三河湾、竹島、蒲郡温泉に近在したカフェー街。
場所柄、観光客向けの遊里だったと思われるが、詳細はわからず。
昭和30年、業者数10、従業婦数27
インターネットで仕入れた情報によると、以前は蒲郡駅南口前に大きな娼楼が
5~6軒建っていたそうだが、その後取り壊されてしまったらしい。
しかし周辺にまだ何か残っているかもしれないと思い、本日の締めくくりに探索してみた。
明らかに普通の住宅ではない和風建築。しかし、遺構と断定できるほどの決定打はない。
入口が2つある小料理店。20歳未満お断りのプレートは三谷観楽荘のものと同一。
一見なんの変哲もない砂利道だが、入口に埋め込まれた石が意味ありげ(車止め?)。
砂利道に入ってみると、突然こんなパブが現れた。
入口が閉ざされ、すでに廃業状態とはいえ、どうしてこんな路地にという驚きが大きい。
同じ路地にあった木造平屋。玄関には割烹旅館の看板が。
上記のパブ同様、路地裏という言葉さえそぐわない立地。やはりそういう場所だったのか。
広い道(国道23号線)に面したところにも雰囲気のある物件が残っている。
凝った桟や出格子は妓楼を思わせるが、こんな街道筋に堂々と妓楼があるものか疑問。
場所柄、観光客向けの遊里だったと思われるが、詳細はわからず。
昭和30年、業者数10、従業婦数27
インターネットで仕入れた情報によると、以前は蒲郡駅南口前に大きな娼楼が
5~6軒建っていたそうだが、その後取り壊されてしまったらしい。
しかし周辺にまだ何か残っているかもしれないと思い、本日の締めくくりに探索してみた。
明らかに普通の住宅ではない和風建築。しかし、遺構と断定できるほどの決定打はない。
入口が2つある小料理店。20歳未満お断りのプレートは三谷観楽荘のものと同一。
一見なんの変哲もない砂利道だが、入口に埋め込まれた石が意味ありげ(車止め?)。
砂利道に入ってみると、突然こんなパブが現れた。
入口が閉ざされ、すでに廃業状態とはいえ、どうしてこんな路地にという驚きが大きい。
同じ路地にあった木造平屋。玄関には割烹旅館の看板が。
上記のパブ同様、路地裏という言葉さえそぐわない立地。やはりそういう場所だったのか。
広い道(国道23号線)に面したところにも雰囲気のある物件が残っている。
凝った桟や出格子は妓楼を思わせるが、こんな街道筋に堂々と妓楼があるものか疑問。
三河湾、三谷温泉の近くに存在したカフェー街。
温泉客をあて込んだ遊里と思われるものの、資料が乏しく、詳しいなりたちは不明。
昭和30年、業者数10、従業婦数29
不自然に広い横道(車両通り抜け不能)に面した小料理屋。
玄関に20歳未満お断りのプレートがあった。18歳ではなく20歳というのはめずらしい?
この界隈でもっとも雰囲気の感じられる割烹旅館。複雑な構造をしている。
赤紅色と肌色に塗り分けられた壁や、玄関脇の丸窓と角窓の組み合わせが目を引く。
左の路地へ入ると、門柱にプレートが。こちらは18歳未満お断りになっている。
リフォームされた邸宅に残されていた装飾。
ちょっと見は一般住宅のようだが、二階の欄干に彫り抜きの細工を発見。
ところが、彫り抜きの柄が妙に子どもっぽい。木の材質も微妙で、証拠とはいえないか。
玄関はタイル張り。薄い青系統の色調でまとめられたスタイリッシュな外装。
どういうわけか、この町は、遊里特有の妖しいオーラがほとんど感じられない。
花街色の強い町だったのだろうか。
あるいは、八幡園と名楽園で濃厚な空気を吸ってきて、感覚が麻痺しているのか。
いずれにしても、もう少し調べてみる必要がある。
温泉客をあて込んだ遊里と思われるものの、資料が乏しく、詳しいなりたちは不明。
昭和30年、業者数10、従業婦数29
不自然に広い横道(車両通り抜け不能)に面した小料理屋。
玄関に20歳未満お断りのプレートがあった。18歳ではなく20歳というのはめずらしい?
この界隈でもっとも雰囲気の感じられる割烹旅館。複雑な構造をしている。
赤紅色と肌色に塗り分けられた壁や、玄関脇の丸窓と角窓の組み合わせが目を引く。
左の路地へ入ると、門柱にプレートが。こちらは18歳未満お断りになっている。
リフォームされた邸宅に残されていた装飾。
ちょっと見は一般住宅のようだが、二階の欄干に彫り抜きの細工を発見。
ところが、彫り抜きの柄が妙に子どもっぽい。木の材質も微妙で、証拠とはいえないか。
玄関はタイル張り。薄い青系統の色調でまとめられたスタイリッシュな外装。
どういうわけか、この町は、遊里特有の妖しいオーラがほとんど感じられない。
花街色の強い町だったのだろうか。
あるいは、八幡園と名楽園で濃厚な空気を吸ってきて、感覚が麻痺しているのか。
いずれにしても、もう少し調べてみる必要がある。
遊廓(旭遊廓)→移転(中村遊廓)→赤線(名楽園)
昭和12年、業者数138、娼妓数2000
昭和18年、業者数19、娼妓数220
昭和28年、業者数81、従業婦数900
昭和33年1月、売春防止法施行の2ヶ月前に自主廃業
大型スーパーとソープランドが向かい合う奇妙な光景。
日が高かったことも手伝って、まるで白昼夢でも見ているような気分にさせられた。
スーパーの建っている場所の角地には、かつて名楽園組合の事務所があったという。
旧・第二トヨタ楼。相当リフォームされているが、鮮やかなタイルと丸窓はカフェーの証。
旧・春福楼。玄関の欄間に文字看板が残っている。
左側の取ってつけたようなモルタル造りは、カフェー風に利用していたものだろうか。
屋号不明。格子が張りめぐらされた典型的な妓楼建築。
渋い色合いの中、赤錆色の欄干と緑白模様のタイルがアクセントになっている。
旧・千尋。艶っぽい建物もさることながら、壁面に飾られたシンボリックな美人画が白眉。
警備会社のステッカーは無粋だが、盗難対策のためにはいたしかたないのだろう。
旧・酒井楼。その格調高くも重厚なたたずまいは圧倒的。塀は色調を抑えつつ華やか。
中村遊廓でも指折りの大楼だったことは想像に難くない。
旧・稲本。この地域では四海波に次ぐ大店だったという。
日本と中国の建築様式を織り交ぜた豪華絢爛な店構えは、他に類例のないものだ。
昭和12年、業者数138、娼妓数2000
昭和18年、業者数19、娼妓数220
昭和28年、業者数81、従業婦数900
昭和33年1月、売春防止法施行の2ヶ月前に自主廃業
大型スーパーとソープランドが向かい合う奇妙な光景。
日が高かったことも手伝って、まるで白昼夢でも見ているような気分にさせられた。
スーパーの建っている場所の角地には、かつて名楽園組合の事務所があったという。
旧・第二トヨタ楼。相当リフォームされているが、鮮やかなタイルと丸窓はカフェーの証。
旧・春福楼。玄関の欄間に文字看板が残っている。
左側の取ってつけたようなモルタル造りは、カフェー風に利用していたものだろうか。
屋号不明。格子が張りめぐらされた典型的な妓楼建築。
渋い色合いの中、赤錆色の欄干と緑白模様のタイルがアクセントになっている。
旧・千尋。艶っぽい建物もさることながら、壁面に飾られたシンボリックな美人画が白眉。
警備会社のステッカーは無粋だが、盗難対策のためにはいたしかたないのだろう。
旧・酒井楼。その格調高くも重厚なたたずまいは圧倒的。塀は色調を抑えつつ華やか。
中村遊廓でも指折りの大楼だったことは想像に難くない。
旧・稲本。この地域では四海波に次ぐ大店だったという。
日本と中国の建築様式を織り交ぜた豪華絢爛な店構えは、他に類例のないものだ。