「ブラボー砦の脱出」より、名花エリナ・パーカーと。
オットー・プレミンジャー監督の異色作「月蒼くして」、ジョン・スタージェス監督の出世作「ブラボー砦の脱出」(1953年)、「喝采」、「トコリの橋」(54年)、「ピクニック」(55年)と立て続けにヒットを飛ばし名実ともに大スターとなったウイリアム・ホールデンだったが、いつしか彼はハリウッドとそのシステム、生活スタイル、パーティ人種らをひどく嫌悪するようになっていた。
それなくして彼の地位と名誉はないのだけれど、その嫌悪はどうしようもなく募った。
そんな時、彼は「慕情」の撮影で香港を訪れ、そのエキゾティシズムにすっかり魅了される。
彼は心の中でとりあえず折り合いをつける方法を見つけた。
その後の彼の作品リストをざっと見てみるとよくわかる。
「戦場にかける橋」、「ライオン」、「第七の暁」などなど、それらはことごとくハリウッド以外でロケされたものなのだ。
(映画を観始めたころ、僕はそれが偶然だと思っていた。)
1959年、彼は家族を連れてスイスへ移住する。
それにより彼の旅行はますます頻繁になった。
世界各地を回り、映画を作るよりもほかにもっとやらなければならないことがある、と感じ始めていた彼は内的葛藤から逃れようとアルコールに依存して行った。
探して探して見つからない焦燥感。
悪循環だった。
60年代に入ると急に彼のキャリアが精彩を欠いているのはそんな理由があった。
老いが彼の容姿に現れ出すのもこのころからだ。
(この項続く)