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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

飛田 百番

2012年01月01日 08時30分00秒 | ◆近畿
飛田随一の格式を誇った大楼。
現在は「鯛よし百番」という現役の料亭。平成12年(2000年)、登録有形文化財に。

国の文化財なので、いまのうちに記録しておかなければ、というようなあせりもなく、
のんびり撮影。

 
遊廓と聞いて多くの人が想像するであろう典型的な遊廓建築。
軒下に並ぶ提灯、擬宝珠をあしらった欄干、欄干を支える持ち送り、欄間や桟の装飾、
などなど、微に入り細に渡ったその意匠はまさしく圧巻。


間近で見ると、その細やかさを一層実感できる。
玄関には百番と書かれた大看板が掲げられている。この看板も貴重なものだろう。


奥行きがありすぎてレンズに収まりきらない。

 
左手の入口。床は網代模様を色分けしギザギザに演出したようだ。欄間は獅子の彫刻。
二階に目を転じると、欄干の下の小窓(下窓だろうか)に凝った細工が。

 
右手の入口。欄間には帆船が彫られている。扉に施された桐紋も見過ごせない。


建物はさらに右へとつづく。そして、ここから様子が一変する。

 
[左]どういうわけか、突然洋風の装いに。その剛健な外観に驚く。
[右]さらに右へ回ると、ふたたび和風に戻る。さすがに裏手は質素なたたずまい。

いつか、外観以上に絢爛豪華だという内部も、食事をかねて見学したい。

大阪 飛田(2)

2012年01月01日 08時00分00秒 | ◆近畿
ひきつづき飛田を探索。

いまの飛田は、昔ながらの町並みを保ちつつも、すでに多くの店が建て直されているが、
東端の通りには往時の建物が比較的残っている。
以下、四段目までがその遺構である。

 
[左]連なるガレージはかつて入口だったのだろうか。二階には袖看板の金具が残る。
[右]屋号の入った透かしガラス。文字は内側から読む格好になっている。

 
玄関も手の込んだ造りをしているが、何よりもまず、扇情的な赤タイルに目を奪われる。
後から塗ったようにも見えるこのタイル、近くで見ると、最初からこの色だったとわかる。


ゆるやかなアールが特徴的。こういう趣向は、一般住宅ではまず見られないものだ。

 
唐破風に飾られた鶴と松の彫刻が見事。奥行きのある建物で、ほかにも見どころは多い。

 
一階がカフェー風に改築されている。奥まった玄関は、この手の建物ではおなじみ。
二階は上中下の三段窓。下窓を覆う欄干風の板張りが非常に凝っている。


腰や入口にタイルが残る。入口のタイルはモザイクタイルの手本ともいえる色彩。

 
一階の小窓と青いタイルが特色。タイルの部分が、なんとも不思議な凹凸をしている。
サイディングを施されながらカーブを描く二階も気になるところだ。

大阪 飛田(1)

2012年01月01日 07時30分00秒 | ◆近畿
遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数220、娼妓数2700
昭和30年、業者数187、娼妓数1628


大門。逆光で見づらいが、提灯を渡すポールの向こう側に門柱がある。

 
[左]大門を内側から。門の両側には、当時の高塀も残っているのがはっきりと見える。
[右]説明書き。塀の手前に設置されていた。左の写真にも小さく写っている。

  
角の枠(?)に貼られた黒タイルが印象的。枠の内側には看板か電飾があったのだろう。


百番にやや似た雰囲気を持つ建物。遺構にしては新しすぎるか。


飛田でもっとも見てみたかったカフェー建築。
しかし、待ち受けていたのはすっかり改装された後の姿だった。
全体のフォルムは昔のままとはいえ、細かい装飾など、往年の雄姿をひと目見たかった。

 
窓の縁のタイルがつつましくも華やか。丸窓にはステンドグラスが収まっている。
中央の出っ張りの部分は、看板が取り付けられていたのだろうか。

 
入口が三つある和風建築。二階の肌色のタイルがなんともなまめかしい。

大阪 飛田周辺

2012年01月01日 07時00分00秒 | ◇不確定

飛田に着くのが早すぎたので、明るくなるまで近所を散歩することに。


路地やアーケード街をぶらぶらしていると、気になる一画を見つけた。

 
あるいは先入観のせいかもしれないが、腰の赤色が妖しげに映る。


こちらはタイル張り。立体的に見えるこのタイルは、金沢で見かけたものと同種だ。


かつてはストリップ劇場だったという。現在は子供も入場できる一般劇場。


古い居酒屋が建ち並ぶ。

どことなく青線的なにおいを感じさせる一帯だった。
そういえば、かつては飛田の一部(あるいはその周辺)が青線であったという文章を
どこかで読んだ記憶があるのを、歩きながらふと思い出す。
再訪の折には、もっと範囲を広げて歩いてみたい。