ななとぽちと猫たち

夫婦と猫達との日々

余震が続き

2011年04月13日 | 震災
11日は余震が多かったが、比較的大きい余震があった後
その日は診察の予約してたから車で出かけた。
大きな余震あるとみんな不安になるのか、行く途中のガソリンスタンドではあちこちで長い列が出来てた。
前回のように燃料が入れられない事態にらならないと思いつつ、こんな状況では満タンになってないと私も不安だ。

テレビではバラエティーやドラマ普通にやってる、
ぽちが見てるから一緒に見るけど、
どちらかというと、まだそーいうの見る気分ではない

1人の時はどうしても主にNHKのニュースなど見てしまう。
原発のあるいわきに大きな地震あったりして心配になる

とうとうレベル7に引き上げられて
前にテレビで、チェルノブイリの事故とは全然レベルが違うから大丈夫みたいに言ってた人がいた記憶があるんだけど。何を信じたらよいのか

30キロ圏外だったら普通に生活しててもそんな影響ないと思ってたけど、
実際、この状態が長く続いたら私たちもどうなるんだろう。
もしもの事を考えた場合、猫を置いては行けないよ

そう言えば、朝仕事行く前テレビ見てたら、何かの番組に気仙沼ちゃんが出ていた。
無事でよかった
気仙沼と言えば気仙沼ちゃんの事が思い浮かび、大丈夫だったんだろうかと気になってた
無事逃げる事出来て、今は旦那様とボランティアされてるようだ

あの地震の日から

2011年03月16日 | 震災
母は避難所にいる。
うち来ればいいんだけど、近所のみんなに遠慮して来ないよ。
自分ばっかり行くわけにいかないって。
それでも今日は水が出るようになったらしく、日中家に戻って洗濯してきたって。
今、全くガソリンを入れられない状態なので、母のとこにもちょくちょくは行けなくなった。
ぽちのガソリンもあと5日持つかどうか。
新聞の配達も、燃料が底をついた為、近場以外は明日から入らないかもとのこと。

今日は友人からメールが来て、お米がどこにも売ってないっていう
うちにはお米あるから、すぐ精米しにいった。
1ヶ月もちそうな分は分けてあげられた。
役にたてることがあってよかった。

地震の日から、夜はラジオ聞きながら寝てる。
今日は休みだったから、日中もテレビつけずラジオ聞いてた。
あと、母の所にも行って来た。

地震は恐ろしかった。
わたしのとこは震度6弱だったけど、食器棚の扉押さえながら
どんどん激しくなる揺れがもう恐怖で、悲鳴あげてた。
揺れが治まって、メチャクチャに物が散乱した家の中見て唖然とした。
壁にはあちこにヒビが入り、和室の障子は破れ、戸は開き、外れ、
廊下に得体のしれない水たまり、外の塀は一部崩れ
ケータイがなかなか繋がらなかったけど、なんとか母と連絡とれ、
家にはいられない状態だけど無事だってことは確認し
ぽちとも連絡とれた。

その日は夜まで家の中の片付けをし、
電話連絡がつかない一人暮らしのおばさんの様子を見に行き、無事なのを確認し
翌日は給水に並んだり、母と母の近所の人の分おにぎりをなんとか調達して持っていったり
職場もお店だからあれから毎日忙しい。

今は余震続いてるし、大きい余震来たらって不安や、原発の心配がある。
疲れてきたけど、みんな同じだから。元気に過ごしていく。
もっと辛い人のことを思えばこのくらい。