昨日の新聞の読書の欄に〈太宰治〉の小説〈津軽〉のことが載っていました。
平田オリザさんが書いていらっしゃるエッセイ〈百古典名山〉で
取り上げていました。
エッセイは
「かつて太宰治は〈青春のはしか〉と呼ばれ、思春期の文学少年少女たちは、みなこぞって
(太宰は自分だ)と感じて傾倒した」
という言葉で始まっていましたが
まさしく私もその一人でした。
何度も何度も〈人間失格〉を読んで、この作者はどうしてこんなに私のことを知っているんだろう
などと思ったりしていました。
高校1年の時の面談でその時の担任だった橋本先生に
「太宰治が好きなんですか、私なんか本棚に並んでいるだけでもイヤですけどね。」
などと言われても
心の中で(先生になんか私の気持ちは分からない)と思っていてそんなことを言われても平気でした。
今になってみたら、もうあの本は読めませんけどね。
まぁ、そんな風に始まったエッセイですが
結局は、太宰の作品のすばらしさについて書いてあります。
「太宰が30代に入り結婚して落ち着いた辺りから
秀作を次々発表するようになった。
〈女性徒〉〈新樹の言葉〉〈駆け込み訴え〉〈走れメロス〉
いずれも小説のたくらみに満ち、それでいてみずみずしさを失わない傑作たちだ。
なかでも本作は、太宰の根底にあるやさしさとユーモアを余すところなく発揮している。」(新聞からの抜き書きです)
青春のはしか的な小説も好きでしたが
私は太宰治の文章にとても魅せられていました。
この言葉とこの言葉の間には、この言葉が入るしかない、みたいなぴったりと嵌まるパズルのような
きちんと計算されていたのかそれとも才能なのかはわかりませんが
そんな文章に恍惚としながら読んでいました。
今はもうたぶん読めない太宰治の小説が。
そう思うと残念で、ふとあの頃に戻ってベッドに寝ころびながらあの本たちを読んで
もう一度あの恍惚感を味わいたい
と思ったりします。
昔話「瘤取り爺さん」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切り雀」を題材にした〈お伽草子〉も昔話を芸術に昇華させた素晴らしい短編集で大好きでした。