優れた地謡によって成り立つ。
今回の公演は『コロナ禍における沖縄版オペラ「琉球歌」上演方法の模索』ー歌劇最大の課題!飛沫感染予防を徹底した検証公演、と銘打っている。コロナ禍特別支援公演でもある。「続くコロナの時代に琉球歌劇の未来を考える」ともチラシには書かれている。コロナ禍ゆえの舞台にどんな変化があっただろうか?出演者は皆マウスシールドを付けた演技だった。それと普段のような接触の場面が抑制されていた。歌の魅力が中心になるので、それほど個々の役者の距離感に違和感は起らなかった。マウスシールドも透明なので、顔の表情は読み取れた。座席は普段250席のところ、100席限定である。100人に満たなかったようだ~。まだまだ感染を怖れている人々は多いに違いない。普段、歌劇は年配の観客層が多いが今回、その姿はほとんどなかった。
【余談だが、12月16日は名優真喜志康忠の命日である。真喜志きさ子さんと曙町の位牌の前で手を合わせご長男の康信さんご夫婦と1時間ほどユンタクした。こぼれ話が良かった。その後日本蕎麦で昼食してテンブス館に向かった。そこでご一緒したのは建築家の真喜志好一さんと「ゆかるひ」のオーナの屋嘉道子さん。観劇の後、スターバックスでコーヒーを飲んだ。屋嘉さんは初めて歌劇をライブでご覧になったとの事で感動しておられた。それは良かった。真喜志好一さんの泊の塩田の話はとても興味深かった。】
保存会会長吉田妙子による第4次保持者認定者の紹介が冒頭にあったが、令和ニ年度の9人の認定者の内、顔を見せたのは3人(安次嶺利美、高宮城実人、そして小嶺和佳子)のみである。保持者認定された方々の保存会への敬意の念は薄い、ということを意味するのだろうか。「琉球歌劇保持者」であることは、芸のステイタスであり、保存会へのコミットメントは「てーげー」でいいスタンスだろうか。保存会全体としていい舞台を観客に見せるのだ、というパッションが弱いと、伝承者公演を見ていつも感じる。県からの助成金も多くはないが、お金だけの問題だろうか。力強い伝統芸能の粋を見せるのだという心構えが弱い。それは事務局のプロデュースや舞台の美に対するセンスの弱さを如実に示している。いい舞台は少なくとも劇場(舞台)の構造も踏まえるべきである。その基本的な判断が弱い。
沖縄県の文化助成は、組踊などには手堅いように見えるが、例えば劇場利用料金を保存会に関してすべて県が保証するくらいの構えでサポートしないかぎり、残念ながら歌劇保存会の舞台はいいものが提供できない事実がある。ゲネにどれだけ時間を掛けたかも今回怪しい。冒頭の会長挨拶の場面でスポットも入らなかっった。黒幕の前で顔が暗く、少し経って会長の上部に電気がついた。やれやれ。
これが沖縄県指定無形文化財の真摯な舞台と言えるはずがない。なーなー、てーげー、予算切り詰め、どこに160万円余の予算が振り分けられるのだろうか?いい舞台を実施(完成)できない責任は大きい。砂糖の山に群がる蟻ではないと思いたい。すべて予算?の問題?普段、保存会の伝承者公演は無料で県民に提供されてきたが、昨今は安い料金を徴収している。1000円にしろ、その料金に見合う舞台を見せないと保存会の看板が泣く。幸い役者の技芸は悪くなかった。劇場や装置の問題、スタッフのコミットメントの問題など、それは事務局の問題か。いい舞台にするための舞台監督の責務は大きい。一枚しか背景幕が掛けられない舞台でどうして複数幕が必要な舞台をスムーズに演出できるだろうか。できなかった!音響、ライト、そのほかのスタッフの協力体制の弱さが明らかだった。存分に本番に備えることが、去年の30周年記念公演でもできなかった。ゲネを無視したやり方は、事務局や役員の舞台認識の甘さでもあったが、予算の問題や、劇場使用料金の高さもあった。いい舞台を作り上げるために必要な予算は大きい。県は、県指定の保存会の記念公演に関して、心安く支援する体制を持つべきだと切に思う。
ところで、歌劇保存会30周年記念誌もこの伝承者公演といっしょに刊行される予定だったが、それも遅れた。12月25日完成とのことだ。冊子は2500円で販売とのことである。こちらが手元に持っていた資料(原稿)を事務局に手渡したのが10月だった。冊子の第一稿を見て驚いたのは、こちらが手渡した原稿を並べたような中身で、知事の挨拶、一部役員の保持者の原稿と、沖縄タイムス、琉球新報の芸能担当記者の寄せ書き、それと座談会が入っていたのが新しさだった。初代の保持者4人を顕彰するための文章も欠けていて、驚いて少し手助けをしたのだが、編集体制がどうなっているのか、気になった。教育長の文面などは担当者の初期の文章にいくつか指摘して文面を直してもらったりしていたが、今回どれほどの編集の手が入っているのか~。60ページ余の記念誌の中身の深さが歴史的に重宝されることを今は念じたい。
小さな花道のあるパレット市民劇場はまだ沖縄芝居の上演にはいい!事務局が習得すべきことは多い。
この文面の安易さは、例えばノーベル文学賞受賞者の川端康成を登場させるバックグラウンドをしっかり説明できないところなどに露見されている。『伊豆の踊子』を書いた川端は女性だけの「乙姫劇団」の歌劇の舞台に感銘を受けたのだ。一緒に乙姫の面々と撮った写真が残されている。さて戦後琉球歌劇と言えば『乙姫劇団」とも言われていた。しかし、元乙姫劇団員だった方々は今回の保持者認定から外されている。30代の保持者より経験が長い方々が弾かれている。「劇団うない」の中曽根団長はうないの団員を保持者候補に推薦しても良かった。現在この沖縄で一座だけで舞台公演ができるのは「劇団うない」だけである。他の劇団は皆プロデュース公演である。よって舞踊家で組踊伝承者のAさんは、歌劇保存会、B劇団、C劇団、D劇団に出演する。歌劇保存会の質やレベルが問われている。さらに単に歌劇だけではなく、琉球史劇や狂言、現代沖縄芝居も含めたトータルな沖縄芝居保存会が近い将来必要になるだろう。それと組踊と異なる大切な点は背景幕である。背景幕で場面が構成されている。その技能保持者の継承も危うい状況だ。
国立劇場おきなわのサイトで「沖縄芝居」の紹介文は誤解を与えている。沖縄芝居には主に琉球歌劇と琉球史劇や時代劇がある。単に方言せりふ劇と歌劇だけがジャンルではない。狂言も喜劇もある。主に首里・那覇言葉からなる芝居口調で上演される。歌劇の歌唱はもちろん8886、サンパチロクである。地域言語、例えば糸満くとぅば、小禄くとぅば、北谷くとぅば、本部くとぅばというように、それぞれの地域語が狂言や軽喜劇の中に取り上げられたりしている。国立劇場おきなわの組踊についての紹介文は言語に関してまったく言及がない。←沖縄の文化拠点がこれではどうも.....!もっと世界的視野を持った理事たちが必要ですね。
資料:備忘録
今回保持者に認定された当銘由亮さん、金城信次さん、小嶺わかこさん、安次嶺利美さんなんかはたいして芝居も上手くないのに、よく推薦されましたね~(^,^;)不思議で仕方ありません。
この人たちよりももっと素晴らしい先輩方は沢山居るんですよ~
歌劇保存会に所属してなかった役者の方も保持者になってますよ。
ならばもっと素晴らしい方を推薦すべきではないでしょうか!
しかも今回島袋ゆかりさんは保持者に認定されてないのはなぜですか?今回保持者になった人たちよりも実績も技量もありますよ!
また彼女は昔から大御所の方々と相手役もされてるし、共演もされてます。
何を基準に選ぶのですか?
しかも島袋ゆかりさんの舞踊の御弟子さんでもある伊良波さゆきさんが保持者ですか?笑い者ですよ。恩知らずの無礼者!
伊良波冴子さんが元気な時は協力をせずに、他の方々を器用するなどずる賢い小娘ですね。
冴子さんも立てなくなり金城さん夫婦は更に天狗になってゆきますね。
言い過ぎかもしれませんが
夫婦揃って冴子さんの悪口や、先輩方を影であざ笑うよう事もよく耳にします。
沖縄方言で言えば、ちらたーちゃー!!
ご年配の保持者の方々も笑われてるんじゃないですか
今後が心配ですね
師匠や他に素晴らしい先輩方は沢山居られるのに、よく保持者になれましたね!
あなた方はビデオを見て覚えただけですよね?次の世代に何を教えるんですか?ビデオのダビングの仕方?(^,^;)
まだ保持者になってない先輩方は沢山居らり、直々に指導を受け作品にも多く出演されてきました。
見たこともない出たこともない作品がまだまだある新保持者が次の伝承者の見本になりますか?
伝承者の方が素晴らしい役者が沢山居ますよ。
礼儀を知ってる後輩なら保持者を断り先輩方を推薦するはずです!
あなた方は此れからは恥を知りなさい。
島袋ゆかりさんの実力はその通りだと思います。伊良波さゆきさんの踊りの師匠でもあるのですね。
今回の第4次認定に関してはすでに問題を指摘しました。
どなたが候補になり、どなたが選考したのか、追求(究明)する事は伝承者の立場として当然です。
連名で歌劇保存会事務局と役員、また教育長や知事にも陳情書(請願書など)を出されたら良いですね。県議会にも出せるはずですよ。
お笑い草、辞退についてのご指摘もなるほどです。確かに30代のご夫婦は辞退されませんでしたね。まぁ、役員の皆様は将来の希望の星として推薦されたのでしょうけれど、そのご高齢の役員の方々を裏で嘲笑っているとのご指摘は、胸が痛みます。
沖縄芸能、沖縄芝居、どこへ向かっているのでしょう。
仲田幸子さんは歌劇保存会でしたっけ?
堀文子さんも歌劇保存会でしたっけ?
中曽根律子さんも歌劇保存会でしたっけ?
泉賀寿子さんも歌劇保存会でしたっけ?
一度も歌劇保存会で出演してるの観たことがありません。
昔から歌劇保存会に入ってたんですか?
伝承者踏んでの保持者ではないのですか?
となれば何方からかの推薦ですか?
であれば!玉城政子さん、伊礼悦子さん、仲田和子さん、兼城米子さん、東照子さん、嘉陽田早苗さん、川上勝代さん、島袋ゆかりさん、真喜志きさ子さん、新垣勝夫さん、上間基さん、糸数清さんなども推薦しても良かったのでは??キャリアも実績も実力も抜群にある方々がまだ他にも沢山いるのでこの方々から推薦すべきではないですか!いきなりぺーぺー(新米)で今からが先輩方々から沢山指導を受けないといけないメンバーが新保持者ですか!!おかしい!
大先輩を通り越して保持者を素直に受け入れた事にビックリです。
3期の保持者までですね納得いく保持者認定は!
申し訳ないんですが、
4期からの保持者は価値がありませんね残念ながら。
5期の推薦があっても実力のある役者の方々は他を立ち上げた方がよさそうです。
5期保持者になったところでもう恥じです。ぺーぺーの4期より下ですよ!可哀想ですね
4期さん頑張って下さい。
しなさきさんもっと発信して行きましょう!!今後のウチナー芝居の為に。
他の会を立ち上げて本物の役者を応援して行きましょう!!!
保持者の候補は現保存会の保持者の皆さんの推薦に基づいているかと思います。保持者の方々が推薦しない限り、どんなに実力のある方々でも候補にならない仕組です。
そして役員の皆さんの意向も大きいかと思います。
現在の保存会の状況は様々な問題を持っています。
将来的に沖縄芝居保存会を設立し、もっと
史劇や時代劇、歌劇、狂言、新作、舞台美術、小道具制作、もちろん地謡も含めた組織強化が必要になるかと思います。
現在、舞踊家・組踊伝承者がモテモテで沖縄芝居の史劇や歌劇を演じていますね。
組踊が注目されている21世紀の潮流もあります。沖縄芝居の復興、発展のためにこの間持続的に演じ続けてきた役者の皆さんのこの間の営為が活かされる枠組が作られるべきですね。
俳優協会、各劇団(一座)の代表者、歌劇保存会も含めじっくり話し合う機会が必要になるかと思います。