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続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・いよくの森の雷電神社

2024-08-01 17:09:58 | 群馬県・中毛

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

途中、カボチャの花が咲いてます

なかなかうまくコラボしてくれません

 

カボチャはあちこちに太いツルを伸ばして、たくさんの花を付けてます。

 

諏訪神社に車で乗り付け、参拝しているおじさんがいます。

やはり地域の鎮守さまかな

 

今日は南に下って、山上城に廻り込みまふでふよ

 

神社の森を振り返ると、「あれこの風景、似てる

なんとなく、中世骨寺村の絵図の雰囲気です

平泉の奥の骨寺村絵図は、中世荘園の記憶が残ってます。

ここも中世の国の荘園・山上保だったはずです。

初めて、山上保の記憶を感じました

 

山上城付近の耕作放棄地っぽいお花畑です。

毎年きれいにたくましい花が咲きます

おば(あ)さんが、ときたま草むしりしているでふよ

 

山上城・三の丸を通って帰ります。

 

今朝は、榛名山も浅間山も見えました

 

 

 

(7月19日)いよくの森の雷電神社、探訪続けます。

建物の中に御神輿が見えます。

 

今回はしっかり覗きます。

 

「石室は本殿の真下まで通じてる」とあります。

ここが、雷電山古墳のメイン部分ですね

 

しっかり奥まで覗きます。

 

見上げて本殿です。

不思議と石室と違和感がありません

 

本殿を一周、落ち着いた重厚な社殿です

境内社も半端でなく、たくさんです。

 

さて、駒犬さんにさようならです。

階段に手すりがあるのは、ありがたい

 

階段を降りると、左手には伊与久の森の散策路のようです。

散策は、もう少し季節を選んでしましょう

 

社務所に書き置くの御朱印はあるかな?

ありませんでした

近くのデイサービスの施設で扱っているとの案内です

道向こうの施設に声をかけます。

いただいた御朱印です。

書き置きだけど、日付を入れていただきました。

日付を入れるのはけっこう難しいので、助かります

 

 

さて、拝殿前でいただいた雷電神社由緒というかパンフレットに、伊与久沼のことがありました

1925年(大正14)、佐波新田用水の通水により水不足も解消されると伊与久沼の役割は終わり、翌年雷電神社の所有になった。~(中略)~沼の小島に祀られた社。今でも村人の安寧と平穏を見守る弁財天様。

 

ええッ、蓮の花咲く北の伊与久沼にはなかったぞ

南の伊与久沼にあるのでしょう。

これは是非確認に行かなくてはなりません

 

 

(つづく)

 

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いよくの森の雷電神社

2024-07-30 17:24:11 | 群馬県・中毛

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

 

6時前なのに、猛烈な日射しです

あれ、久しぶりに浅間山が見えます

曇も不思議な形です。

今朝は遠くの山々が見えます

 

 

 

7月19日、伊与久雷電神社を訪問です。

だいぶ昔に、訪問しています。

最近、伊与久をあちこち探訪して、雷電神社も再訪です

ここは古墳だったのです

石室の石は、榛名二ッ岳の噴石ですって

 

景観重要建造物ですって

 

鳥居をくぐって参道を歩きます。

右手には、元気な社務所が見えます。

御朱印出るかな?

 

神楽殿も元気そうです。

 

いよくの森の雷電神社社殿、確かに景観上重要な建造物です。

心安らぐ日本の風景です

 

狛犬さん、こんにちは

右の阿形の狛犬さんです

 

左の吽形の狛犬さんです。

 

  

風景の中に溶け込んでます

 

階段の上に、もう一組の駒犬さんです。

こんにちは

 

 

 

 

拝殿で、2礼2拍1礼です

赤い欄干のところに、雷電神社の由緒と祈祷済みのムクロジの実がありました。

遠慮なく、いただきます

以前来た時も、ムクロジの実はいただきました。

由緒は初めてです。

 

木の芸術というか、表現力って、すごい

 

往時は、さぞかし壮麗な建物だったことでしょう

 

 

社殿脇に不思議な空間があります

中には御神輿が見えます

 

 

(つづく)

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続・続・大きな塚のような山を背にした赤城山龍昌院

2024-07-25 17:47:35 | 群馬県・中毛

ひめちゃんは、赤柴の長老犬・プーちゃんの前を通って、堀之内を北に出ます。

プーちゃんは、ちょうどお食事中です。

岩神沼に、誰かいるかな?

いました

アオサギさんです。

あれ、沼の中にもアオサギさん

枯れ木です

でも、まるでオブジェのよう

よく似てまふね

 

また、プーちゃんの前を通って帰ります。

プーちゃんは、まだお食事中です。

ゆっくり食べるのも、長生きの秘訣かも

 

 

 

 

(7月19日)龍昌院の散策、続けます。

御朱印をお願いしようと庫裏を尋ねますけど、反応がありません

諦めて帰ろうとすると、瀬戸内寂聴さんのようなおばあちゃんが汗をフキフキしながら、出現

「お待たせしました。今、草を抜いていて

 

色々話が弾みました

彼女は、御年85才、現役の隆昌院の住職だそうです。

お孫さんが、若和尚として色々活躍中だそうです。

そして、なんと彼女は、高校の大先輩でした

世代は少し離れますけど、古い女子高の共通する記憶がありました

草ひきの後なので、筆が持ちにくいと言う事で、御朱印は後日再訪していただくことになりました。

 

 

再訪を約して、裏山(古墳らしいです)の大谷隆昌の墓を訪ねます。

「大谷吉継の孫 (宇賀神) 隆昌の墓」とあります

隆昌さんは宇賀神?

此の辺りが大谷家の墓のメイン部分です。

 

宇賀神と思われる石の横に、大谷と隆昌の文字が見えます。

ここが一番メインです。

合掌

 

 

さて、境内の東を走る県道に出て、高山彦九郎の妹・「伊与久きん」さんの墓を尋ねます。

どこが、きんさんの墓か分かりません

とりあえず、中央の宝篋印塔前で、みなさんに合掌

宝篋印塔の文字もよく見えません

 

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅱ』(平成13 上毛新聞社)によれば、

当寺は大字伊与久のほぼ中央分の字西馬場(にしばんば)に所在している。明治初年の『上野国郡村誌』には「竜昌院 東西四十間南北廿一間、面積八百二十八歩・・・真言宗新田郡世良田邨総持寺の末、開基不詳」とあり、開基者やその年代については定かでない。ただ当寺には、伊与久村を開いた豪族、旧五十久(いよく)氏墓所がある。五十久氏の当地への土着年代は明らかでないが、墓地には応永(1397~1428)の年号のある五十久重吉の墓塔(宝篋印塔)があることなどから、竜昌院はこのころには、すでに存在していたとみられる。

 

あの中央の宝篋印塔は、伊与久家のご先祖様のものですね

 

 

後日再訪して、いただいた御朱印です。

また色々話が弾みそうでしたけど、当日は、歯医者の予約があったので長居が出来ませんでした

高校の大先輩に会って、話がこんなに弾んだのは初めての体験です

昔の女子高はそれなりによかった

秋にでも、また来まーす

 

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続・大きな塚のような山を背にした赤城山隆昌院

2024-07-24 12:13:51 | 群馬県・中毛

ひめちゃんは、赤柴の超老犬プーちゃんの前を通って、堀之内の西側を歩いてきました。

 

今朝はプーちゃん姿を見せてくれませんでしたけど、2、3日前には元気な姿をみせていました。

換毛もすっかり終わって、きれいになってました。

土を掘り掘り出来る環境が、暑さ対策の一つなのかも

 

去年実っても刈り取られることなく、また今年も田植えされた田んぼを通ります。

今朝はアオサギの姿はありませんでした。

 

 

 

(7月19日)赤城山隆昌院、散策続けます。

ここからメイン部分です。

既に、たくさんの石造物が見えます。

 

いろいろな御利益があって、栄えたお寺なのでしょう

 

 

本堂です。

「あの大谷刑部の孫が伊与久に蟄居し、後に厩橋城主に従って、大坂冬の陣と夏の陣に出征してその功績で伊与久に除地を受領し、隆昌院を建立した」とあります。

どうして伊与久に来たのかな?

まあともあれ合掌

 

 

観音堂にも参拝です。

合掌

観音堂の脇においでのこの方も御利益ありそうです。

合掌

 

 

さて、御朱印をいただきましょう

庫裏で声をかけます。

何度かかけても、反応無しです

残念

帰ろうとすると、瀬戸内寂聴さんのような頭を丸めたおばあちゃんが出現

「お待たせしました 今ちょっと草を抜いていて

え、和尚さん

 

 

(つづく)

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大きな塚のような山を背にした龍昌院

2024-07-22 16:16:13 | 群馬県・中毛

朝から猛烈な日射しです

ひめちゃんは、堀之内を西に出て天神田(字・天神の田んぼ)のあぜ道に入ります。

今日もいました。

アオサギさんです

ズームで焦点を合わせようとすると、どこかに飛び去ってしまいます

ひめちゃんは、情報収集です。

誰か通ったかな?

無量寺界隈を歩いて、帰りました。

ガードレールの影でも、ありがたいでふ

 

 

みやま文庫『上州の観音札所』(昭和55 内山信次)に、

上毛佐波郡卅四所、廿四番に、「伊与久 龍昌院 正観音」があります。

大きな塚のような山を背にした龍正院は、山号を赤城山という。古い地図にこの山の裏に⛩の印がある。現在は社はない。ここは赤城山を配する神仏共存の施設としての長い時があったのであろう。札所の佛は厄除け薬師観音という。

 法のはな 枝折(しおり)て深く 分け入れば ここも赤城の 山のふる寺

 

伊与久沼付近の地図を眺めて、どうして山号が赤城山なんだろうと不思議に思ったものでした。

なんとなく納得です

 

7月19日、新田へ行く途中、寄ってみます。

駐車場には、すでにたくさんの石造物です

 

背中にこんなに子どもを乗せたママさんカエルは、初めてです

紫陽花の次の季節の花、サルスベリやカンナも咲いています

みなさんに合掌

 

新義真言宗ですか

素人にはわかりません

寿久茂塚古墳ですって

裏の山は古墳ですか

 

旧佐波郡でよく見かける、観音霊場巡りの案内があります。

開基由来 当院は、戦国時代の武将大谷平馬吉継の孫の五右衛門隆昌が伊与久に蟄居、厩橋城主酒井公に奉仕、大坂冬の陣と夏の陣に出征。この功績を認められ徳川幕府より五十石受領、伊与久郷に除地拝領し出家し竜昌(隆昌)院を建立したと伝えられている。裏山にこの隆昌の墓地がある。

あの大谷刑部の孫が開基ですって

 

 

さて、これから先は、お寺のメイン部分です。

こちらにも、石造物がいっぱいありそうです

御朱印をいただきましょう

 

 

(つづく)

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