ななとぽちと猫たち

夫婦と猫達との日々

乗り越えないとならない事③

2019年02月12日 | まーの腎不全 母の病気

その後の事をなかなか書けずにいたけれど、

母の病院から帰宅したら、ぽちがまーを看取った後だった。15歳の誕生日を迎えて4日後だった。身体は限界だったのに強制給餌したり、色々負担だったろうけど、そうするしかなかった。

最後は病院連れて行くのも抵抗出来ない位だったのに輸液やめれなかった。

あまり苦しまず息を引き取ったとぽちが言った

ぽちは目を真っ赤にし、鼻水すすりながらまーの側にいた。

私は声あげてわんわん泣きながらまーを抱き締め、ありがとうと沢山伝え、その後は自分が何してるか分からないと言いながらウロウロ歩き泣き、薬やオムツやらをもう見たくないと言って全部見えない場所に片付けた。

悲しみは深いけど、ようやく楽になれたなら自分が喪失感に襲われても寂しくても眠れなくても、まーの苦しみが続くよりは自分が辛い方がマシなんだと自分に言い聞かせた。

翌日も涙出そうなの堪えながら仕事をし、母の病院も行った。

母にまーの事は言わずにいたら

まーの体調はどうだ?って聞かれて、昨日亡くなった事言った

母は、そんな予感がしたと言い

可哀想に、水も飲めないのに1人でいて、まーが可哀想だ、可哀想だと

ベッドに顔埋めてしはらく号泣していた。

寿命だから仕方ないと言うような人なのに、こんなに泣くのかと少し驚いて、私もまた泣いた。

その翌日は従兄弟の告別式行って、母を退院させ

手術して貰える別の病院も自分で探して紹介状書いて貰って

1月に母の手術も無事に終わった。

ようやく平穏な日々が戻った。

母は、まーが病気見つけてくれて、まーに助けられたと言ってる。同じ腎臓だし、まーの事で泊まりに来てなければ手遅れになってたかもしれない。

まーは後から2にゃんこを迎えた時も面倒見が良くて優しいお兄ちゃんだった。

なのに、2にゃんこはまーがいな居なくなっても何も変わらない。


乗り越えないとならない事②

2018年11月27日 | まーの腎不全 母の病気
仕事行って、まーのお世話と通院、母の病院へ行く、そんな毎日で休む時間などなく、でも私がやらなきゃ誰がやる?って気持ちで、ただやるだけ。
しかも、母はその病院で治るまで治療出来ると思ってたのに、先生に病状の説明1人で受けた時、
今回の熱の原因の結石、大きくてここでは手術は出来ないって言われ
あげく、地元の病院ではどこもその手術は出来ないって話をされ、東京の病院で良い先生いるから紹介状書くって言われた。
他に自分で良いと思う病院あればそちらの紹介状書きますとも言われた。
ここは東北
東京に知り合いいる訳でもないのに、そんなの無理だから何とか通える距離で手術して貰える病院探しも自分でしなきゃならなかった。
まーの事やちゃーぼうのインスリンの事もあるし、泊まりがけとかは絶対無理だし、
しっかりしなきゃ、頑張らなきゃ、でも不安に押しつぶさそうになった。
母にもしもの事があったらどうしようと考えてしまったし、
お父さん助けて!と1人で声あげて泣いたりもした。
ぽちはもちろんいますけど、俺何もしなくてゴメンなって言われる位、ほとんど私がやってた。
母の事は自分の親だから当然だけど、いっぱいいっぱいだった。

そして、母の退院の2日前の事。
前日に母から、先生の話あるみたいだから明日4時までに病院来るように言われてた。
その前日からまーの状態あまり良くなく、何度か吐いてたし、その日も心配だけど泣く泣く置いて仕事に行くしかなく、仕事終えて急いで帰ったらかなりの鼻血出して、頭ユラユラさせていた。
すぐティッシュで拭いてあげて、まーからずっと離れられなかった。
呼吸もしずらそうだから水も飲める状態じゃないし、ご飯もあげれない。
オムツも濡れてないからオシッコも出てなくて、だからと言って今まーを病院連れて行ったって元気になれるような治療もないのわかってた。1日置きに病院に点滴には通ってたから。

こんな状況でも母の病院行かなきゃならないし、置いていくの心配だと思ってたところにぽちから連絡入ったので、
まーが具合悪いから頼むね、私お母さんの病院行ってくるからと、まーの事をぽちにお願いする事にし、病院向かった。













乗り越えないとならない事

2018年11月27日 | まーの腎不全 母の病気
まーの腎不全が末期状態なってから
点滴通い、夜間救急病院も行った。夜中の発作、寝ながら何度か前足バタつかせ痙攣した時は別れも覚悟して、今までありがとうって泣きながら何度も言った。
後ろ足が立たなくなりトイレも行けなくなったからオムツつけた。
発作の影響か頭が小刻みに揺れるようになった。
最初の頃は、良くなるかもと希望も捨ててなかったから、夜横になる時思うのは、今日は調子悪いけど明日の朝になったら嘘のように元気になってて、いつもの様にお腹すいたよーってご飯ねだってくれるんじゃないか、その姿を想像し、そう信じ、そう願って、短い眠りつく。
けれど、朝になっても想像したような奇跡は何も起きなかった

ご飯は柔らかくしたのにカリナール混ぜたの指で上顎に押し付け食べさせた。
自分から欲しがる事なくなったから仕方なく無理に食べさせたけど、十分な量ではなく、痩せてきて背中の骨がゴツゴツ触れるようになってた。苦しそうな日はご飯どころか薬もあげれなかったし。
そのうち口からはアンモニア臭もするようになった。
それでも少し体調良い時は前足でムクムク動いて窓の近くに行こうとしたり、人恋しいのか抱っこをせがむ仕草して、抱っこしてあげると安心してた。


他の2にゃんは、まーに近づこうとしなくなった。病院通いしてたせいで違う匂いに警戒してたのかなと考えたけど、特別扱いされてるまーを遠くからジーッと見てるだけだった。

発作の後からは毎晩わきの下に挟んで添い寝して、夜中何度か起きてお水飲ませてた。
鼻血も頻繁に出るようになり、点滴に止血剤入れて貰っても止まりにくく、そのせいで呼吸が苦しくなるのが見てて1番辛かった。苦しくて眠る事も出来ずいたから、ゆっくり楽に寝かせてあげたかった。
毎日のんびり穏やかに生きてたコが何でこんな辛い思いして苦しまなきゃならないのかな


私が仕事で留守の間、まーは水も飲めないし、もしもの時はせめて誰かそばで看取って欲しいと思って
母に来て貰っていたのだけど、
その母が熱を出し、食欲無いと言い、市販の薬で1回熱が下がったりしたものだから良くなると思い、
本人も病院行かなくても大丈夫って言うから様子見てたけど、食欲は戻らないし熱がまた上がるし、どんどん悪化していって
熱のせいなのかとうとう夜中に夢と現実の区別がつかないようなおかしな言動が始まり、
これは痴呆なのかと物凄く怖くてたまらず、眠れず、さすがに翌日は仕事終わってから病院連れて行ったんだけど、
そこで紹介状書いて貰い、総合病院行って一通り検査して、夜の9時位、母はそのまま入院。

翌日仕事終えてから入院に必要な物揃えて病院行ったけど、母はベッドの上でまだ高熱で震えが止まらずブルブル震えながらうわ言言ってるし、
それからの私は、まーの事の他に母の事も重なり、毎日泣きたい位大変な日々が続いたのです。