M K

遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

藤沢 ~拾遺編~

2012年01月04日 14時00分00秒 | ◇神奈川
遺構ではなさそうだけれど当時からあったかもしれない古い店を中心にピックアップ。
当時からの店なら、遊里と多少なりとも関係があっただろうと想像できるが、はたして。


遊里につきものの質屋。


ごくごく小さな店舗。手前にポール看板の跡が残っている。


居酒屋だったとおぼしき平屋建て。後ろの構造がおもしろい。
「いらっしゃいませ」と書かれたドアプレートが新しい。近年まで営業していたのだろうか。


ユタカセンター。アパートとスナックを兼ねた集合店舗。
それほど古い建物ではないかもしれない。

 
仲好飲食街。少なくとも50年前には存在したが、正確な建築時期は不明。

 
仲好飲食街を反対側から。二階へ上がるのは遠慮した。

 
スナックととんかつ屋が同居。とんかつ屋の看板は何度も塗り替えられている模様。


本項で唯一、遺構の可能性もわずかにあるかもしれない物件。
最終的には立ち食いそば屋だったようだ。

藤沢

2012年01月04日 13時30分00秒 | ◇神奈川
再訪6回目。
もう訪問回数を数えなくていい気もするが、一応。

 
前回の予告(記事はこちら)どおり、旅館松竹で気づいたことから述べる。


左隣の稲荷神社側から旅館の側面をのぞくと、そちらにもう一つドアが見える。


ななめの取っ手がついた両開きのドア。正面のものと同じタイプだ。
すりガラスには「松竹」の文字が読み取れる。

ここからが本題。
いまは意味のないこのドアも、かつては当然、入口の役割を果たしていたはずである。


つまり、写真の稲荷神社は、以前はこの位置になかっただろう、ということだ。
辰巳町会館(青いトタン屋根の平屋)も、当時はここになかったのかもしれない。
となると、手前の道路は、いまよりもっと広かったのだろうか。
道路のことについては、またあらためて考えたい。


仙成旅館。どこか違和感があると思ったら、壁の料金表が外されていることに気づいた。
手元の写真を調べると、2011年4月1日にはすでになくなっている。廃業したのだろうか。

 
アーチ付きの飲食店街跡。昼間に見ると傷み具合が歴然。
ところで、この長屋建築を「小鳥の街」と紹介している本やサイトを見かけたことがあるが、
実際の小鳥の街はこの奥(仙成旅館の正面)にあった。現在はマンションが建っている。