107人が志望したJR西日本の事故に関し大きな動きがあった。7月8日の
asahi.comの記事を引用する
JR西社長を在宅起訴 宝塚線事故「安全対策怠る」
2009年7月8日15時1分
107人が死亡、562人が負傷した05年4月のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、神戸地検は8日、96年の現場カーブ付け替え時に自動列車停止装置(ATS)の設置を怠り、事故を発生させたとして、JR西日本の山崎正夫社長(66)を業務上過失致死傷の罪で在宅起訴した。山崎社長は付け替え当時の常務取締役鉄道本部長で、地検は同社の安全対策を統括する最高責任者としての義務を果たさなかった過失があると判断した。山崎社長は起訴後に会見し、辞任を表明した。
鉄道事故で鉄道会社経営幹部が刑事責任を問われるのは極めて異例。山崎社長は地検の任意聴取に「運転士が制限速度をはるかに超えて急カーブに進入するとは思わず、事故を予測できなかった」と同罪の立証に必要な予見可能性を否定しており、公判でも全面的に争うとみられる。
起訴状によると、山崎社長は鉄道本部長だった96年12月、現場カーブを半径600メートルから同304メートルの急カーブに付け替える例のない工事を実施した際、十分な安全対策を講じなければ大事故が起きることを予測できたのに、ATS設置を指示せずに05年4月25日に脱線事故を発生させたとされる。
地検は書類送検を受けた昨年9月以降、同社本社への2度の捜索や約200人の鉄道関係者からの聴取を実施。その結果、(1)急カーブへのATS整備は当時の鉄道業界の常識だった(2)カーブの付け替えで時速120キロから70キロに急減速しなければならなくなり、ダイヤ改定で快速電車の本数も1日34本から94本に増え、転覆の危険性が高まったことを山崎社長は認識できた(3)付け替え直前のJR函館線の貨物列車脱線事故を受け、山崎社長は「ATSを設置していれば函館の事故は防げた」とする報告を受けていた――ことが判明したという。
地検は、減速せずに進入すると転覆する恐れがある全国1千カ所以上のカーブを調査。その結果、沿線人口や通過本数は宝塚線が突出して多かったという。また、山崎社長がATSを設置しなかった理由について「路線単位で設置する社内方針を変更する必要性が生じ、経費が増大すると考えたから」と指摘した。
こうした状況を踏まえ、地検は取締役会の決議に基づき安全事業の業務執行権限を委ねられていた山崎社長の過失を検討。カーブ付け替え時から電車がレール上を走り始めた97年3月(東西線開業)までの約3カ月間、山崎社長は人為的ミスも想定した対策を講じるべきだったのに、他の路線よりも優先してATSを設置しなかった注意義務違反があったと判断した。
一方、地検は同じく業務上過失致死傷容疑で書類送検された歴代幹部8人については「事故が起きるという認識が十分でない」などとして不起訴処分(嫌疑不十分)とした。高見隆二郎運転士は被疑者死亡のまま不起訴処分とした。
さらに地検は、付け替え時社長だった井手正敬(まさたか)・元会長と副社長だった南谷昌二郎・前会長、垣内剛(たけし)・前社長の過失の有無も検討。「ATS設置の必要性を認識できなかった」などとしていずれも不起訴処分(同)とした。地検は26日に被害者説明会を開く予定だが、遺族の一部は井手元会長らの不起訴処分を不服として神戸検察審査会への審査申し立てを検討している。
引用終り
この事故に関してはこのBLOGでも8回に渡り取り上げてきた。
05年4月25日 JR脱線事故
5月 1日 まず安全推進部長の更迭を
5月 5日 二人も運転手が逃げていた
5月 8日 JR西日本 事故の本質は何か
6月21日 1分40秒 出来ることをなぜしなかったのか
6月22日 殺され損 JR西日本反省なし
7月23日 無責任の連鎖 JR西・アスベスト・郵政民営化
このほかにも記事の中で取り上げたBLOGもあるのでかなりの数になる。
国鉄が民営化した当時からこの会社は、利用者不在の精神が寝好き、井出某というボスがJR西日本のガンであったことは間違いないのだろう。現在に到るのあの40す名の犠牲者を出した、信楽高原鉄道の事故に関し、一言の詫びる言葉も、当時責任者の井出某から発していないと記憶する。
なぜこんな中途半端な起訴を検察は行ったのだろう
もっと重要な責任者はいるのではないか
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JR西社長を在宅起訴 宝塚線事故「安全対策怠る」
2009年7月8日15時1分
107人が死亡、562人が負傷した05年4月のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、神戸地検は8日、96年の現場カーブ付け替え時に自動列車停止装置(ATS)の設置を怠り、事故を発生させたとして、JR西日本の山崎正夫社長(66)を業務上過失致死傷の罪で在宅起訴した。山崎社長は付け替え当時の常務取締役鉄道本部長で、地検は同社の安全対策を統括する最高責任者としての義務を果たさなかった過失があると判断した。山崎社長は起訴後に会見し、辞任を表明した。
鉄道事故で鉄道会社経営幹部が刑事責任を問われるのは極めて異例。山崎社長は地検の任意聴取に「運転士が制限速度をはるかに超えて急カーブに進入するとは思わず、事故を予測できなかった」と同罪の立証に必要な予見可能性を否定しており、公判でも全面的に争うとみられる。
起訴状によると、山崎社長は鉄道本部長だった96年12月、現場カーブを半径600メートルから同304メートルの急カーブに付け替える例のない工事を実施した際、十分な安全対策を講じなければ大事故が起きることを予測できたのに、ATS設置を指示せずに05年4月25日に脱線事故を発生させたとされる。
地検は書類送検を受けた昨年9月以降、同社本社への2度の捜索や約200人の鉄道関係者からの聴取を実施。その結果、(1)急カーブへのATS整備は当時の鉄道業界の常識だった(2)カーブの付け替えで時速120キロから70キロに急減速しなければならなくなり、ダイヤ改定で快速電車の本数も1日34本から94本に増え、転覆の危険性が高まったことを山崎社長は認識できた(3)付け替え直前のJR函館線の貨物列車脱線事故を受け、山崎社長は「ATSを設置していれば函館の事故は防げた」とする報告を受けていた――ことが判明したという。
地検は、減速せずに進入すると転覆する恐れがある全国1千カ所以上のカーブを調査。その結果、沿線人口や通過本数は宝塚線が突出して多かったという。また、山崎社長がATSを設置しなかった理由について「路線単位で設置する社内方針を変更する必要性が生じ、経費が増大すると考えたから」と指摘した。
こうした状況を踏まえ、地検は取締役会の決議に基づき安全事業の業務執行権限を委ねられていた山崎社長の過失を検討。カーブ付け替え時から電車がレール上を走り始めた97年3月(東西線開業)までの約3カ月間、山崎社長は人為的ミスも想定した対策を講じるべきだったのに、他の路線よりも優先してATSを設置しなかった注意義務違反があったと判断した。
一方、地検は同じく業務上過失致死傷容疑で書類送検された歴代幹部8人については「事故が起きるという認識が十分でない」などとして不起訴処分(嫌疑不十分)とした。高見隆二郎運転士は被疑者死亡のまま不起訴処分とした。
さらに地検は、付け替え時社長だった井手正敬(まさたか)・元会長と副社長だった南谷昌二郎・前会長、垣内剛(たけし)・前社長の過失の有無も検討。「ATS設置の必要性を認識できなかった」などとしていずれも不起訴処分(同)とした。地検は26日に被害者説明会を開く予定だが、遺族の一部は井手元会長らの不起訴処分を不服として神戸検察審査会への審査申し立てを検討している。
引用終り
この事故に関してはこのBLOGでも8回に渡り取り上げてきた。
05年4月25日 JR脱線事故
5月 1日 まず安全推進部長の更迭を
5月 5日 二人も運転手が逃げていた
5月 8日 JR西日本 事故の本質は何か
6月21日 1分40秒 出来ることをなぜしなかったのか
6月22日 殺され損 JR西日本反省なし
7月23日 無責任の連鎖 JR西・アスベスト・郵政民営化
このほかにも記事の中で取り上げたBLOGもあるのでかなりの数になる。
国鉄が民営化した当時からこの会社は、利用者不在の精神が寝好き、井出某というボスがJR西日本のガンであったことは間違いないのだろう。現在に到るのあの40す名の犠牲者を出した、信楽高原鉄道の事故に関し、一言の詫びる言葉も、当時責任者の井出某から発していないと記憶する。
なぜこんな中途半端な起訴を検察は行ったのだろう
もっと重要な責任者はいるのではないか