まだ50 歳になったかならないか? 私の若いお友達が、とうとう亡くなってしまいました。
倫子さんは、私が12 年も通っていた 歌のレッスンのピアニストです。
日中は東京でお勤めをして、夕方 さいたま新都心の歌の教室に伴奏者として来て下さいました。
お稽古までの30 分位を、喫茶店でおしゃべりをするのが、自然にできたお約束。
結婚前、ご結婚、ご出産、そしてお子さんを浅草の浅草寺近くの保育園に、送り迎え。
その時期に、ペリカンの食パンを数個買ってきて、喫茶店仲間にくださいました。
後日、私と歌のお仲間とで東博に行く前に、ペリカンの食パンをたくさん買いました。
上野公園でお味見をしていたら、そこにスズメがたくさんやってきて、鳥にもいっぱいあげました。
ペリカンの食パンは、田舎者の私は5時起きで買いに行くパンでした。
一年くらい前に、娘が帰省の途中で浅草の同級生とパン旅をしてから、帰ってきました。
ママが大好きな、行列のできる食パン屋さん。
そう言うと、ペリカンのパンだ! とガッテンして、もう昼だから、取次店の乾物屋さんに走りました。
久しぶりにペリカンの食パンを食べて、倫子さんにメールしても、応答はありませんでした。
倫子さんが東大病院に入院手術をされた時期には、三度位お見舞いに行きました。
私は小学4 年生の時に、東大病院の眼科に来ています。懐かしさもあって、思い切って行く事が出来ました。
倫子さんは病院の目の前の社宅に住んでいた事があって、東大病院は遊び場だったそうです。
メールで、お帽子が必要と分かって、すぐに帽子を選んで送りました。
その小包を、とても喜んでくださったのが、良い思い出です。
まだ小学4 年生の娘さんを残して、どんなにか お苦しい思いだったでしょう。
私も少し落ち着かないと、お悔やみに行く勇気も有りません。
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