NPO法人なごやか理事長の執務室を訪ねると、理事長は大きな机に向かって頭を抱えていた。
どうしたのですか、と尋ねると彼はようやく顔を上げた。
「福法組が今年度初めて企画した、高校生さんと若手介護職員たちとのワークショップが今月末に開催されるのだけれど、事前に生徒さんたちから介護職員に尋ねたいことについて、アンケートを取ったんだ。その問いに対して僕も回答しろとのことで、今、目を通したら、とにかく内容が直球で、これはごまかせないな、と悩んでいたところさ。」
いかにも理事長らしい、と私は吹き出した。
では理事長、私が問いを読み上げますから、できる限り即答してください。
えーっ!と声を上げながらも彼は一転、楽しそうにうなずいた。
「現在の仕事に就こうと思ったきっかけはどのようなことですか?」
それはパス。僕は異業種参入組で、動機不純だから。
「現在、福祉・医療の現場で課題になっていることは何ですか?」
人手不足・担い手不足です。
「福祉は重労働といった大変なイメージがありますが、実際はどうですか?」
他の職業とほとんど変わらないと思います。
「現在、施設では新型コロナウイルス感染症がもたらす影響はありますか?」
面会禁止などご家族様にご不便をおかけしている部分はありますが、職員の感染リスクに関して言えば、対策をきちんと講じることでかなり防げると思います。
「福祉の現場で働く際に取得しておいた方が良い資格はありますか?」
まずは介護職員初任者研修です。
「利用者の方と信頼関係を築くために心がけていることはどのようなことでしょうか?」
丁寧に、優しく、です。
「福祉・医療の仕事に従事する中でやりがいを感じるのはどのようなことでしょうか?
自分が他者の役に立っていると感じることができた時です。
「利用者の方から掛けられた言葉の中で一番印象の残っていることはどのような言葉でしょうか?」
『ありがとう』、『あなたでなければならない』、『あなたに対応してほしい』です。
「福祉・医療の仕事をする中で何を一番大切にしていますか?」
他者の役に立つことです。
「仕事をしている中でどんなことを意識して仕事をしていますか?」
自分を勘定に入れないこと、です。
「仕事でつらいことがあった時はどのようにして気持ちの切り替えをしていますか?」
大切な趣味を持つことです。
「大学・短大・専門学校で福祉を学ぶメリットはありますか?」
そこに行かなければ取得できない知識と資格があります。
「福祉・医療の仕事に従事する中で印象に残る思い出や出来事はどのようなことですか?」
離園した利用者様を自分が見つけた時のことです。
「福祉・医療の仕事に向いている人はどのような人ですか?」
僕ですらできたので、志さえあれば誰でもできます。
「沢山の方々と仕事をする際に大切なことはなんですか。」
馴れ合いにならないことです。
「拒否や消極的な方へのアプローチはどのようにしたらよいですか?」
この人に話を聞いてもらいたい、と相手に思っていただける態度で臨むことです。
「コミュニケーションの上手なとり方を教えてください。」
自分のことを短く話し、それから相手の話を長く聞くことです。
これで設問はすべて終わりです、と告げると、理事長は安心したように大きく息をついた。よくまあ、すらすら答えるものだと感心しながら、私はなにか彼の種明かしを見たような気もしていた。
喫茶店アルファヴィルのアルバイト店員で、現在はNPO法人なごやかのパート事務員でもあるIさんが退職して故郷の弘前へ帰ることになった。
私は全く気づかなかったのだが、この街に赴任中の夫と最近離婚して子供二人を引き取ることになったのだそう。
お店も会社も、みなさんも大好きなのだけれど、経済的なこともあるし、いったん弘前に帰ろうと決めたの。「ふりだしに戻る」ね。
そう言って彼女は屈託なく笑った。
私が涙ぐむと、高梨さん、泣かない泣かない、ほら、テレビドラマのシリーズで、1シーズンが終わると準レギュラーが何人か入れ替わるでしょ?あなたはレギュラーで、私は準レギュラー。きっと次のシーズンはまた新しい、魅力的なキャラクターが登場するわよ。
妙な例えだったが、いつも女スパイのようないでたちの彼女が言うものだから、思わず吹き出してしまった。
理事長は何と言っていました?
先週、お話に行ったの。そしたら、とても残念だけれど、弘前は素敵な街だから、あちらでまだ幼いお子さんたちを育てるのはいいだろうね、と。私が思っていることそのままだった。
それが今日ね、電話があって個人事務所を訪ねたところ、おせんべつにって小さな包みをいただいた。うながされて開けてみたら、これだったの。
Iさんは首元に手をやった。小さめの真珠のネックレスだった。黒いタートルネックのシャツによく映えていた。実はさっきから気になっていたのだ。
きっと理事長は喜んだでしょうね、贈ったものを身に着けてもらって。
ええ、パール・オン・パールだな、なんて、褒め過ぎよね。
私たちはくすくす笑った。
笑いながら、私は思った、出会ったその時から、別れる時がいつか来る。
今日、私は別れを見た。美しく、豊かな別れを。
「唇からナイフ」(1966年)より
女スパイ、モデスティ・ブレイズ(モニカ・ヴィッティ)
「今年3月中旬、彼はひょっこり僕の個人事務所へ顔を出した。
そして一枚の紙を差し出した。
理事長さん、こんなメニューができたのですが、よろしければご検討ください。
彼はこれまで会った銀行員の中で最もスマートな男だった。
そして相手も僕が法人の書類を渡すたび、理事長さんは銀行が求めるもの(資料)を分かっていますね、と感心顔で言ってくれていた。
僕はその紙を一瞥すると、実はそのメニューについては検討済みで、実際に申請するか、その際はどこの銀行にお世話になるか、考えているところでした、と隠さずに話した。
それではぜひ当行でやりましょう、やらせてください。
僕は言った、やるからには金額は上限ですが、いいですか?
わかりました、本気でやります。
その日から僕は提出する資料を作成し、必要な書類を取り寄せ、5日後には彼に渡した。
その一週間後、彼から電話があった。
内諾が出たとの報告だった。
そして4月第一週に融資が実行された。
なぜ(年度を越した)4月に入ってからなのかは、経営者なら分かる。
しかも僕ではなく、彼の提案だった。本当にスマートな男だ、とまた思った。
彼のおかげで、コロナ禍の中においても僕の事業経営上の悩みは全くなくなった。」
「8月末、その彼から急に転勤が決まったので挨拶に来たい、との電話をもらった。
翌日、来訪した彼に尋ねると、新しい赴任先は本店営業部だった。
それはご栄転ですね。驚きませんよ、あなたなら。
いえいえ、と珍しく笑顔で謙遜しながら、理事長さんの大きな話をいち早くまとめたのが上の心証を良くしたのでしょう、と応えた。
でも残念だな、あなたとはもう少し仕事がしたかった。僕は最後の仕事として、〇〇〇〇〇〇〇〇を行なおうと考えていたので。
彼ははっと息を飲んでから早口で言った、二、三日前にそのメニューの資料が当行にも回って来ていました。私はあまり詳しくないし、もちろん、手掛けたこともないのですが。
ええ、僕も一か月ほど前から、そのメニューが近々解禁されると知って、検討を始めたばかりです。取り組むならあなたと、と思っていました。
そうでしたか!ああ、残念だな、やってみたかったなあ、後任に申し送りますので、ぜひ当行にご支援させてください。
分かりました(笑)それではYさん、これでお別れです。僕はこの年齢ですから、あなたが支店長や役員になるところは見れませんが、引き続きのご活躍をここから祈念しております。
きびすを返した彼の背中に、ひょっとしたら羽根が生えているのでは、と僕は目を凝らした。」
NPO法人なごやか理事長は県国保連から振り込まれた介護職員慰労金を事務員さんに全額、銀行から下ろしてきてもらうと、居合わせた私も加えた3人で仕分けして封筒に入れ、のりで封をした。では事業所ごとに届けましょうか、と私が申し出ると、少し前からなにか思案顔だった彼が思いもよらないことを言い出した。
「せっかく渡すのなら、感謝の言葉を添えたいと思うんだ。」
私は聞き返した。
「宮城分は90名、全員にですか?」
「そう、全員に。」
とんでもないことを言い出したものだ、と私の顔に書かれていたのだろう、理事長は重ねて言った。
「大丈夫、一言ずつなのですぐに終わるから。雑誌でも読んでいてくれるといい。」
お金の入った封筒の山をとんと机に置くと、彼は早くも書き始めた。
『慰労金』ボールペンで、筆圧強めに、封筒の左上に大きく横書きした。
『高梨管理者様』
私からか。
理事長はサラサラと書き上げると、封筒を私に差し出した。「まず、きみにだ。」
『きみのおかげでなめとこデイサービスは市内有数の繁盛店になりました。あらためて感謝の念を伝えます。ありがとう。』
理事長は猛烈なスピードで書き続けた。
『きみの笑顔は行く先々をぱあっと明るくする。その誠実な笑顔こそ、利用者様の求めるものです。』
『気づいていないようだけど、きみは最高の管理者です。』
『この理事長にだまされたと思いながらついてきたら、民間のトップをとりましたね。ヘンゼルとグレーテルより不思議な物語でしょ?』
『まさか「三景島居宅の次ちゃん」と一緒に仕事をすることになるとは思ってもいませんでした。きみの元上司には絶対負けません!』
『きみに一目ぼれして何年が経ったろう?きみのやさしさ、丁寧さは全職員の手本です。』
これは私が入職する以前に、理事長が珍しく他法人から引き抜きを行なったという男性CMへだった。
『とうとうここまで来ましたね。よく頑張りました。きみが初めてホームへ来た日のことは今でも憶えています。』
これは最近、管理者に就任した方へ。なごやかへいらした時はまだなんの資格も持っていない、介護未経験者だったそうだ。
『きみは特別な職員です。一つ難があるとすれば、面食いなところかな。』
それ、セクハラじゃありませんか?
あっという間に、理事長は90枚を書き上げた。
一枚の書き損じもなかった。
私は怖れを感じた。
NHKを観ていると、時々「あの日、何をしていましたか?」というキャンペーン動画が流れる。少し考えているうちに、決まって涙が流れてくる。完全に、PTSDだ。
のんちゃんの、透明なまなざしで問われては。
あの時一緒にいたO管理者、そのあと僕のすることを近くで見ていたミス・エイスワンダーやざしき童子、復旧と再建にやっきになり放ったらかしにした子供たち。
彼らはどう感じていただろう。
きっと、軽蔑の満点カードをもらっているに違いない。
でもね、僕はその時その時でいつも一生懸命だった。
ジブンをカンジョウに入れたことは誓って一度もないよ。
ああ、これも言い訳か。