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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

大田 池上

2011年07月03日 15時10分00秒 | ◇東京
池上特飲街事件の現地。
昭和25年、武蔵新田のカフェー業者は、店舗が手狭で不便であることを理由に、
池上に特飲街(特殊飲食店街)を新設する計画を立て、新店舗の建築を進めていた。
その計画を知った池上住民は猛反発。国会まで巻き込む大騒動に発展する。
結果、移転は不許可。
既に完成していた建物はアパートなどに利用されることが決まり、
特飲街として日の目を見る瞬間はついに来なかった。


移転が計画された住所は、東京都大田区池上4丁目あたり。


この道路の左右一帯が予定地だった。
見事に駐車場やビルへと変貌しており、それらしい物件は見当たらない。


少し歩くと、気になる古い建物を発見。
一応撮影したものの、あらためて見ると可能性は五分五分、いや、それ以下か。


Googleマップを確認したら寿司屋とあった。建物を転用した可能性は低いだろう。

大田 武蔵新田

2011年07月03日 14時00分00秒 | ◇東京
洲崎→羽田穴守→武蔵新田と移転を余儀なくされた遊里。
昭和25年、今度は自らの意志で東京都大田区池上への進出を計画するも、
近隣住民の反対運動の末、計画は頓挫した(詳細は2項後に紹介)。
昭和26年5月、業者数33、従業婦数121
昭和27年7月、業者数36、従業婦数112


スーパーマルエツの裏手から。このあたりがカフェー街の入口だった。
正面の茶色い建物の場所には近年までカフェー建築が残っていたはずだが、
残念ながら建て替えられてしまったようだ。


十字路にあった入口が4つの建物。おそらく遺構だろう。

 
不思議な外観の建物。屋根の形状が左右で異なり、また、変わった庇が突き出ている。


裏に回ると鉄平石の装飾が。
いまは裏口に見えるこちら側も、当時は入口として機能していたのかもしれない。


この物件も気になった。見た目は素朴だが、リフォームの形跡があり、妙に引っかかる。
遺構の可能性を捨てきれず、一応掲載。