続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・自音寺沼にたどりつきました

2024-04-15 16:14:37 | 県道3号線紀行2

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

ひめちゃんは、さっそくご褒美の催促です。

タバちゃんが出たから、アタチがもらうのでふ

何時の間にかへんな習慣が出来てしまいました。

天神田を歩いて帰りました。

 

ムーハウスガーデン、花盛りです

ボタンの花芽も膨らんで来ました

サクラソウも咲き始めました

他の色もあったと思うけど

 

 

 

先日、高津戸の阿弥陀堂を参拝しました

自音寺の和尚さんのありがたい法話も聞けました

以前、自音寺は昔、粕川村の田面(たなぼ)にあったと聞きました。

そして、村主神社で出逢った老人に、自音寺沼の場所を教わりました。

ちょうど5年前の春、自音寺沼にたどりつきました

 

自音寺沼にたどりつきました

 

久しぶりに行ってみよう

4月11日、上毛電鉄・膳駅の脇を南に下ります。

まもなく神社があります。

「ちょっと失礼します 後で参拝します

 

駐車して、記憶を頼りに沼の方に進みます。

沼の管理用のボートでしょう。

桜の向こうの沼は、戦後水不足を補うために掘ったとか。

ここではなく、北側の沼が、自音寺沼だと教わりました

 

北側の沼、周囲が歩けそうだけど、固く門戸を閉ざしています

伊勢の森沼ですって

何時の間にか、名称変更です。

すぐ北を走る道は、県道3号線です。

厩橋城(群馬県庁)から、ひたすら東に走ります。


『大間々町誌基礎資料・大間々の社寺』には、

「自音寺伝記」によれば、自音寺はもと勢多郡粕川村田面にあった寺院で、建長二年(1520)に創建された。その後、永禄十年(1567)に上杉・武田が度々合戦に及んだとき、上杉方の武将安田左馬之助が渋川義将に敗北し、厩橋城に戻る途中自音寺に宿陣した。そのことを知った渋川は自音寺に放火し~(中略)~粕川村の旧自音寺跡地には「自音寺跡」の標識が立っており、近くには自音寺沼がある。


との記述があります。

 

県道3号線は、文化と軍隊の来た道なのです

 

さて、戻りましょう。

南の沼の南東に碑が見えます。

 

なんとなく「伊勢森」のような

 

そこの神社は、たしか神明宮でした。

神明宮の森で、伊勢の森かな

あの時あのおじいちゃんに逢わなかったら、自音寺沼にたどり着けませんでした。

奇跡の出合いだったかも

 

(つづく)

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