ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

ピグマリオン①

2017年08月11日 | favorite songs

  エドはそこそこ名の知られたピアニスト・作曲家だった。
とはいえ、アルバムを5枚ほどリリースしているものの、ピアノ中心のCDを買おうというひとは少ない。
スタジオでの他者のレコーディング演奏や楽曲提供も積極的に行なって生計の足しにしていた。
妻はやはりミュージシャンだった。
子育てのかたわら、いずれもクラシックの素養がある三人姉妹で弦楽三重奏団、というよりはアンドリュー・シスターズ(アメリカの40年代のコーラスグループ)のパロディのようなバンドを組んで活動している。
  ある日、エドの元に面白い話が舞い込んできた。
10年以上前にダンスナンバーを続けざまに大ヒットさせ、一世を風靡した女性歌手が産休を経て活動を再開させたい意向なのだが、なにぶん休んでいた期間が長く、流行も変わっていることから以前のような成功を再度つかめるかどうかひどくナーバスになっており、確かな手腕を持ったプロデューサーを探しているというのだ。
エドは早速その歌手ソフィーの昔のビデオをユー・チューブですべて観て、翌日には承諾する旨を相手に伝えた。
  ほどなくソフィー本人と会う機会があった。
手足が長く、まなざしが深くて、単なる色あせたディスコクィーンではなかった。
一曲セッションしてみよう、ということになり、彼はソフィーに希望の曲を尋ねたところ、意外にも「ジョリーン」では、という答えが返ってきた。
手合せは最高だった。
「ジョリーン」は数えきれないほどのカバー・バージョンが存在するけれど、オリジナルのドリー・パートンを超えるものはない、とこれまでエドは考えていた。
けれども、独特の身振り手振りを交えて歌う彼女のそれには、ほんものの感情がこもっていた。彼は素直に胸打たれた。
エドは帰宅するや、寝食の暇を惜しんで曲を書いた。それも心血を注ぎ込んで。





                                                              (つづく)
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする