おー!ワンダフル

ヨッシーも涙こぼれたよ

おしん

2020年02月07日 11時42分55秒 | 日記

おしんと言えば、雪の川を筏で下る子どものおしんしか知らなかった。

わたしも赤ん坊を産んだばかり( あるいはお嫁に行ったばかり)で、テレビを見る暇がなかった時期の放送。

昨年の秋頃からからだったか、早朝の放送を録画して欠かさずに見ています。

今日は昭和31 年3月、おしんのスーパーマーケットの開店の日でした。

まだ私が生まれる前の話です。

立派なタコですね〜。 美味しそう!


倫子さんの訃報

2020年02月07日 09時19分43秒 | 日記

まだ50 歳になったかならないか? 私の若いお友達が、とうとう亡くなってしまいました。

倫子さんは、私が12 年も通っていた 歌のレッスンのピアニストです。

日中は東京でお勤めをして、夕方 さいたま新都心の歌の教室に伴奏者として来て下さいました。

お稽古までの30 分位を、喫茶店でおしゃべりをするのが、自然にできたお約束。

結婚前、ご結婚、ご出産、そしてお子さんを浅草の浅草寺近くの保育園に、送り迎え。

その時期に、ペリカンの食パンを数個買ってきて、喫茶店仲間にくださいました。

後日、私と歌のお仲間とで東博に行く前に、ペリカンの食パンをたくさん買いました。

上野公園でお味見をしていたら、そこにスズメがたくさんやってきて、鳥にもいっぱいあげました。

ペリカンの食パンは、田舎者の私は5時起きで買いに行くパンでした。

一年くらい前に、娘が帰省の途中で浅草の同級生とパン旅をしてから、帰ってきました。

ママが大好きな、行列のできる食パン屋さん。

そう言うと、ペリカンのパンだ! とガッテンして、もう昼だから、取次店の乾物屋さんに走りました。

久しぶりにペリカンの食パンを食べて、倫子さんにメールしても、応答はありませんでした。

倫子さんが東大病院に入院手術をされた時期には、三度位お見舞いに行きました。

私は小学4 年生の時に、東大病院の眼科に来ています。懐かしさもあって、思い切って行く事が出来ました。

倫子さんは病院の目の前の社宅に住んでいた事があって、東大病院は遊び場だったそうです。

メールで、お帽子が必要と分かって、すぐに帽子を選んで送りました。

その小包を、とても喜んでくださったのが、良い思い出です。

まだ小学4 年生の娘さんを残して、どんなにか お苦しい思いだったでしょう。

私も少し落ち着かないと、お悔やみに行く勇気も有りません。