ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

石っこ賢さん

2015年11月16日 | 賢治先生

 今回のオレンジカフェぽらんでお出しするお菓子は、あれこれ迷った末に一関市東山町の「石っこ賢さん」にした。
東山町の東北砕石工場に技師として勤務した宮沢賢治にちなんだネーミングの菓子。
元々は、鉱石採集に夢中になっていた少年時代の賢治に家族がつけたあだ名である。

 宮沢賢治本人に会ったという方々へのインタビューをまとめたドキュメンタリー番組を観たことがある。
もうかなり前のことで、さらには途中からだったため記憶はあいまいなのだが、ひどく感銘を受けたのは、東北砕石工場勤務時代、男やもめの職工宅を訪問した賢治へお茶を出した少女が、こんなに小さい子なのに、いろいろ大変だろうがしっかりやるのですよ、と声を掛けられたというエピソードだ。
極貧に加えて、亡くなった母親の代わりに家事全般をこなさなければならない過酷な生活の中、そのような優しさに触れたのは初めてで、驚いたし嬉しかった、と老婆になった彼女は手を合わせんばかりにして語っていた。
 もう一人は、農夫の父親と一緒に田に出ていた少年の話。
あぜ道を歩いてきた男がいきなりざぶんと父親の田に足を踏み入れ、手に取った土を眺めると、肥料をきちんとやればもう何割か収量が増えるんだがな、と大声で言った。
気色ばんだ農夫が、あんた一体誰だ、と尋ねたところ、男はオレは通りすがりの者だ、と答えたという。
その後農夫は半信半疑ながらも男に教えを乞い、結果、本当に増収となった。
農夫はお礼にと大きなお餅を持って息子とともに、その男、賢治先生宅を訪ねたそうだ。

 詩人としてのイメージは親族や研究者が勝手に作り上げた偶像かもしれない。
けれども、これら市井の人々の証言の中で生き生きと立ち振る舞う宮沢賢治は、誰にでも平等に優しく、茶目っ気があって、なんと素敵な田舎紳士ではないか。







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from the bottom of my heart

2015年11月10日 | 珠玉

 花嫁は美しかった。
本当に美しいものは、なぜかひとを悲しい気持ちにする。
彼女は、私をいつもそんな気持ちにさせた。
容姿も、そしてハートも、本当に美しかったからだ。
 ある詩人は、自分のすべてのさいわいをかけて他者の幸せを願った。
私も、NPO法人なごみのために、持てる力のすべてを尽くしてくれたあの美しい花嫁の幸せを、心の底から、切に切に願う。



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ドレスコード

2015年11月04日 | 珠玉

 かつて男性の服装にはさまざまなルールが存在していたのですが、それらは急速に忘れられ、顧みられなくなっています。
加えて女性の99.99%はそんなものにはなんの興味も知識もないので、極端な表現をすれば、ルールを守って行くかどうかは自分自身との孤独な戦いです。

 結婚式・披露宴に主賓として招かれた際の服装を考えてみましょう。
正礼装は、日中はモーニング。
夜はタキシード。
(フロックコートや燕尾服は花婿が着るもの。)
準礼装はディレクターズスーツ。
略礼装はブラックスーツ(日本のみ、海外では平服の扱い。)
 モーニングは、ベストがグレー(シルバー)か、白の半襟付の黒。グレーの場合ダブルも素敵ですね。
靴はストレートチップ。できれば白革のスパッツを着用したいところですが、現在では入手困難です。
下の写真はモーニング姿のフレッド・アステア。足元のスパッツがひときわ目を引きます。



 ディレクターズスーツは、モーニングの上着を剣襟(ピークトラペル)・一つ釦のブラックジャケットに替えたもので、1920年代に会社の重役たちの間で流行したことからその名前がついた着こなしです。

 ところで、もし会社の上司とともに招かれ、上司がブラックスーツ(略礼装)の場合、ディレクターズスーツ(準礼装)やモーニング(正礼装)といったそれ以上の格式の服装で出席することはルール違反になるので、注意が必要です。


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オレンジカフェぽらん③

2015年11月02日 | なごみ

 オレンジカフェぽらんでお出しするお菓子はどのようなものにしましょう、と問われて、じゃあ初回は予算(100円程度)オーバーだけれど、奮発してとらやの「御代の春」では、と提案した。
 80年代前半、僕と妹はそれぞれ進学のため上京した。
僕は八王子の多摩動物公園が最寄駅の大学だったが、妹は先日建替えのため一時閉店すると話題になったとらや本店や(チョコレートケーキで有名な)赤坂TOPS本店、それにTBS本社が間近の、赤坂でもとりわけ一等地に建つ短大で、みるみる垢抜けて行った。
今でも当時の気分が抜けないのか靴はミハマ、東京土産はとらやの和菓子、とガンコに決めているらしい。
いただく側としては美味しいので構わないけれど。



 2回目はどうしましょう。また尋ねられた。
では、東北六県のお菓子を毎回持ち回りにしてはどうだろう。
まずは復興支援の意味も込めて、福島。次は岩手か秋田。
福島なら三万石の「おくのほそ道三千里」かな。これなら予算内だ。
http://www.sanmangoku.co.jp/Goods/sanzenri.html
岩手は山善(盛岡市材木町)かタルトタタンで。
秋田は、、、本部事務局に秋田出身の方がいるので、聞いてみましょうか。

こんな風にして行くと、楽しくなりますね。

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