太陽暦の暦だと、どうも長唄の歌詞の説明をしづらいので、太陰太陽暦の暦を取り寄せて使っている。
明治5年に日本の暦は太陽暦に変わってしまったから、どう考えたって、和歌や俳諧、古典文学の季節感がしっくりくる日本人というのは、だいぶ前にいなくなってしまっているわけで、実際に旧暦の暦が手近にあると、想いを致し易くたいへん有難い。
聞くところによると、農業に携わる方々は、今でも旧暦を基準にして作付けをしているらしい。そのほうが、気候に合って、思いがけない遅霜などの冷害にあわずにすむということだ。さすが、太陰太陽暦は農耕民族の知恵の結集なのだ。太陽暦は、遊牧民族のものだもの。
旧暦の暦は、閏月があったりして、何かと面白い。
何年前だったか、慶応4年と同じ4月が閏月だった年があって、これだけ暑くなれば戦のあとの上野山のむくろはさぞや凄惨な状況だったのでしょうね…とか、いにしえの出来事を改めてなぞると、実に真に迫ってしみじみする。梅雨は梅雨でも末期の大雷夜雨だから、この奇襲戦法が功を奏したんだなとか、やっぱり、ここで降り積む雪を踏み分けて、討ち入ったのは当然でしょうとか、実感できて興味深いのだ。
で、本日、2010年3月25日は、旧暦だと平成廿二年の二月十日。
如月の十日である。
この夜、奥州へ落ちる義経主従が都を出立する。勧進帳の幕明きである。
明治5年に日本の暦は太陽暦に変わってしまったから、どう考えたって、和歌や俳諧、古典文学の季節感がしっくりくる日本人というのは、だいぶ前にいなくなってしまっているわけで、実際に旧暦の暦が手近にあると、想いを致し易くたいへん有難い。
聞くところによると、農業に携わる方々は、今でも旧暦を基準にして作付けをしているらしい。そのほうが、気候に合って、思いがけない遅霜などの冷害にあわずにすむということだ。さすが、太陰太陽暦は農耕民族の知恵の結集なのだ。太陽暦は、遊牧民族のものだもの。
旧暦の暦は、閏月があったりして、何かと面白い。
何年前だったか、慶応4年と同じ4月が閏月だった年があって、これだけ暑くなれば戦のあとの上野山のむくろはさぞや凄惨な状況だったのでしょうね…とか、いにしえの出来事を改めてなぞると、実に真に迫ってしみじみする。梅雨は梅雨でも末期の大雷夜雨だから、この奇襲戦法が功を奏したんだなとか、やっぱり、ここで降り積む雪を踏み分けて、討ち入ったのは当然でしょうとか、実感できて興味深いのだ。
で、本日、2010年3月25日は、旧暦だと平成廿二年の二月十日。
如月の十日である。
この夜、奥州へ落ちる義経主従が都を出立する。勧進帳の幕明きである。
な、なんと文化的。
特に、今回の記事など勉強になります。
わたくし、歴史の勉強にもなって、一石二鳥かと
講談を聴きに行こうと思っていて
いまだ、実現していないのです。
太陰太陽暦! そうなんですよねー。
昔の話を聞いていても、
どうも、季節感が違っていたりしますねー。
さらに、さらに、わたくしも
昨日、windowsの個人教授を受けてきたところです。
先日、確定申告で税務署に行ったら
パソコンの前に連れていかれ、
「あー、これからはwinも使えないと・・」と痛感。
衝動買いで持っていた
VAIOを使うことを決意(って、おおげさな)。
これからも、まめに読ませていただきます。
どうぞ、よろしくお願いします。
記念すべきコメント第1号、
ありがとうございます。
日記という、本来なら自己完結しているものを公開するブログというもの…
なんだか古井戸に石を投じているような、
大宇宙に受け取り手のないカプセルを、
ひょっとして…と思って発信させるような、
虚無的な作業だなぁ…
とか思っておりましたら、あにはからんや。
地獄で仏、テキサスでET(だったっけ?)。
コメントをいただくのは本当に励みになるものだな…と、とっても嬉しく存じました。
こちらこそ、
どうぞよろしくお願いいたします。
またいらしてくださいねっ!!