私が初めて賞というものをもらったのは小学校2年生のときだった。お絵かきの絵が評価されて賞状をもらった。両親はいたく喜び、賞状を額に入れて飾った。紙一枚にそんなに価値があるのかと、幼い私は学んだ。
次が小学校3年生の運動会である。徒競走で3位に入り、3等賞という印が押された粗末なノートをもらった。(昨日述べた最近の運動会と違って、昔は公立小学校でも賞を出していた)。1等賞も同じノートで印が違うだけだった。ありがた味が少なかった。
中学生のとき、たまたま成績がマシだったので、優等賞という賞状をもらった。これはハガキほどのちゃちなもので、何十人ともらえるので、これまたありがた味がなかった。
予備校の模擬試験でも優等賞をもらったが、授賞式があるわけでもなく、成績表を持っていったら、事務員が事務的に大学ノートをくれた。拍子抜けした。
以来、賞というものをもらったことがない。
学位論文をある学会に出したとき、掲載論文を読んだ先輩たちから「学会賞ものだ」と褒められた。でも、その学会には学会賞というのはなかった。
私は賞をバカにしない。どんな賞でももらえれば嬉しい。ただし、粗末な賞品よりは立派な賞状がいい。
次が小学校3年生の運動会である。徒競走で3位に入り、3等賞という印が押された粗末なノートをもらった。(昨日述べた最近の運動会と違って、昔は公立小学校でも賞を出していた)。1等賞も同じノートで印が違うだけだった。ありがた味が少なかった。
中学生のとき、たまたま成績がマシだったので、優等賞という賞状をもらった。これはハガキほどのちゃちなもので、何十人ともらえるので、これまたありがた味がなかった。
予備校の模擬試験でも優等賞をもらったが、授賞式があるわけでもなく、成績表を持っていったら、事務員が事務的に大学ノートをくれた。拍子抜けした。
以来、賞というものをもらったことがない。
学位論文をある学会に出したとき、掲載論文を読んだ先輩たちから「学会賞ものだ」と褒められた。でも、その学会には学会賞というのはなかった。
私は賞をバカにしない。どんな賞でももらえれば嬉しい。ただし、粗末な賞品よりは立派な賞状がいい。