遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数220、娼妓数2700
昭和30年、業者数187、娼妓数1628
大門。逆光で見づらいが、提灯を渡すポールの向こう側に門柱がある。
[左]大門を内側から。門の両側には、当時の高塀も残っているのがはっきりと見える。
[右]説明書き。塀の手前に設置されていた。左の写真にも小さく写っている。
角の枠(?)に貼られた黒タイルが印象的。枠の内側には看板か電飾があったのだろう。
百番にやや似た雰囲気を持つ建物。遺構にしては新しすぎるか。
飛田でもっとも見てみたかったカフェー建築。
しかし、待ち受けていたのはすっかり改装された後の姿だった。
全体のフォルムは昔のままとはいえ、細かい装飾など、往年の雄姿をひと目見たかった。
窓の縁のタイルがつつましくも華やか。丸窓にはステンドグラスが収まっている。
中央の出っ張りの部分は、看板が取り付けられていたのだろうか。
入口が三つある和風建築。二階の肌色のタイルがなんともなまめかしい。
昭和5年ごろ、業者数220、娼妓数2700
昭和30年、業者数187、娼妓数1628
大門。逆光で見づらいが、提灯を渡すポールの向こう側に門柱がある。
[左]大門を内側から。門の両側には、当時の高塀も残っているのがはっきりと見える。
[右]説明書き。塀の手前に設置されていた。左の写真にも小さく写っている。
角の枠(?)に貼られた黒タイルが印象的。枠の内側には看板か電飾があったのだろう。
百番にやや似た雰囲気を持つ建物。遺構にしては新しすぎるか。
飛田でもっとも見てみたかったカフェー建築。
しかし、待ち受けていたのはすっかり改装された後の姿だった。
全体のフォルムは昔のままとはいえ、細かい装飾など、往年の雄姿をひと目見たかった。
窓の縁のタイルがつつましくも華やか。丸窓にはステンドグラスが収まっている。
中央の出っ張りの部分は、看板が取り付けられていたのだろうか。
入口が三つある和風建築。二階の肌色のタイルがなんともなまめかしい。
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