Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

牧志に御嶽

2017年09月11日 | 那覇、沖縄

 今日から那覇にいます。といっても明日には会議を終えて帰ります。時間があったので少し牧志の裏通りを歩いてみました、那覇に13年も住んでいたのに牧志の裏通りなんて歩いたこともありませんでした。行ってみるとオシャレなお店がたくさん。なんだ那覇も変わりました。
 驚いたのは、公園の端に「牧志御嶽」なる場所があったこと。今では国際通りに面した牧志公園の一部は御嶽なのですね。びっくりです。ネットで調べてみると、やはりここは沖縄の祖先崇拝の聖地でした。
 この御嶽を知ったことは今回の那覇訪問の大きな成果でした。国際通りの周りも歩いてみるといろいろと名所旧跡があるのかもしれませんね。今回はそんな裏道に不思議なお土産屋さんを発見しましたが、それはまた次回のお楽しみ。


まるで嘘のようです

2017年09月06日 | 家・わたくしごと

 昨日、バリから戻ってすぐに大学で事務仕事。すでに帰国してから2日しか経過していないにもかかわらず、「バリにいたのは本当だったのかしら」と思うような生活です。いえいえ、まるでこの3週間のブログに書かれていることが「嘘」だったように現実の波の中でもがいています。そういうものなんでしょう。なんだか歳を重ねるたびに、その波が高く、荒く、大きな音をたてているような気がします。
 オダランで最後に上演されるトペンの演目、シダ・カルヤの写真。神の化身として寺院で舞う舞踊。何事もなく、平穏な儀礼がおこなわれるための祈り、神々への奉納、そんな意味を持っています。これからの仕事もそんな風に進めばいいと思っています。私にとってこのシダ・カルヤは、私自身のために踊ってもらった舞踊のようにも思えるのです。
 前を向いて半歩先を考えて生きることは重要です。でも振り返る時間をもっともっと作らなければ「過去」は、何ものもなかったように過ぎ去っていってしまいます。だからこそ、過去を反芻できるように、そんな時間も作れるように生きていこうと思います。


「先生、患者が待ってますけど」

2017年09月05日 | バリ

  「プンティン(大正琴)が好きだって?おお、それはいい。すぐに来なさい。話をしよう。」
紹介されたプンティンの演奏者は耳鼻咽喉科のお医者さんで、連絡をしたらすぐにおいで、といわれて場所を探しながら彼の家に出かけた。そして行ってみると、まさに開業中だった。17時から20時までの開業で、インドネシアでは大きな病院に勤めている先生が、夜に自宅で開業して診療するのはふつうである。
  とはいっても開業中とは聞いていなかったので、少し驚く。戸をノックするとまさに診療中。遠くから
「日本人か。よく来た。今、治療中だから待合室で待ってくれ」といわれる。
  幸い、私以外で待っている人はなく、患者が帰ると私を診療室に迎え入れた。そこから長い話と、彼の演奏が始まった(始まってしまったのである)。
  10分、20分と、そのくらいまではあまり気にならなかったのだが、なんだか待合室に結構な人がいる気がした。何度もお医者である演奏者にそれを私が伝えるのだが、とうとう奥さんまで出てきたプンティン談義、演奏。そこまでくると、患者が気になって話が頭に入ってこないのだが、彼のエンジンは完全にかかってしまい、もう止められなかった。
  なんとか話が終わり、待合室をみたら10人以上が待っているではないか。でもみんなニコニコしているのである。中には
「先生の演奏はうまいだろう?」と私に声をかける患者までいるほどである。
  いやはや、この地はまさにプンティン天国である。

   このブログがアップされた0時55分に、私はデンパサールから成田に向かいます。今回はほとんど毎日、ブログを更新してきました。読んでくださった方、ありがとう。帰国したらまたブログを更新できないかもしれません。気長に更新をお待ちください。細く、長く続けていくつもりです。
 


神への捧げもの

2017年09月04日 | バリ

 スカワティ村の寺院の周年祭オダランに行ってきました。ワヤンを見ることが目的だったのですが、行った時にはまだお祈りが始まっておらず、お寺の中を眺めたら知人のバリ人がたくさんいて、中で一緒にお祈りをすることに。まさにハレの日の儀礼空間の中に通されました。
 見慣れてはいるものの、やはり天界から降臨する「神」へ捧げる供物は高い場所に置かれていて、色とりどりです。かつてはこのように電気が明るく照らすこともなかったでしょうから薄暗い空間の中で儀礼が執り行われていたのだと思いますが、今はこの通り、白・黄を基調とした目がパチクリするような色彩で寺院の中はあふれかえっています。
 この後、厳粛なお祈り、聖水の灌頂などが行われましたが、若者たちがそんな中で携帯に夢中になっている光景も斬新でした。さすがに写真には撮りませんでしたが…。  


コンビニという憩いの場

2017年09月03日 | バリ

 バリはここ数年で本当にコンビニの数が激増している。かつてはサークルKだけだったのが、インドマレット、アルファマートなど、どんどん増えて、それが街だけではなく周辺部までも広がっている。そういう意味では便利になったわけだ。  
 そのコンビニだがバイクで遠出するときには実に重宝するのだ。なぜなら、高速でいえばサービスエリアのような役割を果たしてくれるからである。だいたいコンビニの前には簡易な椅子と机が置いてあり、トラックの運ちゃんだどが昼間に車をとめて、コンビニで買ったドリンクを飲んでいたりする。まさに休憩の場である。
 このところコンビニ前が、トラックの運ちゃんばかりでなく、私にとっても憩いの場となりつつある。道路を走る車やバイクをながめながら、調査に出かける前ならば、これからやるべきこと、調査を終えた後であれば、行ったことを反芻する場でもある。今回はにコンビニの前で実に多くのことを考えた。バリにこんないい場所ができたこと、そしてそれに気が付いたことは大きな成果である。


アムラプラの風景

2017年09月02日 | バリ

 バリ島東部カランガッスム県の首都アムラプラ。デンパサールから約70キロあり、バイクで飛ばしても1時間半はかかるのだが、最近、この街で楽器の調査を続けている。この街、バリの中では古くからヒンドゥーとイスラムの人々が共生している街としても知られていて、イスラムの集落がたくさん存在している。といっても紛争が起きているという話は全く聞いたことがなく、当たり前のように二つの宗教の人々が暮らしているのである。
 近年では世界各地で宗教紛争が起きて、多くの人々の命が奪われたり、難民として国外に出ざるをえない人々が増加している。そういう状況から見ればバリのこの地は実に平和に見える。もちろんインドネシア政府は国家設立時から、国家五原則(パンチャシラ)の中に宗教の多様性をうたっている。もしも一つの宗教や宗派を国教にしてしまえば、他の宗教はそれに意義申し立てするだろう。多様性を認めるからこそ、さまざまなアイデンティティを持つ人々の集合体、いわゆる「創造の共同体」である国家が成立するのだから。
 この写真、実はアムラプラの街中の交差点の赤信号で撮影した一枚。右手は大きなモスク、そして正面の壁にはヒンドゥーの神々のワヤンのモザイクが描かれている。この風景こそが多様性の象徴である。しかしここの人々にとってはこんな風景は「当たり前」なのである。まさに宗教共存の風景。


バリ猫

2017年09月01日 | バリ

 バリ猫というと、たいていは木彫された派手な色で塗られたバリのお土産の猫を思いだすのだが、この写真の猫は、「リアルバリ猫」である。共同研究をしているS川教授のブログでは、なぜかバリのリアル猫が紹介されていたので、負けじとPの世界でもバリ猫登場となった。
 この猫ちゃん、アートセンターの前の中華系ワルンの冷たい床でぐっすりお休み中である。メス猫ちゃんで、お腹が大きいようにも見える。もうすぐ子猫を生むんだろうか?
 私の知る限り、猫をかわいがるバリ人というのはあまり多くない。基本、バリは犬派のような気がする。それでもこの店は猫が床で寝ていようと店員たちはおかまいなしである。まるで誰の目にも猫は見えないかのように無視されながら、幸せそうに眠る猫である。