雨上がりの朝、ひめちゃんは、天神田を歩いてきました。
赤城山は、全くその姿を見せません。
後閑の薬師堂を通ります。
後でみなさんにゆっくりご挨拶したいね
タバサねーちゃんが、第2陣で出る頃は、薄日が差してきました
予報通り、暑い一日になりそうです
(6月14日)赤堀しょうぶ園、散策続けます。
南の方は、花が少ない
道路に上がって、また女堀跡に下りて、今度は北へ歩いてみましょう
紫陽花とのコラボは、いい雰囲気を作ってます
女堀の反対側には、なにやら不思議な光景が
もしかして、テーマパークのようなことを考えた時代があったのかな?
「見ざる・言わざる・聞かざる」が見えます
さて、先ほど女堀跡に下りたところから、もう一度下ります
今度は、北に向かいます。
きれいに咲いてますけど、やはり立ち入り禁止が多いです。
花しょうぶ祭りは会期中だけど、整備中でもあるようです
堀の横断道があります。
駐車場に戻るには、ここを渡った方が良さそうです。
横断中に、さらに北方を望みます。
この先は、なんとなく、女堀の雰囲気かな
東岸に戻り、駐車場へ帰ります。
毎年この季節に、花しょうぶをたくさん咲かせるのは、大変な労力を必要とするのでしょう
お疲れ様です
赤堀の赤堀氏について、新里村の人はまったく気にしてないようです。
でも、新里の人が大好きな山上氏と同じく、藤姓足利氏のようです
そういえば、旧赤堀村の文化的施設(図書館とか歴史資料館など)が集まっているところの駐車場に、赤堀氏の子孫という人の「米百俵」の碑とオブジェがありました。
確認しておきましょう
戊辰戦争で壊滅的打撃を受けた越後の長岡藩は、義援のために贈られた米百俵で学校を建てたのです。
「教養を広め人材を育てれば、国は栄える。食えないからこそ教育を」と
それを強力に推し進めた小林虎三郎が、ここ赤堀の赤堀氏の後裔だというのです
風にそよぐ稲穂が見えるオブジェもいい雰囲気です
佐波郡赤堀町は、変なロマンに酔うことなく、教育・文化を大切に考えた町だったのです